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自己紹介~40歳、新たなスタートです~

こんにちは。マチノワジョブのメンバーの1人、浦部と申します。
タイトルの通り、現在40歳。人生100年とすると、あと60年あります。わぉ。
3人の子ども(11歳9歳3歳)の子どもを育てるお母さんです。
鈴木さんに引き続き、私がどんな人間か、マチノワジョブに参画するにあたって、どんなことを考えているのか、書いてみたいと思います。

前回、鈴木さんの自己紹介はこちら。↓



◆働く母遍歴


私は、27歳で結婚、28歳で第一子、30歳で第二子、36歳で第三子の子宝に恵まれました。旦那様も私も地方出身で、近くに頼れる親戚はいない状況。それでも、「子どもを産んでも働き続ける事」は私の中でナチュラルな事でした。
それは、私の母が、5人の子どもを育てながら看護師として40年以上勤務し続けていたこと、両祖母も農家として働き者だったこと。私の周りにいる女性のロールモデルはみんな、”はたらきもの”でした。
当時勤めていた会社で、「0歳入園じゃないと保育園は入れないから」とアドバイスを受けるがままに、6月生まれの長男は、次の4月からの0歳児クラスで申込をしました。
11年前、保育園に入れるのは物凄い倍率で、入れなかったら育児休暇を延長するんだ~と思っていました(そのために?育児休暇中にベビーマッサージの講師の資格を取得したりもしていました)が、見事に認可保育園に入園することになりました。

そこからは、怒涛の日々。
朝8時前に保育園に預けて、閉園ギリギリの19時前に迎えに行く。
当時の0歳児クラスで最後の1人2人、といった状況でしたが、最後の1人の子は、その後もシッターさんに迎えに来てもらい、、、という状況だったので、わがままを言っちゃいけないな、と思っていました。

そんな状況下で働き続け、第二子妊娠、引っ越し、2度目の育児休暇を取得。第二子の育児休暇中は、引っ越した事もあり、長男の保育園は一度退園し、2歳と0歳の息子たちと楽しく1年半過ごしました。10月生まれだったので、1年半、育児休暇をとることにしたのです。
引っ越し先では、以前住んでいた地域よりは保育園に入りやすい&時代と共に、待機児童も減っていることもあり、なるようになるさ、と申し込んだ保育園、運よく2人同時に同じ保育園への入園が決まりました。
保育園問題には、あまり頭を悩ませなかったなぁと今思うと悩んでいる方々からはお叱りをうけそうですが、同時に、「あぁ、働けってことよね~」と妙に納得している自分がいました。

◆震災、そして転職。


第二子の育児休暇復帰後も、同じ職場で仕事を続けていましたが、第二子妊娠中に経験した東日本大震災が、私の中で働き方を考えるきっかけともなりました。たまたまその日は妊婦検診で仕事を休んで病院にいたので、震災直後に長男を迎えに行く事が出来ました。もしも、仕事に行っていたら、、、不安な中、長男に何時間も会えなかった。何かあった時に子どもたちを歩いて迎えに行ける距離で仕事がしたい、と強く思ったのです。人身事故で電車が止まり、慌ててタクシーに飛び乗って保育園まで迎えに行ったこともありました。
そして、出産前に経験していた人材派遣業界の経験を活かし、住んでいる地域で職業相談の仕事に就く事になりました。長男5歳、次男が3歳の時の転職でした。その仕事は、自分でも天職なのかな?と思うほど、やりがいがあり、そこで、キャリアコンサルタントの資格も取得したのです。

◆3人目の出産。専業主婦に。


職場に迷惑をかけられない、、、という想いで、2人目3人目に躊躇する、という方も多いのではないかと思います。私自身も、すごくその想いが強く、2人目の時もかなり慎重でした。そして、転職したばかりでの妊娠は出来ない、でも、いずれ3人目(願わくは女の子~)と、切望しておりました。そして6年ぶりに授かった3人目。ちょうどその頃、仕事で相当なストレスがかかっていた時期でもあり、一度は稽留流産の診断も受けました。いざ手術の日、すごい剣幕で主人が「もう一度しっかり確認してくれ!!」と先生にせまり、心拍が確認できた時は、奇跡が起こったと思いました。
そして、2人で相談し、子どもが小さいうちに一緒にいられるのは今だけ、と、思い切って専業主婦の道を選ぶことに。お兄ちゃん達もちょうど、小学校2年生と年長の時でした。長男は、1年生の時は学童に行く生活でしたが、2年生にあがってから学童はやめ、おかえりが言える生活になりました。

◆コロナ禍、そしてこれから。


娘が1歳の頃、以前の職場に戻る選択肢もありつつ、自分が抱えてきた葛藤や、本当にやりたい事はなんだろう?これから私は、どんな働き方がしたいのだろう??と悩み、たまたま目にした、町田新産業創造センターの女性創業スクールへ参加しました。そこで出会った方がご縁で、マチノワの山本さんにご紹介頂くことになります。
そして、その後、まずは今子どもと一緒にいる事を優先する生活の中でやれることをやってみよう、と、個人事業主としてキャリア相談を受けたり、地域の活動に関わったりするようになります。それまでは娘を一緒に、が大前提でしたが、娘が3歳になる2020年、保育園に申込み、仕事の分量を増やしていこう、と思っていた矢先でした。

そんな中でも、自分に出来る事は何か、自分がやりたい事は何か、ゆっくりと向き合う時間がとれたようにも思います。
マチノワの山本さんに背中を押され、キャリアセミナーを開催させてもらった事や、仲間と一緒に企画した市民講座も契機となり、以前から「こういう事がしたい」と話していた、山本さんと鈴木さんという心強いお2人とともに、マチノワジョブスタートに向けて楽しく準備をしてきました。

働くお母さんの可能性を広げたい。
子どもたちの未来がワクワクキラキラなものであってほしい。
子どもたちの為に、お母さん達が笑っていてほしい。
と思うのです。
それは、私自身に向けてのメッセージでもあります。
我が子たちのために、私自身が笑っていたい。

オンラインが一気に浸透し、働き方もより一層の広がり方を見せる中、それでも、まだまだもがいている人はたくさんいると思います。
マチノワジョブが、少しでも地域に光が差すきっかけの場となってくれたら嬉しいです。


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