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ライバルは昨日の自分!

これから受験シーズンに突入しますね。大学受験、高校受験、中学受験、そして小学校や幼稚園は「お受験」というのでしょうか?

これ以外にも中間試験、期末試験もあります。これも受験といえば受験。

大学卒業時に「もうこれで試験とはおさらばだ!」と解放感に満ちあふれたことを今でも鮮明に覚えています。

ところが社会人になってからも資格試験などがあるし、わが子の受験に接する機会もあったりして、いまだに受験から解放されていないことに気づきガクゼン…。

このように受験はいろんな場面で登場してきますので「受験に関わったことがない」という人は稀かもしれません。

受験には試験勉強がつきもの。そう、勉強するのはイヤですから、受験にいいイメージはありません。

勉強のできないわたしにとっては、です…。

でも勉強は受験する以上、受験することを決めた以上、避けては通れない道です。

そして対策も練らなければなりません。出題されそうなところを重点的に勉強したり、時には情報収集も必要かな?

それぞれの試験で有効な対策というのがきっとありますから、それらをうまく活用して試験に臨むしかありません。

一方、受験の結果は「合格」と「不合格」に分かれます。

当然みな「合格」しようと思って受験するのですが「不合格」の憂き目にあってしまう人も多数いるわけです。

この「合格」と「不合格」が生み出すものの一つに「競争」があります。

「競争」自体は受験に限らずどの世界にもありますね。

ただ、競争する相手を同じ試験を受験する人に照準を合わせる、他人に対して競争意識を持つと、人間関係がギクシャクしてしまうと思っています。

高校の頃、受験を控えたクラスの雰囲気はまさに周りはみな敵と言わんばかりのピリピリ感。自分よりできが悪い人を見つけては優越感に浸る…。

皆が皆そう思っていたかどうかはわかりませんが、少なくともわたしには殺気にも似た感覚をいだいていたものです。

受験を他人との競争に打ち勝つものととらえると、合格するという目的が他人を蹴落とすという意識で目がくらみ、ギスギスした気持ちだけが残ってしまいます。

競争は競争でも、他人をライバル視して競争するのではなく、過去の自分をライバルと仮定して意識することを心がけてみた方が良いのでは、と思います。

受験の目的はあくまで合格すること。合格するためにはそのレベルに達する必要がある。

そのレベルに達成するために過去の自分のレベルを日々上げていき、より成長していく。こんな感じはどうでしょう?

成長過程が他人と違うのは当たり前。他人がどうなのかを気にしても、参考にはなるけどその通りにはならない。

それより昨日の自分と比べ、今の自分はどうなのかということに意識を集中して、一歩一歩前に進んでみるのがいいです。

これは何も受験に限らず、あらゆることに当てはまります。

そもそも競争は「優劣を争う」という意味です。例えば価格競争なら顧客が価格の優劣を判断する、となり、受験なら試験元がその優劣を判断します。

ということは当事者以外のところで競争が生み出され、当事者以外がその優劣を決めているのです。

この優劣は価格においてのみの、あるいはその試験においてのみの優劣であり、商品や人そのものの優劣ではありません。つまりある一面での判断基準にすぎません。

なのに、当事者間で争うと人そのものの優劣のような錯覚を抱きます。判断は当事者がするわけでもなんでもないにも関わらず、です。

当事者はただただベストを尽くすのみ。過去の自分の記録を自ら塗り替えること。

人と争うのはやめて、むしろ助け合いながら目標に向かうのが理想です。


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