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神隠し、約束を舞った、恋探り。~二枚目天狗たちの花嫁争奪戦~ 第一話


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

あらすじ(294字)

長期休暇で帰省していた聖良は、休み明けに待っているブラック企業の仕事から逃れるように、会った瞬間から懐かしさを感じていた天狗に攫われた。連れて行かれたかくりよ待っていたのは、美形の天狗の若者の三人による人の娘の花嫁争奪戦。
仕方なく参加していた那由多に、だんだんと惹かれていく聖良。

天狗族とは犬猿の仲の妖狐族との争いに巻き込まれたりしながらも、仲を深めていく二人。
そして、聖良の前世の記憶が、あるきっかけで甦り?!

好きだった故人に似た女だなと気が付き、跡継ぎに必要な自分の嫁にしたいと争奪戦に本気を出したら、転生した好きだった本人で間違ってないことを知り、溺愛してしまう天狗がヒーローの話。

第1話「踊る理由」


 ひとさし、ふたさし。舞い踊る。
 忍びやかな足さばきも、しなやかな手の運びも、習い始めて何年か経った今ではもう慣れたもので、躊躇いなく動きに迷う事はない。
 大勢の人に見られる舞台に立つ直前の心地よい緊張感も、何もかもをひっくるめて。
 私は、踊るのが好きだ。
 何故、現代を生きる私が流行りの軽快なステップを踏むダンスでもなく、古風な日舞を始めことになったかというと、そのきっかけになった出来事は、数年前に亡くなってしまったおばあ様が発した言葉だったそうだ。
 なんでも、彼女は幼かった私の顔をしげしげと見つめてから、不思議なことを言い出したらしい。
「この子は、きっと踊るのが好きだよ。出来るだけ早めに、踊りを習わせよう」
 私の母はその言葉に半信半疑になりながらも、近所にあった日舞の教室に通わせることにしたそうだ。
 教室に数年通った結果、名取りと言われる踊りで仕事を出来る人になるようにと、師事するお師匠さんに勧められた。けど、お披露目に掛かる費用はとても高額で庶民の家には払える額でもなかった。
 それに、私自身も踊りはただ好きだから続けていた。
 好きだからと、お金を得るための仕事にしたい訳でもない。好きな時に好きなように出来る趣味に留めたくて、それはもう断ってしまった。
 十代で名取りになれるとまで言って貰えた私の踊りの技術の上達のスピードは、共に教室を通う面々や師範を驚かせたものだった。
 好きこそものの上手なれとは良く言ったもので、学校から帰って、空いている時間があれば教室へと行って、飽きることもなく踊っていたせいだったかもしれない。
 私が大学に行ってからは、アルバイトも始めたりと、なかなか教室の開いている時間に合わせることも難しかった。けれど、どうにか時間をやりくりして踊りに通ったものだ。
 まるで。もし、踊れなくなったら、私が私ではなくなってしまうかのように。

◇◆◇

「聖良っ! 久しぶりに実家に帰って来たからって、怠けすぎよ。いい加減にしなさい」
 お母さんは実家に三日前に帰省してからというものの、ぐったりとソファの上に転がっていた打ち上げられたトドのような態度だった娘についに堪忍袋の緒が切れたようだった。
「ごめんなさい……久しぶりに自分でご飯作らなくて良いと思ったら、つい」
 私は今年地元の大学を出て、四月から都会で就職をしたばかり。踊りを続けたいし地元に居たいという気持ちはあった。でも、田舎の地元企業だと条件の良い仕事は、ほぼお偉いさんのコネで決まってしまう。
 そこはもう、世知辛い世の中に良くある仕方のない話だ。
 そして、一人暮らしなんてこれが初めてだ。お金を得るためにと、とてつもない我慢を必要とする仕事や、慣れない自炊を数か月間続けた結果、お母さんやお父さんの有難さが身に染みた。
 自分自身が吟味してここで働きたいと選んだ会社だとは言え、ブラック企業と言う言葉に相応しい過酷な労働環境に戻ることなんて今は考えたくもない。
 ブラック企業という言葉は、自分が身をもって味わうことになるまでは、所詮は他人事に過ぎなかった。
 同族経営の企業では、何かを頑張ったからと言って適正に評価されることは、ほとんどなかった。経営権を握る面々に気に入られること、それこそが人事査定には大事な事だった。
 そして、私は彼らに気に入られることに関しては、ある理由から、入社して早々に大失敗をしている。
 それが直接の原因となり、嫌がらせのように直属の上司からは仕事を増やされ、早く辞めてしまいたいとは思うけど、新卒入社してすぐで辞めてしまうことにはどうしても抵抗があった。
 理由が理由だけに、心配を掛けてしまうかもしれないと、親にもまだ相談出来ていない。
 でも、慣れない環境と張り詰めた精神状態から疲れ切っていた。こうして実家にいる事で解放されて、私はどうしようもない現状から、どこかへ逃げ出したい強い衝動に駆られていた。
 このまま。天国のような実家で、いつまでもごろごろしていたい。
 あのぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗って、一人暮らしの自室に帰り、お盆休み明けでまたしんどくてつらい仕事が始まるなんて、今は少しも考えたくなんてない。
「本当に、仕方のない子だね……都会になんて行かないで、こっちで良い人と結婚してくれたら……お母さんも、安心なんだけどねえ」
 これは既に何度も何度も繰り返された、親と子の鉄板のやりとりの前兆だ。
 このままだと、お決まりの早い結婚と孫誕生をせっつかれる流れになってしまうと察した私は、慌てて立ち上がり、財布だけを手に取った。
「ちょっと、コンビニ行ってくる!」
 慌ててリビングから廊下に出ようとした私の背中に向けて、お母さんは言った。
「もうすぐ暗くなるんだから、早く帰りなさいよ」
 お洒落する用の踵の高い靴とは別の、移動時用に持って帰ったスニーカーを履いて、私は玄関から飛び出した。
 親は往々にして成人してから未婚の子どもに対して結婚をせっつくものだと、そういう流れは理解はしてはいる。
 でも、だからと言って仕事を辞めるのか田舎に帰るのか。そんな答えすらまだ出せていない自分の現状には耳が痛い。
 車通りのない海岸沿いを歩けば、波模様が無数に走る海面へ赤い赤い夕日が映る。
 私は幼い頃から赤い夕焼けを見ると、何故か胸が締め付けられるようになってしまう。心の奥の方から何かが訴えているのだと思うけど、それが何を意味しているのかは、わからないまま。
 無性に切なくて、涙をこぼしそうになって苦しい。まるで、相手もいないというのに……叶わぬ恋をしているかのようで。

