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映画、演劇、ダンス、音楽、マンガ……。 無指向性マイクのようにカルチャーを駆け巡りたい。そうすれば、これまで見えなかった世界が現れてくるはず。
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《映画日記19》 パリの映画日記

(見出し画像:今敏『千年女優』) 本文は 《映画日記18》三宅唱・中短篇集『無言日記2014』/『八月八日』/『1999』/ ほか の続編です。 今号は「パリの映画日記」としましたが、映画の話題はそれほど多くはありません。映画を期待すると肩透かしを食らいがっかりされるかも知れません。 なぜ「パリ映画日記」をnoteにあげようとしたのかというと、現在公開(私の住む京都ではという意味)されている奥山大史『ぼくのお日さま』(2024)を見て、彼の前作『僕はイエス様が嫌い』(2

【映画評】 加納土監督『沈没家族 劇場版』

(見出し画像:加納土監督『沈没家族 劇場版』) ボク(加納土監督)が1歳だった1995年、当時23歳だったシングルマザーである母・穂子が、「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」の考えの元、共同で子育てをしてくれる「保育人」募集のビラを撒いたことから始まったのが「沈没家族」である。「沈没」の名は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したことに母・穂子が腹を立て命名したとのことだ。 加納土監督によれば、「ボクが育った沈没

《映画日記18》 三宅唱・中短篇集『無言日記2014』/『八月八日』/『1999』/ ほか

(見出し画像:三宅唱『密使と番人』) 本文は 《映画日記17》記憶を復元する(Vol.2)蔦哲一郎/中村拓朗/イ・チャンドン/ジョナス・メカス/ほか の続きです。 この文は私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 また、地方に住んでいるため、東京の「current時評」ではなく「outdated遅評」であることをご了承く

《七里圭作品・鑑賞日記》 (Vol.3)小品集『時を駆ける症状』『ASPEN』『To the light』〈〈自己〉を見る自己〉

(見出し画像:七里圭『To the light 2.0』「Kei Shichiri HP」から) これは《七里圭作品・鑑賞日記》(Vol.2)の続きです。 2014年6月8日 七里圭特集《短編作品集5篇》@立誠・シネマ・プロジェクト 各作品1000字程度に収めました。 * 『時を駆ける症状』(1984)8㎜*デジタル上映 七里監督が、高校の文化祭上映に向け撮った初の監督作品である。 タイトルから誰もが想像するであろう筒井康隆原作による大林宣彦『時をかける少女』(198

【映画評】 深田晃司『ほとりの朔子』 湿度、エロスの映画

これからどのようなことが起きようと私はすべてを許すことにしよう。これまで、このような寛容を私は持ち得ただろうか。 暗闇の中で列車の走行音の持続があり、それからしばらく目の前には田舎の長閑な車窓風景が流れる。 少女が夏の光を浴び、列車の揺れにうたた寝をしている。 列車が停車し、「着いたよ」、と女の柔らかなオフの声が少女を目覚めさせる。 映画がここで終わってくれても私は満足だった。これから何かが始まるのだが、その始まりが何であろうと、そして110分後には終わるのだという予

《映画日記17》 記憶を復元する(Vol.2)蔦哲一郎/中村拓朗/イ・チャンドン/ジョナス・メカス/ほか

(見出し画像:ジョナス・メカス『Sleepless Nights Stories』) ある月の初日に書いた映画日記を、うっかりその前月の映画日記に上書きし、前月の記録がそっくり消えてしまった。 そこで、その月の私のツイートと記憶を頼りに、失った記録の復元を試みた。おそらく1/3くらいの復元となっただろうか。時系列による復元は無理なので、映画タイトル別・項目別復元を試みた。 今号はVol.2(最終回)です。 本文は 《映画日記16》記憶を復元する(Vol.1)メカス/ホアン

《七里圭作品・鑑賞日記》(Vol.2)『DUBHOUSE:物質試行52』

(見出し画像:七里圭『DUBHOUSE:物質試行52』) これは《七里圭作品・鑑賞日記》(Vol.1)の続きです。 作品タイトル以外に鑑賞した日付と会場を付した。それは、七里圭作品においては、同名の作品であっても、上映会場により内容が異なることもあり、また、上映形態や会場の光や音の回り方による印象の違いがあるからである。その意味で、七里圭作品ではタイトル、日付、会場は不可分である。 2014年6月5日 『DUBHOUSE:物質試行52』16分(2012)@同志社寒梅館ハ

