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再び吉田博展  久遠に流れ去る時間流

作品の一部入れ替えがあったと聞き、ふたたび、吉田博展に行きました。前回は水彩、油彩も多かったのですが、今回は版画中心の展示でした。

今回も最も長く眺めていたのはこの作品です。ポストカード購入しました。

前回もこの作品について書き記しましたが、版画をなぞるような内容でしたので、今回は自分なりの解釈を入れて印象を書いてみます。

ー久遠に流れ去る時間流ー

この作品の前では静寂が漂う。
吉田博はいつまでも変わらぬ風景を描きたかったのだろうか。
穏やかな海は瀬戸内海を表象するだけでなく、吉田博の心中をも表しているのだろうか。
何が落陽を描かせようとしたのだろうか。

ー久遠ー それがこの作品の魅力だろう。
現代にあっては帆船はヨットに代わることがあっても、吉田博が100年前に見て感じた瀬戸内海の静かな海面と沈みゆく太陽が照らす光は100年後、200年後も変わらないだろう。
日の入りに感じる沈鬱な気分は、古今東西・老若男女を問うまい。
だが、永遠性・普遍性まで表現しようとしなかったかもしれない。ただ描きたかった。
しかし、作品は吉田博の意図を超越して存在し、見る者を惹きつけてきた。それは作品の芸術的評価という、その時代時代によって移ろうような浮遊するものではない。
時間軸を超越した久遠の風景と、見る者が感じる普遍性、ー国を問わず世界中の誰しもが海面に沈みゆく太陽に感じるという意味でのー、がこの作品の神髄だろう。
必然的に帆船は作品の主題ではなく、吉田博が命名した「光る海」という作品名のとおり、海と光が主題となっている。
そして、その吉田博が描いた光と海は見る人に久遠を感じさせ、時間の流れを忘れさせ、語る言葉を失わせる。

ポスターを飾っておきたい作品です。


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