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つらい時こそ、お茶の時間を確保する

どんなに忙しいときも、つらくて悲しいときも、食事がのどを通らないほど気分が落ち込んでいるときも、体調が良くなくダウンしているときも、どんなときも、お茶の時間は持て、というのがじいちゃんの持論だった。


学校の図工の授業で頑張って作った作品、ポムのクリアボックスを、いじめっこに破壊され、落ち込んでいた私に、そっと「飲め」と差し出されたお茶。一口飲んで、ほっとしたところで、「落ち着いたか?」とおだやかなまなざしを向けてくれた、じいちゃん。小学生だったけれど、あの時のお茶のあったかさと、清々しい香りと、ほっとするまろやかな美味しさは忘れられない。


それ以降、悲しいことやつらいことがあったときほど、お茶を飲む時間を積極的に確保しようと心に決めている。どんなに気分が落ち込んで、食欲もなく、なにもする気が起きなくても、お茶だけは、必ず、飲む。


イギリス留学時代も、その教えを守っていた。

つらいときほど、お茶を淹れて、飲む。

忙しくても、10時と3時にお茶の時間を、5分だけでも取る。

イギリスの紅茶文化にすっと馴染めたのは、じいちゃんのおかげかもしれない。


たかがお茶の時間、されど、お茶の時間。

じいちゃんのお茶の時間の習慣の大切さと効果を実感したのは、中学受験の小6の夏だった。

連日12時間以上勉強することを自分に課し、毎日ひとり勉強に取り組んでいた私に、「おーい、お茶だぞー」と毎日お茶の時間を確保してくれていた。

正直「うざいな」と思うときもあったけれど、あの時間があったおかげで、気分がリフレッシュしたし、気持ちが切り替えられて、集中力が高まって、効率が上がっていたんだと思う。

8ヶ月ほどの短期集中型の受験生期間だったけれど、無事第1志望の学校に合格し入学できたのは、両親はもちろん、弟や、じいちゃんのサポートがあったからで、心から感謝しかない。


じいちゃんには、自分に与えられた自分の時間と自分の持つエネルギーの使い方と配分の仕方を学んだ。

自分で自分のごきげんをとる方法と自分のペースで取り組む物事の進め方は、結果、自分が望む成果を手に入れる方法でもあった。


ひとときのお茶の時間。


じいちゃんが飲むのは、いつも緑茶だった。コーヒーや紅茶ではなく、日本人なら緑茶を飲めと言わんばかりのこだわりだった。

湯呑に注がれたお茶の、クリアなグリーンの水色と、澄んだお茶の香りは、イライラするほどではない何とはない心のもやもやを、そっとふき飛ばしてくれる効果があるように思う。

※じいちゃんは鳩サブレーやマリービスケットの時の飲み物は牛乳がお供だったが、お菓子を食べたあとで、たっぷりのお茶を飲んでいた記憶がある。

じいちゃんは、入院していた時も、お見舞いに来た私たちに、「茶を飲め」とお茶を勧めていたっけ。病院ではペットボトルだったけど、じいちゃんを囲んでお茶を飲みながら、いろいろよもやま話をしたっけ。

どんなに忙しくても、お茶の時間を確保する。つらくて気分が落ち込んだときほど、いっぱいのお茶を飲む。

仕事に翻弄される今だからこそ大切にしている、じいちゃんの教えと習慣だ。

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