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世界オンライン旅(4カ国目:ボリビア)

Off Line

ボリビアを訪れたのは2005年。もはや16年も前のことになる。

パラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、チリと旅した後、バスでボリビアに入国した。

今でこそウユニ塩湖は日本でもかなり知られる存在となったが、当時南米で知られた観光地と言えばせいぜい世界遺産のマチュピチュくらいだった。

南米を旅するに連れ、現地の人々や、宿で知り合ったバックパッカーからどこどこが素晴らしかった、どこどこへ行ったほうが良い、など情報を得て、そんな中で知ったのがウユニ塩湖だった。

ウユニ塩湖と言えば、地平線まで広がる水面に空が鏡のごとく映りこむ絶景が有名だ。しかし実は水が薄く溜まっているのは雨季のみ。一年の大半は水はなく、ひたすら塩の平原が広がっている。

おれが訪れたのは7月だった。通常ウユニ塩湖へはウユニの村からツアーで行くのが常だが、貧乏旅行であったため、自分でローカルバスを乗り継いで塩湖まで行くことを思いついた。

地元の人しか乗らないようなおんぼろのバスに乗り、途中何もない村で下車、そこから1時間ほどかけて歩き、ウユニ塩湖に辿り着いた。

たしかに、地平線まで真っ白な塩が広がっていて美しかった。しかし、そこは観光客向けの表舞台ではなく、現地の人々の生活の場だった。

地元の業者が塩を採掘しており、ダンプカーやショベルカーが走りまわり、盛り上がった数メートルの塩の山が点在していた。

塩湖の端には、小さな集落があった。観光客が訪れることなど皆無なのだろう。中学生くらいの少年2人は、アジア人のおれを見ると、文字通り目を丸くして驚いていた。一人の少年は、自分の家へ急いで走り、フィルムカメラを手に戻ってきた。そして、珍しい動物に遭遇したかのように、一定の距離を保ちながらおれを写真に収めた。

さて、ここまではオフラインの実際の旅の話。

On Line

今回オンラインで話したのは20歳のボリビア人女性だ。ボリビア第2の都市、サンタ・クルス・デ・ラ・シエラに住んでいる。

オンライン言語学習サイトで、英語でスペイン語を教えてくれる人を探していたところ、彼女が見つかった。

最初おれは自分が2005年に旅したときの思い出について話した。ウユニ塩湖のこと、首都ラパスや太陽や月の湖のこと。自分にとっては楽しい思い出だったが、彼女にとっては30代のおっさんが昔話をしているように聞こえたのかもしれない。

「あなたがボリビアに来たのは大昔でしょ。サンタ・クルスって、今はすごく都会なのよ、知らないでしょ。」

おれは苦笑した。会話を進めるに連れ、彼女はボリビアという国から出たがっていることを話してくれた。彼女はボリビアでは数少ないすべての授業をオールイングリッシュで行う学校の出だった。オーストラリアに1年留学したこともあり、英語に自信を持っていた。

一般にボリビア人はケチュア系やメスティーソ系の人々が多いが、彼女はヨーロッパ系の子孫だった。彼女は自分はオーストラリアかアメリカ、ヨーロッパで生活したいと話した。

会話の節々に彼女のプライドの高さが現れていたが、好きな歌手やYoutuberについて話すところは、普通の20歳前後の女の子だった。

「来週からブラジルにいる親戚のうちに行くの。ビーチの近くなの。いいでしょ」

日本は真冬だが、いま南米は常夏だ。

「ブラジルって、コロナ感染者増えてるって聞いたけど、大丈夫なのか?」

「うーん、まぁ大丈夫でしょ!」

それから数週間後、再度彼女のスペイン語レッスンを受けたが、半分くらいブラジルのビーチの話で終わってしまった。誰も屋外ではマスクをつけてないらしい。東京だとマスクしてないと白い目で見られるぞ、と言うと「なんだか大変ね」と同情された。


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