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謝ったら死んじゃう病

「ごめんなさい」「すみませんでした」
自分の間違いを素直に認められるかどうか。
この人は謝れる人か?謝れない人か?
大人になると、そんな試験が定期的にやってくるように感じます。


○謝ったら死んじゃう病


「すみません、間違えました」
「すみません、私のミスです」

そう言うだけなのに、謝れない人に時々出会います。

そういう人は後輩曰く
【謝ったら死んじゃうびょう】とのこと。

「あの人、謝ったら死んじゃう病なんですよ」
と同僚のことをよく言ってました。

自分の間違いやミスを認められない、プライドが高い人が多いようです。

その価値観では
【謝罪すること=死に値する】

そのくらい重いことだから、受け入れられず、謝れないそうです。

○失礼しましたの違和感

久しぶりに【謝ったら死んじゃう病】の人に会いました。

「失礼しました」とはおっしゃるのですが「すみません」が出てきません。

最初はそれで問題ありませんでした。

しかし、あまりに「失礼しました」ですり抜けるミスが多かったので、違和感があり、「そろそろ一回“すみません“と謝ったらどうだろう」と思っていました。

ついに、決定的大きな場面が来ました。
つまり大きめの失敗です。

さぁ一言謝るチャンス!
特大の「すみません!」が来るぞ、、、と思ったら、予想外の言葉が。

「これ、自分じゃありません」
「私のせいではありません!」

え?何それ。。。

あぁこれがあの病の人か、、、と後輩の言葉を思い出したのです。


○自分を認めるとは

今回のケース。側から見ていて、ずっと思っていました。

謝っちゃった方が楽なのにー
すみません、って言った方が気持ちいいよー
自分だって認めちゃえばいいのにー

よく言う「自分を認める」という言葉の中には、ダメな自分、失敗した自分も受け入れることも含まれています。

【謝ったら死んじゃう病】にかかっている人を見ていると、プライドが高いため、できる自分が誇らしく、自信となるため、「できた自分だけ認める」と限定的であるようです。

そして、共通点として、どうでもいいことはすぐ謝り、自分の失敗になると謝れないということです。

できない自分を受け入れられない。
なので、謝れないようです。


○軌道修正したいだけですよ♡

こちらのメッセージが伝わらないことも多いようです。

さっきの話ですが、結局「私ではない」と主張のあと、犯人探しを始めました。

こちらの目的は犯人探しではなく、軌道修正したいだけ。

でも本人は、犯人が自分でないことをただただ立証したい。
(でも自分が犯人だから、結局は失敗が浮き彫りになるだけ)

その思考回路、

苦しいぞ、、、

大丈夫だろうか、、、、

客観的に見て、生きづらいだろうな、と感じました。


○この病から抜けるには

【謝ったら死んじゃう病】にかかった人々は、常に戦いの精神です。周りは皆、敵と思っているのでしょう。

アドラーの教えである「共同体感覚」を持ち、「周囲は仲間である」と信じていられれば、この病からは脱することができると考えられます。

周囲は、自分のミスを攻撃しようと狙っている人たちではない、助けてくれる仲間なんだ、と知ることが大切です。

大人になるほど、いろんな場面で 謝れるかor謝れないか、その試験が繰り返しやってくるように感じます。

また、新しく人と出会い、その人を深く知っていく過程でも、必ずこの試験がやってくるように感じます。

謝れる人か?謝れない人か?

断然、謝れる人の方がいいです。
謝った方が楽ですし、ずっとずっと生きやすいです。
周囲ともうまくやれます。

以上、【謝ったら死んじゃう病】にかかった方々へ、治した方が楽ですよ〜!というメッセージでした。



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