日曜映画感想家_衣川正和

映画、ダンス、演劇、ときには音楽。それらを糸として織り込まれた布。そこにはまだ見ぬ世界…

日曜映画感想家_衣川正和

映画、ダンス、演劇、ときには音楽。それらを糸として織り込まれた布。そこにはまだ見ぬ世界としての襞があるはず。その襞を読み解く作業として考えること、書くこと。主に映画について書いています。 眠ってたって起きてるよ。稀にライターやってます。 過去形ですが専攻は数学(トポロジー)。

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    どんなに移動手段が発達しても世界のすべては見れないから、わたしは映画で世界を知る。

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    映画の路地を歩いていると、思わぬ所で写真に遭遇することがあります。 それは、ミシンと蝙蝠傘の不意の出逢いのように美しいのです。

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    文学について書くとは文字テクストによる文学テキストへの返礼。 なんて無謀な行為なんだ。

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《七里圭作品・鑑賞日記》 (1)

(見出し画像:『眠り姫』アクースモニウム上映「Kei Shichiri HPから」) 七里圭監督作品をすべて見たわけではないが、時間が許せば意識的に見るようにしている。私に七里圭論を書くほどの分析力はないが、どの作品も私の映画領域や認識を刷新するほどの不思議な力がある。 以下は、鑑賞した映画の断片をとどめておくために綴っている『映画日記』から七里圭作品に関する記述を抜き出し、《七里圭作品・鑑賞日記》としてまとめたものである。七里圭作品の特質上、アート全般を横断する論考にな

    • 《映画日記15》 滝口竜介の短・長編/ジャン=マリー・ストローブ/ファスビンダー/クルーゲ/ほか

      (見出し画像:濱口竜介『天国はまだ遠い』) 本文は 《映画日記14》 ゴダール『勝手に逃げろ/人生』、ドゥパルドン『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』、ほか の続編です。 この文は私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 また、地方に住んでいるため、東京の「current時評」ではなく「outdated遅評」であること

      • 【映画評】 ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』 アルジェの戦いとパリ滞在中のテロ

        (見出し画像:ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』) ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』(1966) 映画の内容について語る前に、アルジェリア戦争(アルジェリアのフランスからの独立戦争)を概観しておく。 本作に登場するマチュー中佐はフランスにおける反ナチ戦線を戦ったパルチザンのメンバーであり、ナチの抑圧からフランスを解放へと導いたメンバーの一人である。だが、植民地アルジェリアにおいては、反仏レジスタンであるアルジェリア民族解放戦線FLN(Front de Li

        • 《映画日記14》 ゴダール『勝手に逃げろ/人生』、ドゥパルドン『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』、ほか

          (見出し画像:ゴダール『勝手に逃げろ/人生』) 本文は 《映画日記13》枝優花、小田香、エミール・クストリッツァ、金子修二作品 の続編です。 この文は私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 地方に住んでいるため、東京の「current時評」ではなく「outdated遅評」であることをご了承ください。 わが家から遠いので

        《七里圭作品・鑑賞日記》 (1)

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          【映画評】 真利子哲也『ディストラクション・ベイビーズ』

          (見出し画像:真利子哲也『ディストラクション・ベイビーズ』) 真利子哲也『ディストラクション・ベイビーズ』(2016) 本作についての4つのメモ (メモ1) 暴力装置としての都市。都市の変化に時代の流れが侵入し気づくと予期せぬ姿が異和となって露わになる。そこには何かが介在しているのだけれど、それが何であるのかは分からないし、異和そのものが明確に姿を現すとはかぎらない。都市の相貌が総体として暴力装置と化す。もちろん、それが近代に入ってそうなったわけではない。それは村や町が

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          【美術批評】 Project〝Mirrors〟稲垣智子展

          (見出し画像:稲垣智子、ビデオ作品《桜》) Project “Mirrors” 稲垣智子展@京都芸術センター 会場は、京都芸術センターの「ギャラリー南」「ギャラリー北」「水飲み場」で展開された。 * ギャラリー南「はざまをひらく」キュレーション・高嶋 慈 《間―あいだ》(2011)ビデオ作品 似たような服装、髪型、背丈、顔つきの二人の女性A、Bがテーブルを挟み向かい合っている。Aは風の強い日にミサちゃんを公園で見かけたと詰め寄る。だがBは、風の強い日には公園には行かな

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          【映画評】 橋口亮輔『恋人たち』 救済ということ

          (見出し画像:橋口亮輔『恋人たち』) 橋口亮輔『恋人たち』(2015) タイトルから甘美な恋愛映画を想像してしまうのだが、橋口亮輔の『恋人たち』はそうではない。しかし、『恋人たち』というタイトルが裏切るわけではない。タイトルを嬉しく裏切ってくれた映画である、とひとまずここでは述べておこう。 これは紛れもなく恋人たちの映画であり、しかも甘美さを伴わない、恋人たちの残酷と隣り合わせの映画である。この場合の恋人たちとは、〈対〉という複数とともに、〈単独の〉という単数でもある。

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          【映画評】 大阪〈生きた建築〉映画祭 ガメラと浪華と色情と通天閣と

          (見出し画像:湯浅憲明『ガメラ対大魔獣ジャイガー』) 大阪〈生きた建築〉映画祭2015@シネ・ヌーヴォ。 腰掛けようとした椅子が実はなく、腰をどこに落ち着けていいものか、そのような驚きとともに宙吊りの感覚というものがある。大阪〈生きた建築〉映画祭2015上映作品のラインナップを目にし、それと同じような感覚を覚えた。 その日のTwitter(現X)に、「虚をつくプログラム、感動とともに驚き」とつぶやき、私の目は左右に軽く振動した。プログラムから大阪の身体が立ち上がり、まさ

