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「偶然の種を撒く」#とは ~「プランドハップンスタンス理論」を、我が子の人生にも想定できるか否か、という難題~

「#とは だけで30本書くチャレンジ」
~No.3~

「プランドハップンスタンス」
……というキャリア理論をご存じでしょうか。日本語にすると、「計画された偶発性」とかそういう言葉になります。

ちょっと検索すると、詳しく説明してくれるサイトはたくさんあります。

これとか。

あと、この理論を具体的な事例から詳しく教えてくれる本もあります。

要するに、

キャリアの8割は予期しない出来事や偶然の出会いによって決定される

ので、

その予期しない出来事をただ待つだけでなく、自ら創り出せるように積極的に行動したり、周囲の出来事に神経を研ぎ澄ませたりして、偶然を意図的・計画的にステップアップの機会へと変えていくべきだ

という理論です。

私にとっては、その、「積極的に行動する」「周りの出来事に神経を研ぎ澄ませる」というようなことが、シンプルに言い換えると「偶然の種を撒く」ということです。

以前、少しだけキャリア理論の面白さについて書いたことがあるのですが。

今となってはもう、ほとんど中身忘れましたが(え?)、
「キャリア理論って、面白い」という漠然としたイメージだけは残っております。

数あるキャリア理論の中でもこの、「プランドハップンスタンス」という理論を知った時は、直感的に「これそのまんま私の生き方やん!」と思いました。
特にこの理論を実践するための行動指針として掲げられている5つの項目。

好奇心:たえず新しい学習の機会を模索し続けること

持続性:失敗に屈せず、努力し続けること

楽観性:新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること

柔軟性:こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること

冒険心:結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと

そのまんま、私の日々の心がけです。

で、この理論を知る前から、わりと天然でこれを実践してきた私の人生は、ここまでのところ、かなり幸せです。

とりあえず、いろいろやってみる。あんまり先のこと細かく考えずに、面白そうと思ったらとりあえずやる。つまみ食いではなく、ガチ挑戦する。やるからには全力投球。失敗しても、へこたれず次の行動の手がかりにする。
そして、それやってみてのあれこれを、周りにわりとワァワァ拡散しておく。
(noteもそういうののうちの1つ)

……すると、いろいろやってきたコトが自分の中でがモノになってきた頃に、「ナンバさん、こんな話があるんですが、やってみませんか?」みたいな感じで、偶然、次のステップにつながる話がきたり……
私自身が、「よし!一歩踏み出してこれやってみよう!誰か手伝って!」と思った時に、「それなら私、手伝いますよ!」という救世主が、偶然、現れたりして話が一気に進んだり……

まあ、そんな人生なのですよ。日々、「偶然の種」を撒いて撒いて、撒きまくって、たまたま芽が出てきたものをうまく収穫して、それを元にまた「偶然の種」を撒いて……そんな風にして生きてきたように思います。

で、この生き方、すっごく楽しいので、我が子にもこういう人生の歩み方して欲しいな~そのために私は、何をすべきかな~

と、

考え初めて、

ふと。

壮大な自己矛盾に気づいたのです。

子どもの人生を、親が「プランド」したら、その人生は「プランドハップンスタンス」に、ならないよね!!!

……という。

そう思って世の中を見渡すと、「必殺プランド固め!!」で子どもの人生を我が物顔に設計しまくり……
その通りにならないと、
やれ「だから勉強しなさいって言ったでしょ」だの、
やれ「お母さんの言う通りにしなかったからこうなってしまったのよ」だの、
あれこれ言ってイライラしている親の、なんと多いことか(「チコちゃんに叱られた」風)。

「偶然の種を撒く」、その手助けをすることはできるでしょう。「子どもにはいろんなこと経験させてあげたいの」と、様々な習い事に通わせたり、野外体験をさせたり、多くの人と交流できる場に参加させたり、皆さんいろいろと頑張っておられる。

そしてその、親が撒いて撒いて撒きまくってくれた「偶然の種」を、子どもの方は拾ったり投げたりほじくりだして捨てたり、いろいろと頑張っておられます。ええ。押し付けられた偶然の種なんて、そんなもんです。

……アカンやん。
全然プランドハップンスタンスっぽくないやん。「プランドすれ違いスタンス」やん。

相手は子どもなので、親の方から情報提供することは必要だし、先々力を伸ばしていくためのきっかけとなる体験をたくさんさせてあげることは大切です。それは間違いない。

でも、問題は、その先。
「ハップン」の部分(=予期せぬ出来事や偶然の出会い)を、
受け止める心構えが、親側にあるのか?

という問題です。
「偶発性」を許容できるかどうか?という難題。

子どもがいきなり、親側の「プラン」からかけ離れた、全く想定外のことをを言い出したら……
「何でやねん!そんなの絶対、許せない!何のために、これまで私は苦労してきたと思っているのーー!」
……って、なりますね。それが普通の親心。

具体例としては~例えば~
「野外体験とか国際交流とかさせてきたのに、結局引きこもりがちになった!(実は子どもからすると、インターネットを通じて活躍の場を見つけたというラッキーな展開だったり)」とか、

「中学受験塾に小1から通わせてきたのに、小6の秋にいきなり受験しないとか言い出した!(実は子どもからすると、受験勉強よりもやりたいことを見つけたというラッキーな展開だったり)」とか、

「大学に進学すると思ってたのに高3で突然就職するって言い出した!(実は子どもからすると、人間国宝に職人としての才能を見出だされたというラッキーな展開だったり)」とか。

そんなんですかね。子どもからするとラッキーな展開でも、親側の「プラン」をひっくり返されたら、たぶん、それを受け入れるのはなかなかに大変ですよね。

しかしそこを、あえて、乗り越えて。
どんな「ハップン」も、受け止めてあげる!
と、ハナから覚悟を決めて我が子と共に生きるというのは、いかがでしょう。
その方が、子どもは安心して、自分なりの「プラン」を組み立てて、人生を歩んでいけるのではないでしょうか。

なぜか、子どもに対して、綿密に「プラン」を立ててあげて、その通りに歩ませてあげるのが愛情、みたいな誤解が広まってる気がするのですが。
大事なのは、「プランド」の部分ではなく、「ハップン」のタイミングで、子どもを認めてサポートしてあげることではないでしょうか。

それをできる親になるためには、自分自身が「プランドハップンスタンス」な人生を謳歌し、「あの時、偶然の種を撒いておいたから、今、お母さん/お父さんは、こんなラッキーなことになったよ♪」と、楽しい人生を歩む大人の背中を見せてあげる、これが一番でしょう。

さぁ、自分のためにも、我が子のためにも、日々、Let's 種まき。そして何より、自分自身が幸せな人生を。

*****

物事を多角的に捉えて言語化することを目的とした「文章筋トレ」=「#とは だけで30本書くチャレンジ」。ちょっと今回は話がデカくなりすぎた……と思いつつ、じわじわと自分の専門領域の子育て関連に寄せてきてはおります。昨日予告を書いた時には全く考えていなかった内容になり、これもまた、プランドハップンスタンスな感じです(笑)

明日は、ちょっと趣向を変えて、シリーズ「パズル教室の現場より」で書きます。今回の話と関連する……かもしれないし、しないかもしれない話。

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