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「お手伝い」#とは ~実はその性質により分類すると「3種類ある」のではないか、という仮説~

「#とは だけで30本書くチャレンジ」
~No.25~

「お手伝い」って、日常的によく使う言葉ですが、あまり深くその意味を考えずに使ってしまっていることが多いのではないかな~と思います。

だから、新米パパが新米ママに「手伝うよ」って言ってブチ切れられてしばらく口きいてもらえなくなる、とかいう現象が発生するのでしょう。
(新米パパなら「しばらく口きいてもらえない」程度で済むでしょうけど、子どもが結構大きくなってるのにまだ「手伝うよ」って言っちゃうパパは熟年離婚される覚悟を固めた方がいいです)

また、育児関連の情報誌やWeb情報には、「子どもにお手伝いをさせましょう」と、よく書かれています。正直、親側からすると「手伝ってもらってるはずなのにむちゃくちゃ疲れる」現象が発生しがちなので、安易にこんなこと言うなよ(怒)と、私なんかは思います。これも、「お手伝い」という言葉の意味が曖昧だから起きる現象でしょう。

ということで、1度整理した方がよいと思うのです。
ここでは仮説として、「お手伝い」には3種類ある、として、以下、まとめてみたいと思います。

①ただ単に「手を貸す」という意味での「お手伝い」

例:チラシの挟み込み作業の「お手伝い」をする。

ただひたすらに、「作業する手」が足りない人がいて、その人の「やってほしい作業」をやる、というイメージ。

「ゴミ捨て」にたとえると、玄関にまとめてあるゴミ袋を、ゴミの集積所まで持っていくだけ。

明確に作業内容が決まっていて、「お手伝いする側」は、あまり脳ミソを使わなくて良い。言われたことをひたすらやるだけ。

逆に、「お手伝いを頼む側」は、かなり脳ミソを使って、指示の出し方を工夫し、自分がやってもらいたいことのイメージを丁寧に伝えねばならない。

「お手伝いを頼む側」の思考は「プログラミング」に近いのであり、ゴミ捨てやチラシの挟み込みのように単純な作業ならいいけど、複雑なものになるとバグが発生して「ぬおー!ちがーう!」ってなる。

手伝う側が「お手伝いします!何すればいいですか?」と尋ねるのは、自ら「私にプログラミングして♪」と要求するようなもので、相手に手間を取らせているという自覚が必要。

それでも頼む側からすると、猫の手も借りたい状況の時は、そういう「お手伝い」でも助かったりはする。
世の中意外と、「脳ミソ使わなくていい単純作業を好んでやる人」も結構いる。猫の手も借りたい状況になったら、潔くそういう人たちを頼ればいいと思う。

②一緒に「考える」ことも含めた意味での「お手伝い」

例:新規事業の立ち上げを「お手伝い」する。

明らかに単純作業ではなく、「お手伝いする側」も脳ミソをかなり使う必要があるパターン。

それでも「一緒に新規事業を立ち上げる」のではなく、「立ち上げをお手伝いする」と言っているということは、自分はメイン担当者ではなく、サブというか、補助というか、サポートというか、そういうポジションであるということ。それを宣言する意味合いを含むのが、こちらの意味での「お手伝い」。

新米パパの例でいくと、「自分も結構、脳ミソ使って子育てやっている!」と思っていても、「手伝う」という言葉を使ってしまうと「自分はメイン担当者ではない」と宣言することになり、結果、パートナーをブチ切れさせることになる。
子育ては2人がかりでもマンパワー不足に陥るので、夫婦ともメイン担当者となり、さらにそれ以外の人を、サブというか、補助というか、サポートというかの形で巻き込んでいく必要がある。「子育てのお手伝い」ができる人は、家庭の「外」にしかいない、と考えるのが妥当。

で。

主体的に判断し、考え、行動に移す。
誰かにプログラミングしてもらう必要は、ない。
しかし、そのそれの、メイン担当者というわけでは、ない。
その場合の「お手伝い」が、こちらであり……

「手伝って欲しいなー」と思う側にとって、本当に助かる「お手伝い」はこちら。

「ゴミ捨て」にたとえると、家中のゴミ箱をチェックしてゴミを集め、生ゴミは水を切り、風呂の排水口にたまった髪の毛も取って袋に入れ、資源ゴミは分別し、種類ごとに袋にまとめ、決まった曜日時間帯に出す!ということ。

「お手伝いを頼む側」が本当に楽になるのは、「プログラミング不要で、自分で考えて動いてくれる人」の登場。いかにしてそういう人に「お手伝い」を頼むか?が重要となる。運とか縁とか必要。

③子どもに対する教育的意図を含んだ「お手伝い」

例:子どもが料理の「お手伝い」をする。

「子どもにはお手伝いをさせましょう」と言う場合の「お手伝い」は、上記の①とも②とも異なる。

「子どものお手伝い」とはすなわち、「家事労働の体験学習」に他ならない。そこには明確な教育的意図があり、料理を手伝ってもらったところで、短時間で夕食が完成するわけではない。むしろ、1人で作った方が早い。

我が家が「お手伝いをしたからお小遣いあげる」をやらない理由はこれ。何ゆえ体験学習させてあげてさらに小遣いまで支給せねばならないのか。体験学習をさせてもらえるだけでも、ありがたく思ってもらわねば困る。

教育的意図をもって、子どもに「家事労働の体験学習」に繰り返し参加させることにより、最終的に上記②のような動きができ、自分で考えて行動できる家事労働の担い手に育てていくことが、目標となる。

…………

以上、何やらまとまりませんが、要は、この3種類のうちの、どれを今、自分は必要としているのか?を明確にしないと、「お手伝いしてもらう側」もストレスがたまることになりますよ、ということ。

結構、奥が深い言葉だと思うのです。
「お手伝い」って。

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「#とは だけで30本書くチャレンジ」、過去の記事はこちらのマガジンにまとめております。

明日はシリーズ「我が子育ての現場から」で、何かしら書きたいと思います。

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