◇◆◇


 カア、と唐突に耳に入った烏の大きな鳴き声に、私は振り向きつつ周囲に視線を巡らせた。
「……え?」
 声の主はなんてことのない、電線に止まっている黒い鴉だった。いつもだったら、普段通りの風景だとすぐに目を離してしまうだろう。
 けれど、その時の私は、黒い鴉に三本の足が生えていることを、見つけてしまった。普通なら、気にも留めない事だったのかもしれない。目を凝らして見つめて、何度数えても珍しい三本足だった。
 一声鳴いた鴉は、私が自らに目を向けたことを理解したかのように、茜色の空を横切るような一本の黒い電線からふわっと舞い上がり、ゆったりとした速度で飛んだ。
 まるで、何かに不思議な力に導かれるように。三本足の鴉を追い掛け、家の裏手にある裏山へと私は足を踏み入れた。
 実家のあるこの辺りには、大層な古い古い言い伝えがあった。
 地元に聳え立つ霊山には、全国でも有名な大天狗と呼ばれる力あるあやかしの一人が住んでいると有名だった。そして、私が今歩く山には、大天狗の家来の天狗が住んでいる。
 彼らは、時折若い人間の娘を天狗の一族の花嫁にするために、攫ってしまうというものだった。
 もし、天狗が存在していたとしても、誘拐事件とされたすべては天狗の仕業だけではないとは思う。
 誰彼となく駆け落ちだったり、何らかの不幸な事情だったり。行方不明者は続々に出ているんだろうけれど、それはあまりにも荒唐無稽な古びた言い伝えだった。
 そして、今の今まで、私はそれをひとつも信じたことなどなかった。
 お世辞にも整備されているとは言い難い険しい山道を辿り、黒い烏を追い掛けてやって来たのは、木が鬱蒼と生い茂る森の中にあるというのに、いきなり視界が開けた草原だった。
 折しも黄昏時と呼ばれている、空にはいくつもの淡い色がうつろう薄明りの幻想的な時間帯になっていた。
 どういった光の加減か。ふんわりとして柔らかに見える景色は、何もかもが美しく見える錯覚を起こしてしまう。
 なんでその時にそうしたかと、理由を問われると説明が難しい。魔が差してしまったとしか、言いようがない。
 なんとなく、この場所で少しだけ踊ってみようかなと、ふと思った。
 入社したての新入社員で新しい人間関係と慣れない仕事に疲れて、ブラック企業らしい抑圧された精神状態。
 机に積み上げられた書類を片づけて帰宅すれば、ご飯を作って寝るだけで精一杯だった。
 現在住んでいる都会では、気晴らしに踊りに通えるような教室も見つけられてはいない。
 願ってもない格好の場所を見つけて、本当に久しぶりに大好きな踊りを踊ってみようかと思っただけだった。
 長く使っていて、もう大分へたれてしまっているスニーカーを脱ぎ捨てると、私は素足で茂る草を踏んだ。
 ここ数か月、場所の問題でもなくただ忙しくて時間がなくて、まともに踊れてなどいなかった。でも、記憶を辿りながら踊るのではなく、身体が覚えていて自然と動いた。
 繊細な手の返しの角度も、今は着ていないというのに、着物の袖口を握る素振り、持っていないはずの扇子の動きも。すべてを。
 ひとしきり踊った後で動きを止めると、上方から、やけに大きなばさりと風を切る音が響いた。
 何気なく空を見上げて、私は言葉もなく息を呑んだ。彼とお互いに目を合わせて、認識し合う。
「ほう。楽しそうに踊っているな。お前さんは、天狗に攫われたいのか?」
 空中に浮いているのはまぎれもなく、この日本で天狗と呼ばれている異形だった。
 大きな大きな黒い翼を持ち、その顔は白い毛を持つ狼の顔。山伏のような服を着ていて、地面からだいぶ高い位置から驚いている私を見下ろしている。
 けれど、どうしてだか。私は彼を怖くはなかった。
 普通だったら、ここで大きな悲鳴をあげて逃げて走り去ってしまうべきだと思う。その天狗が、やけに人懐っこい目をしていたせいかもしれない。
 こんなにも良くわからない状況だというのに、私は逆に彼に親しみを感じていた。何の理由なのかは、全くわからないけれど。
 私には、大きな黒い翼を持っている恐ろしいはずの天狗が全く怖くはなかった。
「……天狗に、攫われる?」
 ぽかんとして彼の言葉をオウム返しに呟いた私に、いきなり姿を現した天狗は鷹揚な仕草で何度も頷いた。
