チームラボが草間彌生のパクリである理由

あ〜ほんとチームラボはひどいですねぇ〜。

「DMM.プラネッツ Art by teamLab」

というのを、

チームラボがお台場でやってるみたいです。

http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001157.000002581.html

まずはっきり最初に言っておきますが、

「これは草間彌生のパクリ」です。

その詳細については後で書きますが、

ほんと私はずっとチームラボを批判していますが、

今回の作品については、あまりにもひどいです。

「アート」というからには、

過去の「アート」作品を参照しているのが、

最低限の作法でもありますし、

また「アート」という振る舞いでもあります。

私はよくチームラボの猪子寿之と、真鍋大度、

この二人を比較して、

真鍋大度はアートを理解しているが、

猪子寿之はアートを理解していないと、

いつも言っています。

しかし今回の作品でそれがはっきりしました。

猪子寿之がただのテクノオタクで、

アートを商売にしているが、

アートを全く理解していないと。

(美術の技術信仰と、チームラボのテクノロジー信仰)

まず日本の美術界の伝統というのを、

お話ししておかなければなりません。

まず、日本の美術というのは、基本的に技術を問題に、

しているのですね。

それは日本のデッサン教育をベースに、

いかに技巧を磨くことが、美術であるか、

その様な教育がされています。

しかしアートの本質とは技巧ではありません。

例えば基本中の基本のデッサンというものは、

いかに3次元のものを、2次元に変換するか、

その変換する過程で起こる心象的現象や、

変換で起こる、人間の脳の認識。

その様な差異的、変態、変容、変質。

その様な芸術的、美術的構造こそが、

一番の本質なのですが、

日本では一向に技巧的問題を美術としているわけです。

この辺の基本的美術の認識の違いが、

そもそも現代アートを解らないくさせているのですが。

それはまたの機会に譲るとします。

ここまで述べたものが、日本の美術界の技術信仰です。

その上で、チームラボもそれをトレースしているのですね。

以前に私はチームラボの作品を、

テクノロジーの使い方見本市と申しましたが、

今回の表現はさらに酷いものです。

チームラボの姿勢は、

とにかく新しいテクノロジーを使えば新しいのだ、

そのような精神が見えるのです。

それは、日本の美術の世界の、

技巧が凄ければ、美術として素晴らしいのだ。

そのような根本的認識の間違いから、

大きな過ちをを犯しているように考えます。

(チームラボが草間彌生のパクリである理由)

では次にチームラボのこの作品がパクリである理由ですが、

これは草間彌生が長年に渡って取り組んでいる、

哲学、思想、美術構造、芸術構造、などを、

まるパクリしている作品です。

草間彌生が作っている作品の美術的構造は、

基本的に古くから水玉などを多用しています。

それは、まさに、

自己と自己以外のものとの境界が曖昧である、

そのような草間彌生自身の体験から得られた、

ある種異世界、

それは草間彌生が統合失調症を患っていたなど、

その自己の体験を元に、作品が生まれ、

その様な体験を円や水玉に昇華しているわけです。

とりわけ円というのは、

その造形だけで美術構造が重層化されるもので、

これは理屈的にはパラドックスが起こるもので、

ある意味フラクタルに存在しています。

例えば円の中心を指で指した時に、

点ができますが、

その点をクローズアップするとまた円ができます。

それは永遠に繰り返されるものです。

これを草間彌生は水玉で、

さらにマクロにフラクタルを構成し、

「永遠」または「永遠性」を表現してきました。

また最近の傾向では、

「永遠」「永遠性」のさらに向こう側、

理屈でいうと「事象の地平」の向こう側、

そのような取り組みもされています。

このような美術構造は草間彌生が長年取り組んでおり、

鏡と水玉を使ったインタラクティブな作品も、

草間彌生は発表しています。

(「DMM.プラネッツ Art by teamLab」はパクリだ!!!)

「DMM.プラネッツ Art by teamLab」の写真を見て、

まず私は草間彌生のパクリやんっ!!!

と間髪入れずに感じたのです。

それなりにアートを知っている人なら、

完全に草間彌生のパクリである事がすぐに解ります。

まず「DMM.プラネッツ Art by teamLab」の作品は、

草間彌生の「永遠」や「永遠性」の美術的構造、

さらに「自己」と「自己以外」の境界の排除、

その美術的構造のパクリです。

しかしチームラボがアートをしていないのなら問題無い。

そう言っておきます。

しかしArtと銘打っているわけですから、

これはチームラボのアートなのでしょう。

そうすると私はアートの専門家であるので、

チームラボの作品は草間彌生のパクリだと、

そう言っておかなければ、

アートの専門家としての責任を放棄する事になります。

(アートをするならアートを学べ!!!)

では最後に、

チームラボには様々なクリエイターがいると聞きます。

アート作品を作っているのですから、

アートの専門家は必ずいるのでしょう。

アートにはアートの振る舞いや作法があるわけですね。

それは美術史を参照する事や、

最低限のリサーチ、美術的構造の参照、

基本的に科学の世界同様、

アートの世界も参照する事には何も問題がないのです、

しかし、参照もしないで、

これがチームラボのオリジナルの作品だ!!!

というのは話が違うし、

その前に草間彌生へのリスペクトが無い、

そのように理解します。

この様なチームラボの様な振る舞いが許されると、

アートやアート創出への侮辱が許されているのと同じです。

チームラボはいつかこういう事をするだろうと、

その様に強く思っていましたが、

やはり草間彌生のパクリを堂々としてしまいました。

僕はアートの専門家として、

ちゃんと責任を果たさねばならない。

だから何度も言いますが、

チームラボの作品は草間彌生のパクリです!!!

美学者母

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?