自分が決めたことを自分でやるだけ
ちょっと気になることを3つ羅列する。
①どんな人間として生きたいか。
②どんな人生を送りたいか。
③どんな風に生きたいか。
どれも似ているようで、でも何となく少し違う。
ブログを書き進めてみたら、それらの微妙な違いが分かった気がした。それらが一体、【どのタイミング】に対して思うのか。それが、個人的に違うことを発見した。
①【今】どんな人間として生きたいか。
②【将来】どんな人生を送りたいか。
③【漠然だけど常に】どんな風に生きたいか。
あくまでも私の持論だけど、上記の3つの疑問について。それぞれ下記にて、私のエピソードと共に発信していく。
①【今】どんな人間として生きたいか。
私が思う答えは【お金よりも時間を上手く使える人間】な気がした。どうして急に、こんな天秤にかけたような思考になったのかは、自分でも不思議だ。でも、それに納得する自分がいるのは確かなんだよね。決して間違っちゃいない話。
ただ、私は、【お金を沢山稼いで、存分に自由に使って生きたい時期】は、『1度通り過ぎた』気がしている。お金は、もちろん沢山あるに越したことはないと思う。けれども、私は、前の会社では満足するくらいのお金を稼いでいた自覚がある。それなのに当時の私は、【有意義な使い方】を知らなかった。【とにかく貯金すること】しかしらず、『たまに贅沢するくらいで満足』して過ごしていた。
そんな私が、いざ、【有意義な使い方】を知った頃、丁度、転職した。自ら進んで、【稼ぎも責任も少ない会社】を選んで。だからこそ、散々苦しんだんだけどね。
そして今は、【旦那の稼ぎを主とした生活】に移行しつつあるって状況。だから、【私の稼ぎ】なんて無くても、きっと生活は成り立つと思う。更に極端な話だけど、たぶん私は、【沢山稼ぐこと】に拘らなくても。『それなりに生きていけるのかもしれない』とさえ思った。
『なぜ沢山お金が欲しいのか?稼ぎたいのか?』と、私は散々向き合った。ブログにも何度も残してきた。色んな思考を巡らせた結論、そのタイミングが【今じゃないだけ】って思って納得した。もちろん今もそう思ってる。ただ、『なぜ?』の答えはきっと、最近改めて気づいた。私は、【お金を満足して使える人間】とか【責任ある仕事に見合ったお金を稼げる人間】として『生きたい!と思っただけなのかな』って。
でも、今の私は、【家事と仕事の両立ができる人間】になりたいんだよね。そう思って転職した訳だし。正直、なかなか満足してばっかりな仕事環境だって思えない時もある。家事に目を向けた時も、ぶっちゃけ『時間があったら』もっと余裕持って『色んなことが出来るのになぁ』とか、考える時もある。【実際にやる保証もない】のに『思うだけ』だから、これまた【無責任】で【なんの根拠もない話】なんだけどね。
でも、私は、【家事と仕事の両立ができる人間】として生きたい!って思ってる。だから、どちらとも【バランスを保っている状態】が私の理想なんだよね。そして、【そこに必要なもの、大切だな】って思うもの。それが、私は【時間】なんだろうなって思ったんだよね。
【お金】は、会社の利益になるように働けば、働いた分だけ(自分が満足度は別として)稼げるはず。
でも【時間】って、『何もしなくてもある』ってことに、今更改めて思ったんだよね。だから、自分で【自分の時間】を『どう作るのか?』『どうやって効率よく使うのか?』みたいなことが『重要なんじゃないか?』って。要は【自分次第】ってやつ。
【お金を稼ぐ】ってことはさ、その分【時間の拘束】が絶対的にあって、『自由が効きにくい』ってことだよね。正社員とか役職者とかなら尚のこと、その責任の分だけ拘束も増えるイメージ。