「そうだ。丁度、今は嫁取りの儀式の前。先日の宴でも、そろそろ現世へと若い娘を攫いに行こうかと、皆で相談していたところだった。お前さんは、本当に運が良い。次の花嫁争奪戦の参加者三人は、全員が大天狗の後継者で、人で言うところの美形な容姿ばかり。どうだい。そうない機会で、お買い得な提案だ。とても、お薦めするよ」
「花嫁争奪戦?」
 理解しがたい単語を聞いて、何とも言えない表情になってしまうのは、仕方ないことだと思う。花嫁って、普通なら争奪されるものでもないと思うし。
「手前共の天狗族には、人の娘を攫って花嫁にする昔ながらの風習がある。だが、争奪戦参加者の中から、夫となる者を選ぶ権利は、攫われてきた花嫁側にある。一度目の選考期間を過ぎても、その三人の中から選ぶのが嫌ならば、また別の者が手を挙げるだろうことだろう」
「……それって、もし攫われて花嫁になれと言われたとしても。私がその中の誰かに心を決めないと、別に花嫁にならなくても良いってこと?」
「……一応。手前共の掟では、そのように決まっている。だが、これまでに攫われてきた花嫁は、皆。最初の争奪戦で、心を決めている。攫ってきた人の娘の花嫁争奪に名乗りをあげるのは、一族でも特に位が高い者になる習いは、暗黙の了解。天狗族は、大昔より妻と子を何より大事にする習わし。格高い面々が、どうか自分の花嫁になってくれと、心を込めて口説くのだ。どんなに頑なな態度を見せる乙女だったとしても、やがては心を開こうよ」
 何度か、過去にその様子を見て来ているのか。どこかやれやれといった様子で、天狗は言った。
 もしかして。これって魅力的な何人もの男性に口説かれることになるという。
 まるでフィクションの世界である乙女ゲームのヒロインのような状況に、なってしまうのだろうか。
「私……今までに、一度も恋をしたことがないの。それでも?」
 正直に言ってしまうと、彼の言う天狗の花嫁の話に興味は沸いた。
 私は生まれてこの方、彼氏など一度も居たことがない。何故だかどんなに見目の良い異性を見ても、容姿が良いと思うだけで少しも心を動かされることなどなかった。
 多くの人が幼い頃に早々に済ませてだろう初恋をしていないのは、今ではもう成人している私にとって、ある種のコンプレックスにもなっていた。
 そして、私が嫌だと思えば、別に結婚しなくても良いと言う。これは恋をしたいと望む私にとって、破格の良い条件なのかもしれない。
 うずうずと心の中に噴水のように湧き上がる好奇心は、なかなか殺せるような、か弱いものでもなかった。
「必ず、恋に落ちるだろう」
 大きな翼を動かし危なげなく宙に浮いている天狗は、それはしごく当たり前のことだと言わんばかりに何度も頷いた。
 買うなら今しかないお買い得な商品を説明するセールストークにしては、とてもうさんくさい。不確定な未来のことを、必ずだなんて、営業する側が絶対に使ってはいけない言葉のような気がするんだけど。
 それでも。
 必ず恋に落ちるという言葉が、とてつもなく気になってしまった。これまでに恋をしたことのない私が、天狗の花嫁争奪戦で争われることになる、花嫁の立場となる。
 後先など知ったことではない経験の浅い若さがなせる、考え無しの無鉄砲な選択だったのかもしれない。
 休み明けに自分を待っているとても辛い状況から、逃げ出したかったのかも。ふわふわとした、不思議な夢のような空間の中で、まったく現実感がなかったせいか。
 これから後に起こりうる沢山の出来事を、第六感に近い直感で何処か感じていたせいなのかも。
 何にしても、私は躊躇うこともなく、自分を空から見下ろす天狗へと両手を伸ばした。
 時は逢魔が時と呼ばれる、世に言う大体十八時頃。
 心の中に魔が差して、薄明りの中で踊りを差して、私は天狗に攫われた。
「ねえ。どうして、貴登さんは私が居たあの場所に来たの?」
 自らを貴登と名乗った白い狼の顔を持つ天狗は、私の腰を逞しい片腕で軽々と抱きかかえて、もうとっぷりと暗くなってしまった黒い夜空を飛んだ。
 彼は大きな黒い翼を広げて危なげなく風に乗り、下に見える街明かりが綺麗過ぎて不安に思っている隙もない。初めてこんな高所を飛行しているのに、私は何故だか怖くなんてなかった。
