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なぜ、その本を選ぶのか

いぜんに、「まだ読んでいない本」についての記事を書いたことがある。

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そもそも本についての文章を書くのであれば、いや、本でなくても映画でも漫画でもなにかに対して記事にするなら、ただ「こう思いました」と感想を書くだけでは味気ない。そもそも、思ったことをそのまま書くだけでは小学生の読書感想文とおなじになる。

必要なのは当然、「じぶんの考え」だ。

もちろん考えだけではなく、そこに体験をまじえて書くことでオリジナリティあふれる素敵な記事にきっとなる。ようは、僕がおもう書評記事というものは、本にかんする情報は最小限でいい。あらすじなどは今どき調べればいくらでも出てくるので、内容についてはもはや触れなくてもいいのかもしれない。

で、あればこそ。

「読んでどうだったのか」はもちろん大切にちがいないが、「なぜその本を選んだのか」についても個性をだして書けるかもしれないとあらためて思った。

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たとえば先日、蝉谷めぐ実さんが書いた『化け者心中』という小説が気になり、近所の図書館で予約をした。

なぜ、僕はこの本が気になったのだろうか。

タイトルも好きだし、表紙のイラストはもっと好きだ。

でも、いちばんの理由はほかにある。

それは、たまたまインターネットをつかって本や小説について調べていたとき。むかしからよく知っている「WEB 本の雑誌」というサイトのなかで「作家の読書道」という連載コラムをみつけて読んだ。

偶然の出会いか、僕は蝉谷さんの記事をえらび、ひとり勝手に親しみを抱いた。

本インタビューによれば、蝉谷さんは母校である早稲田大学の職員として働くかたわら、しごと終わりにそのまま図書館に22時頃までこもって原稿をしあげる毎日だという。

いぜん、書いた小説が賞をとり、朝日新聞にそのときのインタビュー記事がのっているのを読んだこともある。そこにはたしか、こう書いてあった。

「小説の奴隷になったつもりで書きつづけます」

好きなことを好きなだけしらべて言葉にする。作家っていいなぁ、かっこいいなぁ。

多かれ少なかれ作家はそういうものだとおもうのだが、これを読んだ僕は「この人の本を読みたい」すなおにそうおもったのだ。

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僕のなかで、作家の個性や人間性というのは本をえらぶ基準の最後のとりでになっている。

どれだけ賞をとったり、おもしろそうな本であっても、書いた人間に不信があれば読みたくはない。AIが書いたものに興味がないのもそのためだろう。

きっかけは人によっても、本によってもさまざまだが。すくなくとも僕のなかでは「憧れる人の文章やスタイルを盗みたい」という欲望まる出しな感情がベースにあるからだとおもっている。

つい先日も、これはnoteにおいても僕のなかで永遠の目標なのだが、「美しい日本語を駆使して書きたい」「ながれるように読める文章を書きたい」そうおもい、三島由紀夫を手にとった。

読むことでほんとうに吸収できているのかはわからない。ただ少なくとも、書く立場からすれば「やっぱり選ばれる人になりたいなぁ」と腹の底から声を出して言いたい。

だれかのなにかの役に立つ文章を書ける日がくるまで。

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