そんな中、私は、仕事に対する【時間の拘束】や【責任】ってものを【必然的に減らす働き方】を選択した。その目的は、言うまでもなく【自分の時間】を『作る』ってことなんだけどね。【自分の時間】を作って、【家事をする時間】に当てたいってこと。『気持ち的にも時間的にも、余裕を持って両立したい!』みたいなこと。
実際、仕事をしている分、どうしても時間に限りはあるよ。けれど、【家事と仕事の両立ができる人間】として生きたい!っていう私の気持ちは、今既に十分に叶っている。
②【将来】どんな人生を送りたいか。
正直、【どんな人生】に対する答えって、正直、個人的に重い気がしている。今29歳の私が、『未だ見ぬ将来を見据えて答える』みたいな気持ちになる。別に、『きっと変わっていくんだろうな』なんて思う質問。自分で疑問に思って自分で答えている私。
過去も今も将来も。私は、いつでも何かと【変化や刺激に敏感な人間】だと思う。そんな【変化や予期せぬ出来事】に対して、【少しでも柔軟】に【乗り越え続ける人生】が理想なのかもって、率直に思う。そして、【常に自分】を持ちつつ、周りの【信用できる人達】を、今改めて作りたい。別に、今全くいない訳じゃない。けれど、今よりも更に、【お互いに理解・尊重し合える人間関係】の中で、『私の今後の人生を送りたい』気持ちになった。
③【漠然だけど常に】どんな風に生きたいか。
きっと、少し前の私なら『周りの人を大切に』とか『どんな時も助け合って』的なことを思っただろうと想像する。けれども、今の私が率直にイメージする印象は、確実に異なる。【自分】が、【強く】とか【逞しく】とか【自分を大事に】とかってことだ。要は【自分に焦点を当てた生き方】を大事にしたいって話。どんな時も自分が大事にしたいものを大事にし続けるとか。どんなことでも自分が納得して生きるとか。それが、『どんな風に生きたいか』の【私の答え】であり、【常に意識したいこと】だと強く思う。
上記の3つの考え方について。個人的に思う共通要素は、シンプルな話、【自分で決めたことを自分でやるだけ】ってことなのかなって思う。【自分で決めたことを自分でやるだけ】ってことが、実は、今回のブログで1番主張したいこと。なぜならば、『どんな?』に対する答えは【全部、自分次第】だと思うようになったから。
【周りの人や環境の変化】に振り回され過ぎずに【自分次第】で、『どうとでも乗り越えて生きる!』みたいなこと。【周りの人や環境の変化】に対して、【自分】が【受け入れる】のか【納得する】のか。それとも、【モヤモヤし続ける】のか【投げ出す】のか【我慢する】のか【苦しむ】のか。
それらの【主導権】は、間違いなく【私】だよ。【私は、私以外の何者でもない】から。【私の人生】【私の生き方】【私が生きたい私】ってことよね。だから、結論【自分で決めたことを自分でやるだけ】ってな話なのかもって話。
いくら【自分】で『悩んだり考えたり苦しんだり』しても。また、【自分以外の誰か】に『相談したり甘えたり頼ったり』しても。【最終的に答えを出す】のは、【決断する】のは【私】だってこと。それを理解するようになってからは、世の中、『意外とシンプルなのかも』ってな気持ちにもなる。難しく拗らせてしまっているのは【私の価値観次第】ってこと。そんなことも、今なら笑って納得する。
私は、そんな思考を初めて覚えて、意識するようになった。だからこそ、【自分で決めたことを自分でやるだけ】っていう意味も、初めて分かった気がしている。これこそ間違いなく【自分次第】で【どうとでも出来る生き方】だと私は思える。
実際は難しいし、『それが正解か?』と聞かれたとて、『確実に正解とは限らない』と思う。けれども私は、【私の中の正解】を求めたい。
『今の自分に足りない』と自覚している【自己決断力】【自己責任】【自己解決能力】等の言葉を胸に、私の課題として、意識して生きたいと思っている。