「なんだ。お前さんは知らないでやっていたのか。山の中で笛を奏でたり歌を歌ったり、舞いを踊ったり。そうすれば、なんだなんだと気になった山に棲んでいる天狗なんかが、様子を窺いにやって来る。そんなものだ。遠い昔から、人の子には知られている話だと思っていたが」
「……そうなんだ」
 それは、さも世間では一般的で当たり前のことだと言わんばかりの貴登さんに、私は首を傾げてから頷いた。
 昔。山から来た天狗の嫁取りのために若い娘が攫われることがあったという言い伝えは、これまでにも何度か聞いたことがある。けれど、山で踊ったりすれば天狗がやって来るという、そこまでの詳細な情報なんて聞いたこともなかった。
 だから、あの時の貴登さんは、敢えて天狗に攫われたいのかと……そう聞いたんだ。私が天狗が来ると理解していて、山の中で踊っていたと思っているから。
「今の時分に、あんな寂れた山中で楽の音もなく踊り出すような娘も、本当に珍しい。それに、自分から天狗に攫って欲しいと、あんな風に自ら手を差し出すのは、きっと過去も未来も合わせてお前さん一人くらいだよ」
 覗き込むように顔を見て、貴登さんは呆れたようにそう言った。
 逃げ場のない自分の今の現状からとても逃げ出したかったのと、これまでに一回もした事のない恋がしてみたくて、まるで乙女ゲームの夢のような状況に釣られましたとも言えず。
 私は、彼の言葉に曖昧に笑った。
「だって、貴登さんって全然怖くないし……私たち、何処かで会ったことある?」
 なんだか、全く意図せずに下手なナンパ文句みたいになってしまったのは仕方ない。
 けど、私は彼を見た先ほどから、ずっとそう思ってしまっていた。だって、初対面だとはとても思えないくらいに、こんな獣の顔をしている天狗の彼に親しい気持ちを抱いていた。
「ない……そういう事は、花嫁争奪戦の参加者の、誰かに言ってやってくれ」
 私に揶揄われたと、良くない誤解したのか。どこか憮然とした態度になってしまった貴登さんが、前を向いた。
 その瞬間。
 私は文字通り、自分の周囲の空気ががらっと変わったのを感じた。
 そして、眼下には先ほどまでの人工の明かりに溢れていた景色が一変。今は暗い森の中にある、神社にある鳥居を思わせるような朱塗りの城が月明りに映えて、暗い山で一際に目立っていた。
「……ここは……」
 見るからに、私が先ほどまで居たはずの人間が住まう世界ではなくなっていた。例えようもない。畏怖にも似た不思議な気持ちで、身体中に震えが走った。
「ここは、かくりよと呼ばれている、現世とあの世のちょうど境目にある。あやかしたちが、支配する世界だ。あれはこの辺りを統べる、大天狗の一人で白峰相模坊の居城。今回の嫁争奪の儀式を、監督を担当するのも、かの相模坊だ。強い力を持つ天狗族の大天狗の中でも、特に慈愛深く優しい一狗だ。そう言った意味でも、お前さんは決して変な扱いには決してならない。手前も、それは保障しよう。本当に、幸運に恵まれている」
「白峰相模坊……」
 それは近くにある霊山に住まうという、有名な天狗の名前だった。数か月前に都会に出るまで田舎で生まれ育っていた私は、何度か昔話で名前だけは耳にしたことがあった。
「後、お前さんのように自ら望んでここに来た人間にはあまり関係ないことだが、城を囲うあの深い堀の中には恐ろしい魔物が住まう。あの城から出ようと思うのならば、まず空を飛べなければ、お話にならない。まあ。これは侵入者を防ぐためであって、中に居る者の逃亡を防ぐためのものではないのだが」
「気を付ける……」
 私は、こくりと喉を鳴らした。だって、それが意味するところは、この城は攻められることもあるということだ。
 下方に見える城の四方を囲む堀の中は、昏くて底はとても見通せない。
「はは。さっきまでの威勢の良さは、どこに行ったんだ。これから、花婿候補三人にも会う。楽しみは、まだまだこれからだろう」
「……なんだか急に、これって本当に現実なんだって思えて来た」
 我に返ったような言葉を聞いた貴登さんの楽しそうな笑い声と共に、私たち二人は朱塗りの城へと向かって急降下を始めた。
 けど、別にその時。怖気づいてここまで来たことを、後悔していた訳ではなかった。この先にきっと何かが起こるという、そんな踊り出す舞台前のような期待感が胸を占めていたから。

