ぼくらのシャー芯戦争
別れは音もなく、唐突に行き逢うという誰かの達観した経験則は、私達には無縁だった。
私達のそこには、いつだって鼓膜を刺す波が空気を泳いでいたのだ。
私は物事に向き合う際、いつも彼に手を握ってもらっていた。心強い、なんて彼の存在を過小評価するつもりは毛頭ない。文字通り、私は彼が居なくては何も出来なかった。
彼は常に、私を支え、私の望みを叶えてくれた。軌跡を振り返らせることも、彼は忘れない。
彼が全てだった。
彼しか居ないと思っていた。
でも、一つだけ、彼に対する不満が這っていた。
それは、しかし、私にとって耐えられるものではなかったのだ。
-だから私は、別れを、決意した-
これは、彼と私の、いや、誤解なく詳細に語るとすれば、これは私とシャーペンとのいざこざを描いた物語である。
しかし、私にとってそれは「いざこざ」なんて些細なものでは決してなく、ここは大仰に「戦争」という文言を手に取らせていただく。
血生臭く、目を背けたくなる惨状が浮かび上がる、そんな非常に重い響きではあるが、この物語は、私にとってそれほどまでに、脳裏にこびりついて離れることはなかったという一端を少しでも感じていただければ、それで良い。
何故、戦争に至ったのか。
簡潔に、しかし、十全に皆様に届く表現をするならば、「ワタシ、筆圧ヤバイ」「シャー芯、メッチャモロイ」この二つに収束することとなる。むしろ、これ以上のことがあろうか。
一つずつ、手にとって眺めてみよう。
まず、私の筆圧であるが、一般的なそれと比べて、遥かに高い水準を常に保っていると思っていただいて、何ら事実と遜色ない。
試しに、近場に息づく文字を走らせる道具を一つ、形態は選ばないので、普段通り握っていただきたい。
この時点で、私はその数倍の力を以てして、それの首をギリギリと追い込んでいる。
そして、その渾身を紙面にぶつけるのが私のスタイルである。
ペンを手にとった時だけ性格が豹変する鬼武者。1ミリにも満たない紙相手にも敬意をもって全力で相手をするスポーツマン。
とにかく無駄なエネルギーを振るう地球環境の敵。加減を知らない生まれたてのゴーレム。無抵抗を相手にイキる雑魚。
などと両極端な意見が飛び交う中心にいるのが、何を隠そう私である。
ペンの持ち方は矯正される機会があるにしろ、筆圧を注意する教師はこの世にあるまい。その弊害によって産み出された魔物がここにいるのだ。
それを念頭に鎮座させ、二つ目の「シャー芯、メッチャモロイ」を手にとってみよう。
この事実を踏まえた瞬間、これはお前の筆圧が元凶ではないのかという、的外れかつ頓珍漢な意見をのうのうと宣う輩がいる。
その意見がほとんどを占めるという統計学は冥王星にでも飛ばして、私と向き合っていただきたい。
ちゃうねん。本当に脆いねん。
一般に市販されているキャンパスノートの一行を想像していただく。さて、私達はここに人類が培った文字という最大級の発明を刻む。
書き始めてみよう。
さらさらさら、という流れるようなリズムに水を差す輩。骨が折れるような音ともに、静寂を食い破る私のペン先である。
その一行の踏破ですら、私には遥か遠い場合が多々ある。
とにかく、折れるのだ。それは芯である。そこには心も含む。
不器用な自負は、物心ついた時からとうに済ませたつもりではあったが、しかし、ここまでとは杞憂すら生温いではないか。
つまり。
これは終わらぬ戦争の話であり、そして、遂に英雄の手によって終結した、私達の悲惨な歴史である。
前日譚はこの程度にして、終結までの試行錯誤を紐解いていきたい。
まず私は、頑丈なシャーペンの芯を求めた。
即ち。
折れない芯であれば、折れないではないか。
という脳筋丸出しの力こそパワーな考えである。
しかし、市販されているものに私の願いを実現したものはなく、友人からは「もうシャーペンじゃなくてボールペン使えば?」という身も蓋もない進言まで頂戴する始末。