【映画評】 蔦哲一郎『祖谷物語ーおくのひとー』 “上昇/下降”から「不在の映画」へ

(見出し画像:蔦哲一郎『祖谷物語ーおくのひとー』) あらかじめ附置されたイメージがただただ音響とともに流れてゆく。その行き着く先はモンテの破裂。ここには未知なるもの、つまりショットという暗闇がない。音響が暗闇を創出するわけでもない。音響はすでに暗闇にある。附置されたものの既存を確認する作業は虚しい。 これはアミール・ナデリ『山〈モンテ〉』(2016)の印象なのだが、この欧米的な「山」のありようと日本的な「山」の容態との違いに考えさせられた。日本的な「山」の容態とは、蔦哲一郎

《映画日記16》 記憶を復元する(Vol.1)メカス/ホアン・シー/アルフォンソ・キュアロン/ほか

(見出し画像:アルフォンソ・キュアロン『ローマ/ROMA』) 本文は 《映画日記15》濱口竜介の短・長編/ジャン=マリー・ストローブ/ファスビンダー/クルーゲ/ほか の続編です。 この文は私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 地方に住んでいるため、東京の「current時評」ではなく「outdated遅評」であることを

【映画評】 濱口竜介『ハピーアワー』第3部。眼の力、時間の接続から時間の不在へ

(見出し画像:濱口竜介『ハピーアワー』) 『ハッピーアワー』(2015)が公開され、もう何年になるだろうか。私のような映画に遅れてきた人間がいまさら語るのもどうかとは思うのだが、私自身の備忘録として、『ハピーアワー』第3部について、覚書程度のことを記しておきたい。 なにゆえに第3部なのか。 それは、30代も後半をむかえた気のおけない4人の女性たち、桜子、あかり、芙美、純と、その周辺の人たちをめぐり、核心に触れるシーンが、第3部の後半部分にあるからだ。 《眼の力》 文化

《七里圭作品・鑑賞日記》 (Vol.1) 『眠り姫』アクースモニウム上映

(見出し画像:『眠り姫』アクースモニウム上映「Kei Shichiri HPから」) 七里圭監督作品をすべて見たわけではないが、時間が許せば意識的に見るようにしている。私に七里圭論を書くほどの分析力はないが、どの作品も私の映画領域や認識を刷新するほどの不思議な力がある。 以下は、鑑賞した映画の断片をとどめておくために綴っている『映画日記』から七里圭作品に関する記述を抜き出し、《七里圭作品・鑑賞日記》としてまとめたものである。七里圭作品の特質上、アート全般を横断する論考にな

《映画日記15》 滝口竜介の短・長編/ジャン=マリー・ストローブ/ファスビンダー/クルーゲ/ほか

(見出し画像:濱口竜介『天国はまだ遠い』) 本文は 《映画日記14》 ゴダール『勝手に逃げろ/人生』、ドゥパルドン『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』、ほか の続編です。 この文は私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 また、地方に住んでいるため、東京の「current時評」ではなく「outdated遅評」であること

【映画評】 ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』 アルジェの戦いとパリ滞在中のテロ

(見出し画像:ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』) ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』(1966) 映画の内容について語る前に、アルジェリア戦争(アルジェリアのフランスからの独立戦争)を概観しておく。 本作に登場するマチュー中佐はフランスにおける反ナチ戦線を戦ったパルチザンのメンバーであり、ナチの抑圧からフランスを解放へと導いたメンバーの一人である。だが、植民地アルジェリアにおいては、反仏レジスタンであるアルジェリア民族解放戦線FLN(Front de Li

《映画日記14》 ゴダール『勝手に逃げろ/人生』、ドゥパルドン『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』、ほか

(見出し画像:ゴダール『勝手に逃げろ/人生』) 本文は 《映画日記13》枝優花、小田香、エミール・クストリッツァ、金子修二作品 の続編です。 この文は私がつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 地方に住んでいるため、東京の「current時評」ではなく「outdated遅評」であることをご了承ください。 わが家から遠いので