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極楽往生。歴史の厚みに、思いを馳せる【平等院】

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中学校の修学旅行、友達との京都旅行、家族との京都旅行など。これまでいくつかのタイミングで足を運んだ、ここ平等院。そのたびに、「はぁ、人が多いなぁ」とためいきがもれることも多々あった。

だから、今回は、平日の午前中から行ったのだけれど、これがもう大当たり。やはり、有名どころは、平日の朝から行くにかぎる。

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この平等院は、平安時代の大権力者・藤原道長のむすこである頼通が、父の別荘を寺としてあらためたのがはじまり。ときは、末法思想の世。現世からはなれて、御所からもはなれて、この遠い宇治の地で“浄土の世界”をつくりたかった頼通のきもちがここへ来るとよくわかる。

いや、子どもの頃はもちろんそんなことはかんがえもしなかったのだが、大人になったいま、“田舎のなかの華やかさ”というか、この阿字池あじいけをまえにすると、どこかふわふわと浮いてしまっているかのような感覚がある。

そして、ここのすごさはなんといっても、“宝の山がこれでもかというほど残されていること”。国宝の、“鳳凰堂”はまさに極楽往生の集大成。そして、なかにあるのが、国宝“阿弥陀如来坐像”、52体の“雲中供養菩薩像”や、豪華きわまる“天蓋”などなど。

現在は非公開だが、鎌倉時代に建てられた“観音殿”も重要文化財となっている。となりの藤棚と(季節があえば)相まっていいのだろう。

国宝の“梵鐘”もあらためて見て、圧巻のうつくしさだった。よく見てもらうとわかるのだが、ひじょうに細かい装飾が目を引く。

さらには、鳳凰堂のてっぺん両端にある“鳳凰”もまた国宝である。

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そして、おもう。「こんなに雨風がふきっさらしで大丈夫なのか?」と。

その疑問は、併設してある“ミュージアム鳳翔館ほうしょうかん”で解決した。学芸員のお姉さんにたずねてみたのだが、「きほんてきには外にあるものはレプリカで、守りつたえるべき宝をこの鳳翔館で保管をしている」とのことだった。

なかは写真撮影は禁止なのだが、拝観料600円にここの入場料もふくまれているのでお得なきもちにもなる。

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京都は、歴史の断層である。

先ほどの“鳳翔館”での話もそうだが。平安時代の建物や芸術品がいまでも“残っている”というと他人事だけれど、そこにはかならず“守ってきた人たち”がいることを忘れてはならない。

時代がかわれば新たな歴史が積み重なる。源平合戦のすこしまえに活躍をした源頼政は、平等院の敷地内のこの“扇の芝”で自害をした。

墓も、境内のなかにあります。

この世を嘆き、でもこれだけの財力と権力で平等院を建てた人がいる一方で、平氏にやぶれて志なかばで倒れた人もいる。けっして交わることのない人間どうしの痕跡が、こうして同じ場所に立っていることの奇跡をおもう。

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