学びの順番って、大人が勝手に決めていいの?ほんとにいいの?
シリーズ「パズル教室の現場から」
~No.3~
学校には、学習指導要領があり、教科書があり、「○年生でこれを習う」「これを習ったあとに、これを習う」など、学びの順番はキッチリかっちり決まっています。
学習塾にも、それぞれ独自のカリキュラムがあり、それを無視して授業を進めると月例テストの範囲とずれて、親からクレームくるわ、子どもから恨まれるわ、散々なことになります(塾講師リアル体験談)。
公文式や学研教室などの自学自習型の勉強系習い事のプリント類も、基本的には学校で習う順番になってますし、「順番を変えて学ぶ」ということは原則としてできない仕組みになってます。「どんどん先に進める」ことはできるのですが。
で、私は、そこに疑問があるわけです。
世の中の「摩訶不思議」を、どこからどの順番で学んで行っても、最終的に必要な学習内容の全体を網羅できれば、それで良いのでは?と。
学びの順番を大人が決めて、みんなで一斉にその通りに学ばせることに、どれだけの意味があるの?と。
ある子にとって「理解しやすい」と感じる学び方の順番が、仮にあったとして。
それが他の子にとっても、また、あまねく全ての子どもたちにとっても、同時に「理解しやすい」と、誰が言えるのでしょう。
大多数の子ども、大多数の指導者にとっての、「都合のいい」カリキュラムや進度が、仮にあったとして。
それが「合わない」子の辛さや苦しみは、誰がどうやって救ってくれるというのでしょう。
落ちこぼれ、できない子、困った子、集団の輪を乱す子……
そうしてレッテルを貼られて苦しんでいる子は、ほんとにほんとにその子に合った順序で学びを進められれば、きちんと何でもできるようになる子かもしれない。もしかすると、他の子にはない才能を持つ天才児かもしれない。
それを思うと、大人が勝手に学ぶ内容の順番を決めるなんて酷だなぁ……少なくとも私は自分の運営する学び場でそれを強いることはできないなぁ……と思うのです。
私の運営するパズル教室の、「どれでも、好きなものからやっていいよ」というシステムは、そうした思いから生まれました。
一応、それぞれ難易度の設定があり、慣れるまでは易しいものからやるように勧めるのですが、通い始めたばかりの4歳児が大人も苦しむ難問に手を出しても、止めません。「これやりたい」と言われたら、とりあえず、やってみてもらいます。
すると、時に「マジで!?できたの!?」という奇跡が起きるのです。すっさまじい飛び級的な離れ技を、過去に何例も見てきました。
その1回だけだと単なる奇跡なのですが、その調子で本人が言う本人なりの「次はこれやってみたい」を認めてあげて、丁寧に追いかけていくと、結局、最終的に、「私が学んで欲しいと思っていること」を一通り網羅する形で進んでいってくれます。
誰しも「こういうのは苦手」「こういうのは得意」があるので、苦手なものは最後の最後まで残ってたりするのですが、それも成長とともにいつの間にか苦手を克服して乗り越えくれたりします(別に乗り越えることを強いたりはしないのですが)。
パズル教室を始めて4年半、ここまで250人?ぐらい?の子が入れ替わり立ち替わり参加してくれているのですが、誰1人として、全く同じ順番で進めた子はいないと思います。子どもの個性ってそういうことです。
今後、学校現場で、1人1台タブレット~とか、IT技術を活用して様々な学びを進められるような時代がくると思います。
技術的には、座学の学習内容は、「本人が学びたいことから、学びやすい順番で学んでいく」ということが、可能だと思います。
しかし技術的に可能でも、「全員一斉に、同じタイミングで、同じ内容を学ぶべきだ」という固定観念が学校現場を支配する限りは、その技術は生かされず、苦しむ子はいつまでも苦しむことになるでしょう。
全員一斉に同じタイミングで同じテストやるとか、それで成績つけるとか、もうやめれば?と、本気で思ってます。テストも1人1人の学んだ内容に応じて個別に自動作成してくれればいいじゃない。それぐらいできそうな気がします。そうすれば、順位とか意味なくなるし、よその子と比較して我が子叱るとか、よその子と比較して優越感に浸るとか、よその子と比較して無駄に親が焦るとか、そういうアホな現象もなくなるはず。
全員同じ内容のテスト受けるのは、最後の最後の、卒業の時とか、受験の時だけでいいじゃない。そこに辿り着くまでに、全範囲を一通り網羅する、という、ザックリした目標設定で、途中途中ではそれぞれ進度バラバラでもよくないか?
そして、学校は、運動とか、芸術とか、チームワークとか、総合学習とか、そういうことをやるのに一番力を入れればいいと思う。わざわざ年齢近い子どもが集まって、わざわざやる意味のあることに特化すれば。
夢物語かなぁ……
でも、もういい加減、新しい形の学び方を模索してもいいんじゃない?いつまで明治時代そのまんまみたいなことしてんの?と、思うのですよ。
コロナ一斉休校で、いろいろ激震が走って、混乱したり大人それぞれが様々なことを考えることになった2020年。あの苦しみを無駄にしないためにも、少しずつでも、より良い方向に進んでいって欲しいと願っています。
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シリーズ「パズル教室の現場から」、ほんとはこういう思いを文章化するためにnote始めたはず……なので、書けそうなタイミングで少しずつ書き綴りたいと思います。
明日は、昨日ちょっと思いついた新企画(?)、シリーズ「月曜日のお掃除日記」で書きます。なんじゃそりゃ~
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