ほとんどの医者には感謝しています。(気持ちの整理)
ほとんどの医者には感謝しています。
だって、初診の時に極初期に診断がついて、直ぐに治療、それも国内で最高の治療をできたから。
いや、正確には、当時世界で最善の治療とされているものを受けられ、病気は早期に寛解した。
その後別の疾患になった時も、早期…進行が速かったから、早期と呼べるかは、微妙か。
しかし、速やかに診断し、慎重に、でもその時考え得る最善手で攻めた。
色々あって、辛いこともあったが、それはやむを得ないことだった。
そもそも、生存例の報告すら無い時に、しかもあそこまで状態が悪い状態に至っていても、快復できたのは、一重に医師らと看護師ら、そして家族や友人のおかげだと思っている。
その後もまぁ色々あったが、基本的には感謝している。
最善の治療を求め、リスクは許容する姿勢だった私と、意見の食い違いがあった時もあったが、結果的に上手く行き、最終的には感謝している。
オープンに議論することが良しとされている文化なども、相まって良い方に働いたかもしれない。
ただ、手を抜いたな(手を抜かれた)と感じることは、やはり憤りを覚える。
こっちは命や人生がかかっている。
必死に最善を求めるのは当然だと思う。
だって、快復したいと思うのが人間でしょう?
そして、以前上手く行ったやり方が、まだ認可が降りてないとか、適応外処方で、それは保険が通らないから…というのは理解できる。
非常に悲しいが、それは医者の責任ではない。
しかし、そのような理由なくして、以前必要だったちょっとした工夫を怠惰でしないとか…(そもそも伝わっていなかったら、しょうがないのだが)
できるのに、やらない。
それも、やむを得ない理由ではなく、その人の限界とかではなく、なんだかよくわからない理由で、「治療に興味がない」とか、「悪くなってから考える」というのはなんだか…悔しい。
なんだろう。適当にあしらわれて、過去最悪の結果になってしまった場合、納得するのは難しい。少なくとも、私はそう感じる。
それで、少なくとも人生は一変したのも大きい要因だろう。
表向きは色々やっててよさそうでも、公式の使う順番を間違えてたら、正しい答えに辿り着けないのと同様に…
小数点以下2つで四捨五入をするのと、億のくらいで四捨五入するのとでは、答えが変わるのと同様に…(6千万…130円60銭はと1億円では大した差だろう)約1億の宝くじが当たって、6千万も四捨五入したら1億だから、と6千万当たったことになる時の気持ちだろう。
端折ったらマズイことというのはあるのだ。それが…何回も伝えたはずが、なぜか結果的におかしなことになるのは、やるせない。
まぁ、急患として緊急入院が必要になる前に、私がもっと慎重に調べて、対応していなかったのは問題だろう。
なんだか悔しい。
今まで、大学病院で、診れないということはなかった。正確には、難しくとも、その時の最善策で切り抜けられないことはなかった。
ある意味では、恵まれていたが故、慎重さを欠いた行動をとっても「大丈夫、どうにかなるでしょう。診れないわけないよね?」…と…安直な考えになっていたことはあるだろう。
一番は、きっと自分への憤りなのだろう。
適当な医者にあたってしまったのも(その人はそんなに悪くはなかったのかも?しれない)、自分が下準備を怠ったが故。
すると、全ては自己責任なのかもしれないが…
まぁ、性格やシステムも含めて、それが彼らの限界だった。むしろ頑張ってくれた方なのだから、感謝する必要がある。
こう考えるべきなんだろうな。
彼らは各々が自身のベストを出し切った。最高のパフォーマンスをそもそも出せるかも、本人の能力だ。
全ては神の思し召しと、全てを受け入れられるともっと楽に生きれるんだろうな。
色々あるのが現世なのだから、色々な思いに溢れるのも生きる者の定め。
悔しいとか、そういった感情のない順風満帆な人生なんてない?いや、逆に生きてる実感が湧かなくて、内心なにかを追い求め続けるのかもしれない。
ハハ、それで登山をする医者が案外多い地域もあるのかな?さらなるチャレンジに心が躍る、自然の美しさ、運動の気持ちよさ、皆で登る楽しさ、色々相まっているのだろう。
まぁ、諸々これでいいのだろう。
私は私の山を越え、楽しみながら登山をすればいいのだろう。
怯えて行動するべきではないが、慎重さは重要だ。
色々…自分で墓穴を掘らずに、全力で進もう!
ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。