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「夜明けのすべて」|映画と原作小説の比較から、小説を書くことについて考える①

表題の通りです。 

思い立った順序で書いたらまとまりがなくなったため、投稿を①・②にわけます。
お暇な方はどうぞお付き合いください🪿

*内容に触れるため、これから観る予定の人はご注意を。

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3/10 sat

レイトショー、日本橋にて。

萌音ちゃんに親近感がある。以前、職場のママさんに似てると言われたからだ。
実際のところは全然似てない。女性を「菜々緒、渡辺直美、上白石萌音」に分けたら、確かに萌音ちゃんの一派ではある。そんな程度だ。

とはいえ萌音ちゃんは昔から好きな女優さんだった。ほんわかした雰囲気を持ちながらも強い芯のある演技がとても魅力的で、今回ダブル主演ということもあって映画を観に行ってみた。


この作品はパニック障害とPMSの症状に悩む若者たちが、それぞれの障害や病気に関心を向け、互いに心を寄せながら再び外を向けるようになっていく物語だ。

働くって難しい。
決まった時間に、決まった場所で、決まった業務を遂行することは、あらゆる条件が重なってやっと叶う。

自分ではどうにもならないことがたくさんあるのに、生活をするには、義務を果たすには、自己実現を果たすには、おおかた働かなければならない。困難すぎる。


「自分がどうしようもない困難を抱えていても、他人を助けることはできるかもしれない」というのが今回の主題だった。

それは主人公ふたりに留まらず、自死遺族のピアサークル(まだ小説を読んでいないので、文面としてなんと書いてあるかはわからない。仮でこう呼ぶ。)も、まさにそうだ。サークルで出会った栗田科学の社長と主人公・山添の元上司もまた、山添が前を向き始めたことで救われていく。もうひとりの主人公・藤沢も、だからまた山添の髪を切りにくる。

本作に出てくるクソほど役に立たない産婦人科と精神科の医師には、ちょっと悪意があって笑ってしまった。理解できないことはないが、うふふ、とだけに留めたい。
救うのは医者や薬でないことがある。この分野は特にそう感じる。だからこそ、栗田科学がフィクションであるのがとても悲しい。


山添の部屋で夜、プラネタリウムの原稿を考えるふたりの空気感がとてもよかった。
これが現代語の"エモい"なのかもしれないが、そんなもので片付けたくないわたしのおばさん魂が意地を張るくらいよかった。
ひとが隣にいる温かみは、本来かくあるものと願いたい。

藤沢の"残り少なくなったポテチを袋から直食い"は、絶対に恋愛に転ばないぞ、という制作側の気概すら感じた。(思い込みも甚だしい観客)
わたしが普段邦画をあまり得意としないのは、どうやっても恋愛に転ぼうとする作品の多さからかもしれない。


映画は視点が変わっても問題ないからいい。
小説ではそうはいかない。
ちょうど最近、ころころと視点が変わる小説を読んだ。大変わかりづらく、感情移入しづらい。ストーリーへの没入の妨げになるのは、かなりディスアドバンテージなんじゃないだろうか。

また、セリフの間や感情の機微を表すことも映像は強い。
渋川さんや久保田さんは、息遣いや間の取り方が素晴らしい。そして社長役の光石さんが光りに光る。弟を自死で亡くし心に影を落としながらも、主人公の若者たちを優しく見守る役なのだが(死ぬほどざっくり言うとね)、口元の引き吊りひとつでこちらの心をえぐってくる。

映画のラスト、萌音ちゃんが自死した社長の弟のノートの読み上げるシーンも素晴らしかった。
"地球が自転と公転を続ける限り、夜明けは必ずやってくる"といった旨の長いセリフだった。
萌音ちゃんの声色は、そんな言葉遊びすらも信じてみようと思わせてくれる。わたしが萌音ちゃんを好きな理由は、この唯一無二の表現力ゆえだ。


これが小説になると、各個人の脳に委ねられてしまうの? いや委ねちゃいけないのか? と、謎の危機感に襲われた。

シワのひとつまで文字に起こして、その動きが読者に伝わるようにしないと、その動作が意味する感情が伝わらないかもしれない。
ただ、文面のリズムなんかも考慮すると、なかなか至難の業のように思う。

どこまでを伝え、どこからを読者の想像力に委ねるのかは、一度考える必要がありそうだ。
これは原作小説を読んだ後の課題にしたい。


そんなわけで、以上が映画の感想と小説を書いていく上で感じた危機感だ。

この作品をもし「物足りない」と言う人がいるならば、精神を支えるということはこんなささやかな関わりの繰り返しなのだと説明するほかないだろう。
ひとの心は、眩い光で一瞬のうちに開くと言うことはないからだ。
光に反応できるのは、受容器が息をしている証だ。なにに働きかけるべきなのか、この作品はその問いの深部に触れている。

栗田科学の社長を始めとする登場人物たちが若者たちを照らす様子は、「夜明けのすべて」ーーまさに「すべて」と呼ぶにふさわしい作品だった。

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