◇◆◇


 朱塗りの城へと着いて早速。自ら花嫁になりたいと希望して攫われてきた私の歓迎の宴を、城の主である相模坊さんが執り行ってくれるとのことだった。
 そして、私は自分の目を疑ってしまうほどに、広く天井の高い大広間へと案内された。
 そこは井草の良い匂いのする畳敷きなんだけど、何畳なのかは、すぐにはとても数えられない。そう思ってしまうくらいに、とんでもなくただっ広かった。
 何故、城全体や大広間の天井がこんなにも高いかという疑問は、この城の主である相模坊さんその人を見ればすぐに解決出来た。
 私が想像する通りのとても天狗らしい天狗である彼は、とてもとても大きな身体を持っていて「大天狗」という、彼の別名に相応しかったからだ。
 予定していない急な客人に対する煩しさなど一切感じさせない温かなもてなしの気持ちも有難く、彼の家来の一人である貴登さんからの事前情報通りに、穏やかで優しそうな雰囲気を持っていた。
 だから、見るからに人外といった姿だというのに、全く怖くない。
 穏やかな性格を感じさせ、語り口も柔らかく優しい。まるで親戚のおじいちゃんと、話している感覚だった。
 そして、私は大天狗と呼ばれている地位の高い天狗の一人である彼と話しつつ、心の中で申し訳ないなと思いながらも、たった一つだけ心配なことがあった。
 まるで、期待の新商品を売り込む営業のようだった貴登さんは「人で言うところの美形の容姿ばかり」と、さっき私に教えてくれたけど……天狗の審美眼では、相模坊さんのような高い高い鼻も美形と言われているのかもしれない。
 初対面で外見をどうこうなど、失礼なのはわかっているんだけど、売り込まれた商品が、もしかしたら自分と思ったものと違ったのかもしれないという、早まっちゃったかなという不安があった。
「……おお。つい先ほど、貴女の花婿候補三人を迎えに行かせたのだが、全員遠方に居たはずなのに、既にここまで辿り着いたようだ。よほど、貴女に会えることを楽しみにしていたのかもしれない」
 別に誰かから、何かを言われた様子もない。けど、三人の来訪を何らかの能力で察したのか、機嫌よく楽し気に相模坊さんがそう言った。いよいよ花嫁争奪戦のお相手との対面の予感に、私は甘いお酒が入っていた杯を、高価そうな漆塗りの膳へと戻した。
「え……楽しみにしていた……?」
 それは、とても困ってしまう。それほどに自分たちの花嫁候補を楽しみにしていたらしい彼らの期待に、自分が応えられるのか。
 望んで攫われておいてなんだけど、逃げ出したくなってきた。
「楽しみだったのだろう。嫁争奪戦の儀式を、そろそろ開催しようかと、我らも前から考えてはいたものの……今回は、儂の城での開催になるでな。心を込めて愛せば、いずれは心を開いてくれるにしても、昔のように嫌がる娘を無理やり連れて来るのも、何度見ていても慣れない。なんだか、見ていて可哀想でなあ。儂が今回主催するとは前々から決まっていたものの……さて、どうしたものかと、頭を悩ませておったんだよ」
「あの。私は……嫌がってません」
 生まれてこの方、今まで一度も経験したことのない人が素晴らしいと讃える恋がしてみたい。そして、何より会社で失敗した自分を待っている辛い現実から逃げ出したかった。
 だから、この状況に関して私が何かを嫌がる要素など、ひとつも見つからない。しかも、当の本人の私が嫌ならば相手を延々とチェンジ可能という、普通では絶対に有り得ない破格の好条件も素晴らしい。
「うむ。それは、こちらにとっては願ってもなく、好都合なのだが……まるで天が願いを叶えてくれたような、急展開に狐に摘まれたような気分が無きにしも非ず。今回の相手となるのは、我が一族の中でも、自慢の優秀な若者たち三人だ。相性もあるだろうが、人柄や仕事ぶりにも難はない。貴女がこの中の誰かを気に入って、争奪戦後に結婚することを了承してくれれば良いのだが」
 相模坊さんがそう言い終わり。まるで時間を計っていたかのように、彼がさっと襖へと目を向けたので、私はつられるようにして同じ方向を見た。
 音も立てずに滑らかに襖が開いて、廊下に立って居たのは背の高い三人の男性だった。
 私の中でこれまでとても気になっていた大事なことを真っ先に確認してしまったんだけど、彼らの鼻は普通の鼻だった。貴登さん。疑ってごめんなさい。
「……お呼びに、参上しました」
 彼らは足音をさせずに、大広間の中へと移動した。真ん中に居た柔和な美形がすっと姿勢を正し、相模坊さんの前で正座を取ったので、後ろに居た二人もそれに続いた。
「来たか。聖良さん、これが今回貴女の花婿候補になる三人です。多聞、那由多、伽羅。こちらが今回の花嫁争奪戦の、花嫁だ。儂もお前たちがここに来るまでと話相手を買って出ていたが、とても可愛らしい人だ。きっと、お前たちも気に入ることだろう」
 そして、合図されたかのように三人が揃っておもむろに顔を上げたので、私はドキッとして胸を大きく高鳴らせた。
 貴登さんが、花嫁勧誘時に私にした売り込み文句は確かに間違っていない。
 三人が三人共、平凡な庶民の私が近くでは見たことのない程のタイプの違った見事な美形だった。何か背筋に今までにない鋭い緊張感が走り抜けたのを感じ、私は彼らに挨拶しようと思って開きかけていた口を閉じた。
