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【教育】 AIが自動翻訳してくれる時代に、それでも外国語を学ぶ意義とは

産休に入る前、私が仕事をしていた頃も英語が出来ない後輩がDeepLを駆使して流暢な英語でバリバリとメールのやり取りをしていました。なんなら、そこそこ英語できる人が自分で考えて打ったメールよりもよく出来ているしコミュニケーションもスムーズ。そんな時代。

社外メールの殆どが英語の弊社で、英語苦手な人でも働けるようになった。いい時代だなと思います。

一方で、だからもう言語学習はオワコンなのかというとそんなことは全然ないとも思う。やっぱり外国語を学んで話せるようになる事はとても大きな意味を持つと感じています。今日はその理由についてまとめてみる。



多言語理解で脳を拡張する

一口に言語学習の意義といっても、切り口は色々ある。AIに取って代わられるから必要ないとかあるとかというのは主には「役に立つかどうか」という視点なのかなと思う。でも、人間が生きていくうえではそういった部分以上に自分自身がどういう支店で物事を見ているのかによって、本人の幸せとか人生の充実度って変わるのではないかなと思う。

前にも英語の良さについて書いたことがある。

そこでは、英語ができる利点として、情報量の違いをあげた。英語を話せるとそれだけで得られる情報量が段違いに増えるよ、という内容。

それと近いとも思うのだけど、言語が二ついじょ出来ると脳が拡張されるような感覚がある。

どういうことかと言えば、例えば雪国のある国で使ってる言語では雪の種類を表す言葉がいくつもあるけれど、温かい国の言語ではそんな多様な表現はない、みたいなケース。前者の言語では後者の話者には無い雪に関する、より細かい複数の概念が存在する。

人間の思考は言語に規定される

サピア=ウォーフの仮説

これは単語レベルだけではなくて、文法の構造や種類などもふくまれるかと思います。例えば、英語で言うと時制は過去・現在・過去とある。でも日本語は実は二つしかない。文法レベルで言えば現在形と呼ばれる類のものと未来形と呼ばれる類のものは日本語では同じ。厳密に言うとその呼び名とか、性質とかは定義されているのだけど今回は割愛。端的に言うと、つまり、同じように見えても実は英語と日本語では時間の捉え方が結構違うということなんです。日本人は時制が当たり前になっているので、その違いを強く自覚することはもはや無いのかもしれないけれど、言語が思考を規定するならば、無意識レベルで結構な影響をもたらしているはず。

そういう違いが言語によってそれぞれあるので、多くの言語を知っていればいるほど、世界を認識するためのフィルターが細かくなるというか、精度が上がるというか。そうすると、見えてくる世界は断然違うものになっていく。

より解像度の高い世界を見られるということかなと思います。


人は同じ言語を話す人に親近感を覚える

旅行やビジネスでの実務的な部分では、自動翻訳などを活用しても多分これからは全く過不足なくコミュニケーションは取れるかと思う。

でも、人と人との関わり合いとして考えた時には、やっぱり同じ言語を話す人として見られるか、そうではない(けれど翻訳を通じて話せている)人として見られるかで、相手に対する印象も変わるかと思う。

日本人が誰もいないような海外の辺鄙な土地で、ちょっとホームシックに陥ったりしていた時に思いがけず日本人に出くわしたとしましょう。その時の気持ちって、ものすごく嬉しいというか救われた気分になると思いませんか?その人がどんな性格のどんな人かはともかく、同じ言葉を喋る人に出会ったらそれだけで「あ、この人は同志だ」と思えるというか。

これって結構ビジネスの場でもよく遭遇する。英語話者の人が、英語ネイティブでない人が殆どの場所で英語で会話していて、意思疎通は滞りなく出来てるんだけど、その場に別のネイティブ(orネイティブレベルな人)が加わったらなんか一気に場が和んで話が弾むとか。

あとは、例えば海外に行った時にその場所で真剣に日本語を勉強してる人に出会って、日本語で話せたとしたら、その人に対して親近感を覚えやすい。私の母語を学んでくれてありがとう、と思って嬉しいというか。


細かなニュアンスの違いは、AIでも実現可能

もう一つ、言語を直訳した時に違和感がある部分として、その言語独特のニュアンスや伝え方の違いがある訳だけど、その違いによって翻訳では伝わらない部分というのも多少はある。

有名どころでいうと、こんな映画もあるよね。

この映画は名作です。

でも、この伝わらない部分というのも、今後はAIのちからで限りなく埋められて行くようになるんじゃないかなと思う。現に、DeepLでは結構ここらへんのカバーも出来ている。それは今後のさらなるテクノロジーの発展に期待していいのかなと思います。言語を学ぶ意義はひとつ減ってしまう訳ではあるけれど。

逆にAIによって我々の意識の変化は起きるのか

ひとつ疑問に思っていることとしては、今後AIが発展して、いよいよ自分が話してるのと同じくらいのレベルで外国語を使いこなせる日がきた時、私たちの認知や思考の部分では何か変化があるのかということ。つまり、自分はあくまでもその外国語を話せない訳だけど、AIを駆使してその言語をほぼネイティブレベルで使いこなせるようになったら、私たちの物事の見方とか考え方とかも変わるのかなぁ?って。

例えば、日本語ではものすごく何の気なしにみんな「すみません」とか「ごめん」っていうけど、アメリカではそんなに軽々しく謝罪はしないけど、日本人もAIで英語を使った時に謝らなくなるのかな?みたいな感じというか。

こういう事は哲学の分野で色々と研究されてるのかもしれない。もしこのテーマで私の疑問に答えていたり、ちょっと違うけど面白い事が書かれてる本を知ってるよ!という方がいたら、ぜひ教えてください。

では。

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