私の旅もここまでかと思われた。
事実は小説より奇なり。
ことわざとは、遥か太古から連綿と続く生活の中で形成された教訓である。私は先人たちの知恵に脱帽した。
ゼブラ株式会社発売。
デルガード。
見よ、この謳い文句。
これほどまでに背中を押されたことがかつてあっただろうか。
このシャーペン、軸に内蔵されたスプリングと、先端の金属部品が自動射出により、芯を保護してくれるという。
まさに渡りに船。
こんなものがあったとは。
何かもう良く分からないけど、折れないならそれでいいじゃん。
これはもうイマジネーションが刺激されて広がって止まないこと間違いなしである。
すぐさま私は彼を手元に呼びつけた。
この行き詰まった状況の打破を要請したのである。
果たして彼は私の援軍に駆け付け、その力を振るってくれた。
そして、この鬱屈した争いを、誰もが彼なら突破してくれると笑顔を覗かせた。
しかし、まだ戦争は終わらなかった。
なんと、彼は三日間の命しか有して居なかったのである。何とも期間の短い時限爆弾であろうか。
届いて間もなく使用を開始したのだが、三日を数えた頃、全く芯が出なくなってしまったのである。
つまり、彼はこう考えたのであろう。
芯さえ出さなきゃ、芯って折れないじゃん!
彼は究極に至ってしまった。
もう訳が分からなくなってしまったのである。
本分を忘却へと追いやり、存在意義を見失ってしまった。
私はこう考えた。
芯出なきゃ、書けないじゃん!
当然である。
自明解である。
哲学を以てして状況の打破を目論んだ彼であったが、状況はむしろ悪くなったどころの騒ぎではない。
劣悪を極めた状況さえ作れなくなったのだ。
このままでは戦争すら続けられないと判断した私は、二本目の購入の決断を下した。
そして訪れたのは、今度は前回の五ミリのものとは変わって、三ミリの戦士である。
私は彼に希望を託した。
そして、その希望は、地へと還った。
何故か。
この三ミリのデルガード、とにかく折れる折れる。
もはやそういう競技ではないのかと疑う程に、次々と芯のおかわりを要求するのだ。
ぽりぽりぽりぽりと部屋に飽和する芯の散り姿は、巨漢がポテチを貪るが如くの速度を誇った。
そもそも、五ミリで耐えられなかったものを、三ミリが耐えられる訳がないという意見の豪速球が脳天を貫いた時には、もう全てが遅かった。
彼は破壊の限りを尽くし、私の部屋は、飛び散って行方の追えなくなった亡骸で埋めつくされた。
何処かにいるであろうそれらに祈りを捧げ、私は彼への憎悪で溢れた。
そして、状況は更に悪化する。
彼もまた、三日で天へと昇ったのである。
もはや呪いの類いを盲信する領域に至る寸前である。でなければ辻褄が合うはずもない。
もう自分が怖い。
触れるものみんな消えていく。
戦争は終わらず、涙と芯から流れた血が、大河を作ったその時。
遂に、英雄が重い腰を上げた。
歴史の転換点には、必ず英雄がいるものだ。
紹介しよう。
英雄のステッドラ-である。
物静かな、ある種冷酷ささえ感じるその風貌で、彼は私のもとを訪れた。
彼は確かにこう言ったのである。
-美酒の用意だけ、お願いします-
勝利の美酒は私が用意しますから、代わりに実物を用意しろ、という訳である。
彼はそれで乾杯しようというのだ。
この時、私は確信した。
戦争の夜明けである、と。
そして、宣言通り、戦争は終結の号砲を鳴らした。
芯は折れることなく、文章は止まるところを知らず。平和が、来訪した。
部屋の掃除をしていると、あの日の亡骸が発掘されることがある。その度に、平和を噛み締めるのだ。
ラブアンドピース。
アンド、フォーエバー。
これは、私とシャーペンの芯との、戦争の記録である。
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