「はじめまして。愛宕山太郎坊が息子、多聞です。こうして未来の花嫁に会うことが出来て、とても嬉しいです」
 彼は、この同世代に見える三人の若い天狗の中では一番に位が高いのかもしれない。代表するようにさっき相模坊さんに一人挨拶をしたのも彼だし、今だってこうして私に向けて一番に口を開いた。
 優しそうな甘い顔立ちの美形で、髪と目の色は少し茶色み掛かっている。実はとあるアイドルグループに所属していますと言われれば、なるほどと簡単に納得が出来てしまうような人だった。
「那由多です。鞍馬山僧正坊の息子です」
 続いて挨拶してから、そうしてすぐに口を閉ざした彼に、私は何故だか強い興味を惹かれてしまった。漆黒の髪に、それより深く濃く見える黒い瞳。無表情に近いその顔は、凛々しく端正に整っている。
 彼を見た瞬間に感じたなんとも不思議な感覚を追及している間もなく、三人目最後の彼が口を開いた。
「彦山豊前坊の息子、伽羅です。相模坊様。お呼び、ありがとうございます! 可愛い子、良く捕まりましたね」
 はきはきとそう挨拶をした彼は、釣り目でスッキリとした目鼻立ちがきつくは見えるものの、とても綺麗な顔をしている。にっこりと微笑む明るい笑顔が、眩しい。
「……ちょっとした、事情があってな。聖良さん。それでは、三人に挨拶を」
 まさか、私が自分から天狗攫われることを希望したとは言えなかったのか。言葉を濁した相模坊さんに促され三人の美形の男性を迫力を前に尻込みしていた私は、ようやく口を開いた。
「南野聖良ですっ……今年から、働きだしたばかりで。えっと……それと、趣味は日舞です」
 自己紹介とは言え、就職面接時にあるような長所や短所を言うのもおかしい。
 何をここで言えば良いかわからずに、とりあえず自分の名前と一番の趣味を口にした私に、三人は揃って土下座するように、一度深く頭を下げた。
 思ってもみなかった彼らへの対応をどうしたものかと相模坊さんへと心配になって目を向ければ、彼は微笑ましいものを見るように目を細めて言った。
「気にせず、気にせず。驚かれたかもしれませんが、こちらの……天狗族の作法のひとつです。素晴らしい。聖良さんは、踊りが得意なんですね」
「……ええ。幼い頃から、ずっと習っていて……貴登さんに見つかった時、さっきも山の中で踊っていたから……」
「ほう。それでは、ぜひ。盛り上がるので、宴でも踊ってください。日本舞踊を踊るための音楽なら、こちらもすぐにご用意できます」
 そうして、踊りのために楽を奏でるための楽師を呼ぼうとしたのか。お付きのような小天狗に目配せをしたので、私は慌てて手を振って止めた。
「あっ……あの! 待ってください。ここのところ、私は働きだしたばかりで、全然踊れていなかったんです。こういう宴で人前で踊るのなら、少し練習してからで良いですか?」
 それは、ただの言い訳だった。舞台に立つのは好きだとは言え、未来の相手となるかもしれない初対面の彼ら三人を前にして、緊張し過ぎて踊れそうもない。
「ええ。もちろん。それでは、次のお楽しみにしておきます。それに、もう貴女は働く必要などない。こちらの三人の中から首尾良く、決まれば良いとは思いますが……どちらにしても、天狗の嫁となればこの上なく大事にされます。我らは、嫁と子を何より大事にする習性ですので」
 そうして、相模坊さんは、いつの間にか顔を上げていた三人へと目を向けた。
 三人の眼差しは真剣で、ここで何か面白い冗談を言えるような雰囲気でもない。
 この城の主、相模坊さんが近くに居たお付きの天狗へと彼らへの食事と酒を持ってくるように指示している間、私はなんとも形容し難いむずむずとした緊張をずっと感じていた。
「聖良さんは、何歳なんですか? 俺たちは聞いての通りで、天狗というあやかしなんで、人から見ればそこそこの年齢は重ねています。ですが、俺たちのこれまでの人生は、ほぼ修験道の修行をこなす何の楽しみもない毎日だったんですよね。だから、年月が過ぎていくという感覚が、人から見れば……多分、おかしいんすよね」
 右隣に座っていた人懐っこそうな伽羅さんに覗き込むようにして問われて、私は思わず固まってしまった。
 彼らの食事や酒の置かれた膳は、横に並ぶように私の隣へと置かれた。多聞さんは左。那由多さんは、それまた彼の隣。伽羅さんは、私の右だった。
 それは確かに彼に言われてみれば、その通りだった。
 彼らはいわゆるあやかしと言われている天狗で、きっと寿命も只人の私とは比べ物にならないくらいに、長寿であるに違いない。
 さっと一見しただけで、思わず目を奪われるような整った姿を持っている彼ら三人の現在の服装はというと、貴登さんや大天狗の相模坊さんが着用していたような修行中の山伏を思わせる恰好ではなくて、なんと言って例えるべきなのか難しい。
 完全に動きやすさを最重要視して考えているような、ひとつなぎの服。三人ともにすっきりとしたシルエットの、黒い忍者のような出で立ちではあった。
 さっき言っていた、修験道の修行時に使っているのかもしれない。服の造りに目がいって、私に質問をくれた伽羅さんをまじまじと見つめてしまっていた。
 変な間が空いてしまったことに気が付いた私は慌てて、きょとんとした表情をしている彼の問いに応えた。