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          【映画評】 湯浅典子『宇田川町で待っててよ』 BL、男の娘は神様の贈り物

          (見出し画像:湯浅典子『宇田川町で待っててよ』) 湯浅典子監督作品を見るのははじめてである。 自主映画『あの、ヒマワリを探しに』25分(2014)で福岡インディペンデント映画祭2014年40分ムービー部門グランプリを受賞しているという。 湯浅典子『宇田川町で待っててよ』(2015) が商業映画デビューとなる。秀良子の同名コミックの実写化である。 女装男子・八代に一目惚れする高校生・百瀬を演じるのは黒羽麻璃央。女装男子・八代を演じるのは横田龍儀。ともにジュノン・スーパーボ

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          【映画評】 デュラスを語る試み=編集すること。ドミニク・オーブレイ『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』『デュラスとシネマ』

          (見出し画像:マルグリット・デュラス) 《オール・ピスト京都2015》の一環として、ドミニク・オーブレイの2作品が上映された。 オール・ピストとは、2006年からパリ・ポンピドゥーセンター主催のもとに開催されている国際映像祭である。2010年から東京でも開催され、2015年から(2015年限定かもしれない)京都でも開催されることになった。 上映作品は ドミニク・オーブレイ『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』(2002) ドミニク・オーブレイ『デュラスとシネマ』(2

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          《映画日記13》 枝優花、小田香、エミール・クストリッツァ、金子修二作品

          (見出し画像:エミール・クストリッツァ『黒猫・白猫』) 本文は 《映画日記12》 濱口竜介、森達也、アンゲラ・シャーネレク作品、ほか の続編です。 この文は私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 また、地方に住んでいるため、東京の「current時評」ではなく「outdated遅評」であることをご了承ください。 * 再

          《映画日記13》 枝優花、小田香、エミール・クストリッツァ、金子修二作品

          【音楽】 ボサノバ、ユーミン、カーボ・ヴェルデの音楽

          (見出し画像:タチアーナのアルバム『あの日にかえりたい』) 新しく本棚を購入し、書籍、CD、DVDを整理した。部屋はいくぶんすっきりした。 わが家のCD。クラシック、ラテン系、フレンチポップス、日本のポップス。 ラテン系はタンゴとボサノバ。タンゴは戦前録音の歌入りタンゴ、ボサノバはジョアン・ジルベルト、カエターノ・ベローゾ、ナラ・レオン。 フレンチ・ポップスはミレール・ファルメール、パトリシア・カース、エンゾの女性陣ばかり。 日本のポップスは大貫妙子、元ちとせ、カヒミカリ

          【音楽】 ボサノバ、ユーミン、カーボ・ヴェルデの音楽

          《映画日記12》 濱口竜介『寝ても覚めても』、森達也『A』、アンゲラ・シャーネレク『はかな(儚)き夢』、ほか

          (見出し画像:濱口竜介『寝ても覚めても』) 《映画日記12》は 《映画日記11》三隅研次作品、ブルンヒルデ・ポムゼン、ほか の続編です。 この文は私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 また、地方に住んでいるため、東京の「current時評」ではなく「outdated遅評」であることをご了承ください。 * 濱口竜介『寝

          《映画日記12》 濱口竜介『寝ても覚めても』、森達也『A』、アンゲラ・シャーネレク『はかな(儚)き夢』、ほか

          《映画日記11》 三隅研次作品、ブルンヒルデ・ポムゼン、ほか

          (見出し画像:『ゲッペルスと私』) 本エッセイは 《映画日記10》アルゼンチンの監督マティアス・ピニェイロ(覚書) の続編です。 このエッセイは私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 * 三隅研次『大菩薩峠』(1960) 大映男優祭が開催されている。市川雷蔵主演作品を見る。 「女は魔物」。机龍之介の台詞なのだが、魔物

          《映画日記11》 三隅研次作品、ブルンヒルデ・ポムゼン、ほか

          《映画日記10》 アルゼンチンの監督マティアス・ピニェイロ(覚書)

          (見出し画像:マティアス・ピニェイロ『みんな嘘つき』) 本エッセイは 《映画日記9》瀬々敬久、ホン・サンス作品、ほか の続編です。 《映画日記》には日常の事柄(出来事に限らない)を書くこともあるのだが、おおむね、映画を見た印象を書いている。単なる心象にとどめることもあるのだが、できるならばもう少しその先へと進みたい。その先へとは自己と接続するということで、ただ映画を見るに過ぎない私を世界とより深くで触れ、自己のなかに世界を見出したいと思う。これが映画を見ることの意義であり

          《映画日記10》 アルゼンチンの監督マティアス・ピニェイロ(覚書)

          《映画日記9》 瀬々敬久、ホン・サンス作品、ほか

          (見出し画像:ホン・サンス『それから』) 本エッセイは 《映画日記8》キーレン・パン作品、 枝優花作品、ほか の続編です。 ライン(LINE)について考えることがある。連絡や近況報告で利用しているライン(LINE)ではなく、純粋な線としてのライン。それは、ティム・インゴルド『LINES ラインズ 線の文化史』(左右社刊)に興味を覚えたからだ。 わたしたちは夥しいラインを日常的に目にしている。ラインはラインそのものとしてあるのではない。ラインとラインが描かれた表面との関係を

          《映画日記9》 瀬々敬久、ホン・サンス作品、ほか