【ショートショート】 私だけの星空を
自転車の、荷台に二人乗りで座ることが好きだ。
行き先を運転する人に任せて、ぐんとペダルを踏む感覚をその人の背中越しに感じる瞬間は、いつだって私をわくわくさせる。
前は、見えない。
正面を見ると、自転車を漕ぐ君の背中が視界いっぱいに広がっているだけ。その事実もまた、私をたまらない気持ちにさせる。
車ではいけない。あれは、乗っている人間の前方を遮るものが多すぎる。
バイクでもいけない。あれは、漕ぐときのぐいっと進む感覚が味わえない。
自転車が、いい。自転車だから、いい──。
「お前、その足で家まで帰るの大変じゃね?」
慣れない靴を履いてきたせいで、すっかり靴擦れを起こした私のかかとを見下ろしながら、井野が言う。
「あ…うん。まあ急ぐわけでもないし、のんびり歩いて帰るよ」
その日は、ゼミの仲間と久々に飲み会のある日だった。
私はあまり履き慣れていないお気に入りの靴を、どうしても履きたくなって履いてきた。
午前中は何も思わなかったのに、一コマ講義を終えてお昼を食べようと立ち上がったときには、もうかかとが悲鳴をあげていた。恐るべし、坂の上にある大学…。
ズキズキと痛む足に気づかないふりをしながら、午後の講義の発表を終える。いつもならすぐにばらけてしまうゼミのメンツと、他愛のない話をして待ち合わせの時間まで過ごす。
視界の端で、同じゼミの井野が笑っている。
井野は基本的に、ゼミの講義が終わるとバイトだ何だと忙しくて、すぐに帰るタイプの人間だ。
この時間、同じ空間にいること自体がなかなかレアなので、こっそりその姿を見ながらスマホを弄り、だらだらと貴重なモラトリアムを浪費していく。
この、何とも言えない時間使い方の贅沢さに「青春」を見る。
そんなこんなで、集合時間に合わせて、わいわい話しながら移動をして、予定通りの時間に飲み食いをして、散々話して笑って解散したのがついさっきのこと。
会計も済ませて、各々店を出て帰路につく。
周囲に余計な気を使われたくない私、は足が痛むのでできるだけゆっくり支度をして、最後に移動した。入り口で脱いだ靴に手を伸ばしたところで、井野に声を掛けられたのだ。
「うへえ、痛そ」
井野は私のかかとを見て、薄暗い居酒屋の靴箱の前で、顔をしかめる。
「見なきゃいいでしょ、そんな顔するなら」
顔がカッと熱くなるのを感じる。酔いが回ってきたのだと思うことにする。
「可愛いよな、そこのスニーカー」
「あっ、うん」
「俺も同じの持ってる」
色は違うけどなと、普通に話し続ける井野の言葉を浴びながら、スニーカーに足を突っ込む。同じものを持っているなんて、そんなの、知ってる。
「うん、可愛い。ちょっと硬いけど」
今の私は普通に笑えているだろうか、井野の方を見る勇気はない。
「いやまじでそれ。可愛いけど、履き慣れるまでちょっと痛いんだよな」
とっくに靴を履き終えた井野が、私を待ってくれていることを理解して慌てて立ち上がる。
「いいよ、ゆっくりで」
「…ありがとう」
外に出た頃には、もうみんな散り散りになっていて、図らずも二人きりになっていた。大変に気まずい。気まずすぎる空気に耐えかねて、「じゃあ」と急いで言ってその場を離れようとする。
井野の「おう」という返事を、背中で聞くような状態で家に足を向ける。近所のコンビニで、明日以降のために絆創膏を買わなきゃなあと、痛みを堪えながらゆっくり歩く。
秋の風が、熱い頬に心地良い。
スニーカーがお揃いだと、バレてしまったなとこっそり頭を抱える。お気に入りなのは嘘じゃないけど、明日から履いていくのは少し気まずい…。
「なあ、後ろ乗れよ」
自転車の音がしたので、避けようと振り返ったらそこに井野がいた。
「えっ」
「足痛いんだろ」
「…まあ」
「二ケツ、したことある?」
「一応」
じゃあ大丈夫だなと言って、井野は私に背を向けて自転車にまたがる。束の間迷って、私はその背に近寄る。もう、酔っ払いの勢い任せだ。
失礼しますと座って、サドルの後ろを指先で掴む。ふと気になったことを聞く。
「飲酒運転?」
「俺、飲んでねえよ」
「意外と真面目だ」
「まあな」
どうせ明日も朝早いからとか何とか、前を向いて言われるけどよく聞こえない。
「よし行くぞ、家ってあの大きな公園の側だよな?」
「そう、何で知ってんの」
「あの辺よくランニングしてて、見かけたことがある」
「へえ」
危ないからちゃんと掴まれよと促され、また酔いを言い訳にして腰回りを持たせてもらう。
ぐん、と進む。
人通りはそんなに多くない。あっという間に、街の賑やかさを抜けて周囲が静かになる。
ふと、夜空を見上げると視界いっぱいに星がよく見えた。
そのままその星が広がる夜空を、見上げ続けると、自転車の速度に合わせて後方に星空が流れていく。こんな星の見方をしたのは初めてだった。
思わず「星が綺麗」と呟く。ん、と背中越しに井野が反応したのを感じる。
「確かに。この辺暗いし、星がよく見えるな」
「うん」
私は、それ以上何も、本当に何も上手く言えなかったのだけど、視界いっぱいに流れていく星空を見ながら、「この瞬間見た景色の全てを一生忘れないだろうな」と思った。
やっぱり自転車が、いい。自転車だから、いい──。
(2145文字)
=自分用メモ=
いつか本当に練っている作品でも使いたいのが、二人乗りの後ろから流れる星空を眺めるというシーン。やったことある人いないかなあ、あのたまらない景色。頭の上いっぱいに広がる星空が、どんどん流れていく様を眺める楽しさ…。
なお、本作で二人乗りを助長するつもりはありません、悪しからずご了承ください。
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