「私は、二十三歳です。今年、やっと就職したばかりで」
「そうそう。働いていると。さっき、相模坊様にも言っていましたね。もし、俺の花嫁になれば、家で趣味でも楽しんでのんびりとしていてくれれば、それで大丈夫です。父の居城には、眷属も家来の子天狗も数多い。特に、何か仕事をする必要なんかもないので、どうか家で好きな事を……」
「伽羅。これが、初対面だぞ。自分の話ばかりするな。自重しろ」
 それまで黙って様子を見ていたような多聞さんが、ピシリとそう注意した。
 早々に自らの売り込みを掛けようとしたらしい伽羅さんは、面白くなさそうな顔をしつつも頷いて黙った。
「聖良さん。僕たち全員に対して、何か聞きたいことはありますか?」
 伽羅さんを止めた多聞さんは箸を置いてから左右に居る二人に目を配り、私に言った。
 彼ら三人に聞きたいことがあるかと問われれば、沢山あるようでいて、けどこの場でパッとは思いつきにくい。
 なので、とりあえず私はこういう時に便利な、先方から先ほど貰った質問をし返すことにした。
「あの……皆さんっておいくつなんですか?」
「俺は、多分百くらいかな」
 質問に真っ先に伽羅さんが応えて、私は思わず目を見開いてしまった。しかも、絶対にちゃんとは数えていない曖昧な数字だし。
「……百?」
「うん。三人の中では、俺が一番に若い。聖良さんとは、一番年齢近いと思う」
 伽羅さんはにこにことして微笑み、自己アピールするのを欠かさない。百歳で一番近いって……私と、約八十程離れているんですけど?
「僕は、百五十ほど。この中では、一番の年長者です……とは言っても、あやかしには加齢による老化ないに等しいので。天狗の年齢になど、余り意味はないのですが」
「老化が……ない?」
 多聞さんが当たり前のように言った言葉に、私はやっぱり驚いた。
「そうです。僕らの命の終わりは、その身に宿った神通力が枯渇してのこと。後は、圧倒的な力を持つ他者に殺されるか。どちらかに、ひとつ。僕たち天狗は、そうそうの事では死ぬことはありません。ですが、地位を持つ天狗は引退することはあるので、後継は必要なんですけどね」
「えっと……私は人間なんで、百まで生きられたら、本当に運が良いってくらいなんですけど……」
 信じがたい天狗族の常識に戸惑いつつ、私はそう言った。
 今の時代、人間の平均寿命は医療の発達と共に飛躍的に伸びたものの。百になるまで、年齢を重ねることが出来るのは稀だ。
 だから、もし天狗の誰かと結婚して、彼らの体感で言えば、私が瞬く間に死んでしまうかもしれない。結婚するというのに、相手がそれで良いのだろうかと単純に思ってしまった。
 だとすれば、彼らと寿命が同じようなあやかしの誰かと結婚すべきではないのかと、どうしても考えてしまうから。
「何の問題ありません。僕らの花嫁となれば、交じり合う際に、身に宿る神通力が流れ込み与えることになる。それがある限りは、聖良さんも同様に死ぬ事はありません。僕ら自身と、全く同じような理屈です」
「交じり合う……」
 さらりとした多聞さんの言葉が意味をすることを悟り、私は一人で顔を赤くした。
 確かに夫婦になれば、そうなることをするのは当たり前のことだろう。けど、それを一度もしたことのない私にしてみれば、とても刺激的に思える言葉だった。
「俺は、百二十くらいだと思う」
 なんとも居た堪れない気持ちになった私に向けて、もくもくと自分の前に置かれた膳にある食事を片づけていた那由多さんは、おもむろに低い声でそう言った。
 素っ気なくも思える口振りで発したその言葉は、さっきの私の質問に答えてくれたのだと、数秒空けてようやく理解することが出来た。
 そして、もしかしたら微妙な空気になった私に、助け船を出してくれたのかもしれない。
「あ。あの……だから、挨拶の順番は……?」
 これまで、多聞さん那由多さん、そして伽羅さん。そういう順番で、この三人は自然と動いていた。だから、それは年齢順だったからなのだと気が付いた。
「そうそう。一応、俺らは全員大天狗の息子だし、天狗族の中での位は同等。けど、それだとどうしても纏まらないこともあるから、必要ある場合は年長者を立てての年齢順なんだよね」
 私は答えてくれた那由多さんの方を向いてそれを言ったんだけど、すかさず逆に居た伽羅さんが口を挟んだ。
 それまで視線を合わせていた那由多さんの真っ黒な美しい瞳には、吸い込まれるような不思議な吸引力があった。視線を絡ませて、私たちは数秒見つめ合った。
 それなのに、彼は素っ気なくふいっと食事へと目を戻した。
 那由多さんに目を外されてしまって……この気持ちをどう説明して良いかわからない。私の心の中には激しい焦燥感が溢れ、なんとも物足りない気持ちになってしまった。
 人生で初めて、きっとそんな気持ちになった。
「通常なら俺たち天狗族は、百になるまでくらいに嫁取りをするんだけど。俺以外の多聞と那由多の二人は、五十年くらい前にかくりよが大荒れに荒れた事があって、それで婚期が遅れたんだ。各部族との協定の調整だったり後始末なんかも大変だったから。今回の花嫁争奪戦は、そういった意味でも特別なんだよ。人間の花嫁を得ることは、俺たちにとっては簡単じゃないからね」
