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【映画評】 ロベール・ブレッソン『白夜』 Vol.3(最終回)…回避する視線、分裂の視線…

《ロベール・ブレッソン『白夜』Vol.2…モデル論…》
の続編です。本稿が最終回となります。

某月某日の夜
本作特有の視線について。
覚書き(4) 性としての視線と性を回避する視線、そして分裂する視線
白くうすいネグリジェ姿のマルト。間接照明の灯に、彼女の姿がいくぶんシルエットのように浮かび上がる。ネグリジェから身体がうっすらと透けて見え、衣服を纏うことで、より身体が肌という表面性、エロスを露にする。彼女の裸足の足元のクローズアップがあり、白いネグリジェの裾がゆるやかにまくし上げられ、マルトの素肌が露になる。

ロベール・ブレッソン『白夜』-2

ネグリジェをベッドに投げると、まだネグリジェに彼女のぬくもりが残っており、スクリーン一面にマルトの肌が匂ってくるようだ。彼女は鏡に裸体を映し見る。鏡には露になった背中、腰、臀部が映る。少し身体を捻り、手を動かし、彫像のようなポーズをとる。そして彼女の乳房の描く曲線と腰から臀部への流れるような曲線。それはビーナス像を想起させもするのだが、ビーナスのような肉感的なフォルムではなく、より現代的な身体である。そこには、この美しい肢体を呈示するためにイザベル・ヴェンガルテンの身体は在る(これぞモデル論だ)のではないのか、そう思えるほどの息を呑み込む美しさがある。
さらに息を呑むのは、首を少し背後に捻り、マルトの頭よりやや上に置かれたカメラに視線を向けるときである。カメラとはわたしたち観客のこと。だが、マルトの視線はカメラからやや外れており、観客の眼は彼女の視線と交差することはない。交差することはないから、わたしたちはただ見つめる存在に過ぎず、それ以上の接近はできない。まるで夢想家のジャックのような記述なのだが、それには理由がある。

この挿話は、第2夜、ジャックにより語られたマルトの物語である。彼女が向ける眼差しが、カメラからやや外されているということは、語られる者であるジャックへの視線を回避する行為ともいえる。視線はどこに向けられているかといえば、フレームの外、つまり下宿人であった不在の恋人に向けられている。マルトにとり、ジャックは「あなたは優しい人よ」に過ぎず、裸体のマルトの視線は、ジャックへと向けられることを回避している。マルトの裸体とは表面にすぎないのだが、視線は内部からの放出する運動である。たとえ語りの中であるとしても、ジャックの前に裸体を露にしたマルトなのだが、しかし、視線を露出することを巧妙に拒んでいる。それは、視線とは突出する性の譬えであるからである。
二人の視線は決して交差することはなく、一方が見つめたとしても、他方は正面を向く。二人が互いに顔を向けることもあるが、視線は微妙に外れ、交差することはない。現れない恋人にマルトの気持がジャックへと揺らぐ第4夜、セーヌの川辺でジャックは彼女を抱き寄せると、彼女は両手をジャックの首に回しキスをする。ジャックは彼女の白い衣服の上から胸を愛撫し、次第に手は臀部のほうにすすむ。だが、マルトはジャックの手を拒む。そのとき、キスまでよ、と言わんばかりに、マルトの視線はジャックの眼差しには向けられていない。たとえ恋人への想いが薄らいだとしても、性の突出としての視線は、ジャックを回避しているのである。

本作において、視線と性とは同値である、といえないだろうか。
パリの街路で、ギターの演奏に立ち止まる最後のシーン。ジャックは月を見つけ夜空を見上げる。マルトにも見てごらんと促すが彼女は正面を向いたまま。空へと視線を向けるジャックと、正面を見つめるマルト。彼女の眼の前には、下宿人であった恋人がいたのである。ジャックとマルト、二人の視線は交差しないだけではなく、ここで分裂するのである。視線の交差をエロス、その分裂をタナトスと読み替えれば、このシーンはタナトスの世界であるドストエフスキーへのブレッソンの倫理と言えるだろう。

ロベール・ブレッソン『白夜』-5

その夜、ジャックはテープレコーダーに録音する。「僕は驚き酔いしれる。おお、マルトよ、君の瞳を燃やし、顔に微笑みを与える力はなにか。君の愛よありがとう。君がくれた幸せに祝福あれ」と。
燃えることのない瞳を夢想するジャックは立ち上がり、今録音したテープを再生しながら、床に置かれたキャンバスに向かう。カメラはジャックの背後を捉え、キャンパスに赤い色を塗る刷毛のこすれる音が、マルトについて語られたテープの再生音に重なる。
「親密さと遠さの物語」はここで終わる。

本稿終。お読みいただき、ありがとうございました。

(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)

ロベール・ブレッソン『白夜』予告編


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