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なぜ森が大切か?なぜ自然が好きなのか?

おとといの夜、5年前に知り合った現地の友達から仕事仲間を集めて英語の勉強をしようということで声をかけてもらって集まった。ほぼ、私がインドネシア語を教えてもらうような形になってしまったのだけれど。

いろいろ会話しているなかで急に、
Why is forest important?(なぜ森は大切なのか)
Why do you like forest and nature?(なぜ森や自然が好きなのか?)
と聞かれた。

彼らは国立公園のツアーガイドとして働いているので「ちゃんと答えなきゃ、何か試されてる?」と勘ぐってしまい、すぐに答えが出なかった。ちなみに、こっちの人はすぐジョークを言うので、私は簡単に騙される。恥ずかしけれど、笑えるから許す!

さて、彼らの答えは
Because they produce oxygen.(酸素を作り出すから)
Because forest is beautiful.(森は美しいから)
Because there are animals, plants and insects.(動物や植物、虫などがいるから)

思ったよりシンプル。しかし、そうだ。

改めて聞かれて戸惑ってしまった私。朝起きてから改めて考えてみた。


自然への興味・好きって感覚

科学的なこととか、論理的なこととかは少しおいておいて、心に残っているものを書いてみる。はっきり覚えてないこともあり拙い文になると思うのでお許しください。


地球誕生のドキュメンタリー

最初の記憶は、ドキュメンタリーで見た地球の誕生について。「ほんの少し隕石の衝突がずれていただけで、今の地球はなかった」というような内容で、感動し鳥肌がたったことを覚えている。

小学校高学年だった気がする。子どもなりに考えること、悩むことだってある。もやもやして過ごしているときに見た地球の誕生を目にして「地球すげぇ、生物の誕生すげぇ、場所により地形は全然違う、それでもどれも不思議で美しいな」と感じた。この地球に生きる人間てなんだろう、人と自然環境のつながりってなんだろう、とぼんやり興味を抱きはじめたのだと思う。


家族で登山

両親が運動が好きなので、たまに近くの山や足を伸ばして長野や実家のある福島の山を一緒に登りにいっていた。家族旅行はほとんどなかったのだけれど、これが私にとっては楽しみだった。森の中を進む間、岩の高さがバラバラだったり、道が狭くて木の幹や蔦につかまって登ったり、疲れてくるけれどそれが面白かったのである。登り終えて、空が広く、そこでごはんを食べるのもまたいい。今振り返ると、森や山の中が、遊び場であり、団欒の場のようなところだったのかもしれない。


古いものへの興味

私の名前に「万」の漢字が入る。訓読みで「よろず」である。調べていく中で、八百万の神に興味を持った。神道の1つの考え方である。山や川、海、草木、花といった自然などに神が宿る。素敵だと思った。常若(とこわか)=常に若々しいことを保つために、神社の周りには森があって、20年でその木を使って建て替えをする。昔の人はすでにサステイナブルだったんじゃないか……。

また、20歳頃、全然日本のこと知らないなと気づいて、古典や歴史小説などを読んで過ごしていた時期がある。その中で興味を持ったのは、禅と大和言葉である。落ち込みやすかったその時の自分にとって、禅の考え方に助けられた。読んでいたのは、『禅「心の大そうじ」』枡野俊明さんの著書である。禅は自然の観察から学ぶことが多いようで、人は自然への敬う心を持つことで落ち着くことができたり自分を育てたりできると思った。また、大和言葉でも人と自然のつながりを感じる言葉がある。植物や花の「め(芽)・はな(花)・み(身)・は(葉)」は人の体の部位「目・鼻・身・歯」と同じ読み方ということも不思議なことである。

昔の人にとって自然は、怖いものでもあり感謝するものでもあったと思う。時には命を奪う、けれど、衣食住を満たし、インスピレーションを受けたり、意味をこめてデザインとして使ったり……「自然を守ろう」というけれど、支えられていることのほうがほとんどなのではないか。人が自然と共に生きること、共生ってどういうことなのか頭の中によく浮かんでいる。


移動することが好き

旅や旅に関連するもの、マップや乗り物が好き。旅についての本を見て想像するのも楽しい。そして、バスや電車、飛行機に乗るのは、初めてのものを見る子どものようにワクワクする。旅(ここでは、1ヶ所から別の1ヶ所に移動することとして)がどう自然への興味につながるのか。

高校卒業後は東京に住んでいて、何度か千葉の実家に帰る時があった。そのときバスで2時間ほど揺られて、田んぼや山の中を通るのだけれど、林や森が荒れているように見えるところがある。手つかずの自然なら、その自然のエコシステムでサイクルが回るのだろう。しかし、一度人が自然に手を入れて元々の森を変えてしまったら、その後も人が管理をしていかないと生き生きした森は無くなってしまうのでは、とふと思った。これもまた共生につながることかもしれない。


イングリッシュガーデン

大学中、イギリスに住んでいた。興味あることが学べて楽しかったし環境や機会に感謝していたけれど、病んでいた時期がある。楽しんでいたことが楽しくなくなったり、人と話したり英語そのものが怖くなったり、疲れたとか悲しいという感覚も感じにくくなっていた。それでも過ごしていけた、助けになったことの1つは、街を歩いていて目に入る自然-人の家のガーデン、広い公園、イングリッシュガーデン-のおかげだったと思う。よく歩き回っては、小道に入って素敵な庭を発見したり、手入れがされた広い公園や植物園に行ってぼーっとしていた。園芸療法があるように、身近な自然-植物-を見ること、手や足で直接自触れることでもいいんだなと思った。


終わりのない答え

心に残っていること、それらが全部どう繋がっているのかわからない、パズルのピースみたいな感じ。

興味や好きの感覚を数字で表せない。しかし、小学生の頃から体感して、無意識に感じていたり意識で考えたりしている。それでもう、興味あるし、好きなんだってことにしておく。

先日見た動画は主にリーダーシップについてのことだったけれど、仕事やパートナーシップでも、何かを好きっていうことは時間の一点で言い表せない、その何かをずっと、小さくてもいいから続けていることが証明とのこと。

さりげないおとといの夜の会話、いろいろ気づかせてくれてありがとう。

言語も、森をはじめ自然について勉強して考えて行動することも、あきらめず続けよう。


読んでくださりありがとうございます。

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