「でも……人の娘なら、また攫って来れば、良いんじゃないですか?」
 私は自主的に天狗に攫われたけど、それは例外として。
 貴登さんのような空を飛べる天狗なら、無理やりだってなんとかして、かくりよに連れて来ることだって可能だったはずなのに。
「うんうん。聖良さんは、何も知らないから。そう思うよね。けど、俺らにも破れない天狗の一族の掟があってね。もし、人の娘を花嫁にするために攫ってくるのなら。かくりよと現世の境界線が薄くなる、ほんの短い逢魔が時に、まったく他の人間には悟られない状態で攫って来ないといけない。神隠しっていうだろ? 誰の声も届かぬ深い山の中を一人で、彷徨っている娘さんも今どき珍しいからね……だから、次の娘。聖良さんが来た時は、地位が高くて未婚の俺たち三人の争奪戦って、決まっていたんだ。そろそろ、一族を治める役割の親父たちも、結婚しろ結婚しろって、うるさいからさ」
 伽羅さんは立て板に水のように現状を説明してくれて、私が疑問に思っていたことを解消してくれた。
「天狗族の掟が、あるんですね」
 なんだか天狗族の掟って言われると、現代人の私にとっては取っ付きにくい。けど、日本での法律だと考えるとしっくり来るのかもしれない。
「あるある。色々と、俺たち面倒な掟があるんだ。けど、数え切れないほどの集団になれば、掟がなければ纏まれないから。それに、何か決められた掟があれば、それを決めた理由が何かあるはずだから」
 伽羅さんは私が持っていた杯に、流れるように小ぶりのとっくりで酒を注ぎつつ言った。
「まあ……こうして攫って来といてなんだけど、絶対に花嫁には無理強いはしない掟だから。嫌なのに、誰かの嫁になるという事はないから。それは、心配しなくて良いよ。後、俺たちのものになる花嫁に、手を出そうとする天狗は、まあ……一族の中には、絶対に居ないからね」
 にっこりと優しい笑顔で微笑んでいるはずなのに、どこかゾッとする怖さを感じさせた伽羅さんに、私に言われた訳ではないのはわかってるけど思わずこくこくと何度か頷いた。
「伽羅。いい加減にしろ。何度も同じことを言わせるな。今日は、彼女が来ての初日で歓迎の宴だ。こちらの言いたいことを、並べ立ててどうする」
 多聞さんは自分より年少にあたる伽羅さんを窘めるように、そう言った。
「だったら、多聞と那由多の二人が漫才でもして楽しませれば良いだろ。俺は、聖良さんも知りたいって思うだろうことだから、言ったんだし。彼女は俺たちの何も知らないんだから、そうするべきだと思ったんだよ」
 気分を害したようにプイっと向こう側を向いた伽羅さんは、誰かがそこに居るのに気が付いたのか軽く手を振った。
 その先に居たのは、長い白い髪と赤い目を持つ綺麗な女性だった。
 何故だか、彼女は私の事をとても気に入らないと言わんばかりに、一瞬だけきつい目で睨んでから立ち上がりあっという間に大広間を出て行った。
「白蘭、来てたのかー……」
 彼女を見て独り言のように言った伽羅さんは、持っていたとっくりに直に口を付けてお酒を呷った。
「……あれは、相模坊様の娘。白蘭です」
 多聞さんは、あれは一体誰なのかなと心の中で思っていた私の疑問を先回りするかのようにして、そう教えてくれた。
「綺麗な、人ですね」
 なんていうか、白蘭さんは大人っぽく色っぽい妖艶な美しさを持っていた。私には、決して持ち合わせていないもの。
「……あの子は、珍しい女天狗ですからね。容姿端麗な者ばかりなのは仕方ないかと。けど、僕は聖良さんの方が、好みです」
 爽やかな笑顔で不意打ちのさらっとした言葉に、私の顔は一瞬で赤くなったと思う。それは、飲んでいたお酒のせいだけでは決してなくて。
「好み……」
「ええ。いくら可愛い可愛いと褒めたとしても、否定されるかもしれないんで。そう。僕の好みなんです。お嫁さんにしたいくらいに」
 さらっと初対面なのにそう言ってしまえる多聞さんが凄いのか、私が異性からの甘い言葉に慣れていないせいか。
「多聞、それは狡くない……? 俺にはもう喋るなって言っといて……自分は」
「争奪戦は開始の合図を待たずとも、もう始まっている。彼女の心が決まれば、聖良さんは僕のものだ。伽羅も……どこかによそ見している時間は、ないんじゃない?」
 多聞さんは素知らぬ顔でしらっとそう言って、伽羅さんは軽く舌打ちをした。那由多さんは、そんな中で我関せずに自分の前の膳を片付けていた。
 そっか。私を花嫁にするための争奪戦って、もう既に始まっているんだ。

第二話 https://note.com/machidori55/n/nb6a84d8c8146

第三話 https://note.com/machidori55/n/n09ed8e374b74

第四話 https://note.com/machidori55/n/n67552eaed8e0

第五話 https://note.com/machidori55/n/nc7e45d2e6782

第六話(完結) https://note.com/machidori55/n/n26b99d72e7b5



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