仕事は誰のため?何のため?

わたしたちは仕事をすることで報酬を得て暮らしています。仕事は生活の糧です。

仕事がないと生活ができません。最近ではベーシックインカムという考え方が生まれました。仕事をせずとも生活を成り立たせる、とても素晴らしい仕組みです。

しかし、ベーシックインカム誕生を待ち望んでいてばかりではいられません。しばらくは仕事に精を出していくことになります。

仕事は誰のため?

さてこの仕事、一体誰のためにやっているのでしょうか?

社会人になったばかりのわたしは「自分のため」と即答しました。今では「自分と家族のため」となります。

「自分のため」の中には、自分のキャリアアップという意味もありますが、自分の生活という意味も含みます。

自分のキャリアというと、専門性であったり、スキルであったり、人脈であったり、そうしたものを指すと考えます。会社員なら出世というのも視野に入りますね。

それだけでなく自分の嗜好性といいますか、向いてるか向いていないか、あるいはその仕事が好きか嫌いか、ということもあります。

自分にマッチした仕事を探し、スキルを磨く。自己実現という言い方が正しいかどうかわかりませんが、つまりはそういうことです。

キャリアを磨くことで自己実現を果たし、生活力をつけていく、という考え方ですね。

もっと簡潔に言うと、自分のためなのだから一生懸命にやる、となります。

仕事は何のため?

それでは仕事は何のためにするのでしょうか?同じような問いですが、ここははっきり整理しておきたいところです。

仕事は「人の役に立つため」にするものだと考えます。

仕事というのは誰かの役に立つために存在し、これは役に立つ!と思ったユーザーがその仕事を評価します。

物販でもサービスでも、公共事業でもだいたいこれで説明できます。

人の役に立たないものには見向きもされません。「売れない」ということは、役に立つと思ってくれる人が少なかったか、役に立つと思っている人たちに存在が十分に知られなかったか、基本どっちかです。

「誰」と「何」を取り違えない!

ちなみに仕事は何のため?の答えが「自分のキャリアアップのため」ではいけません。これでは独りよがりな態度と言わざるを得ず「人の役に立つ」という本質を理解することができないでしょう。

なのでキャリアアップなど望めません。

一方で仕事は誰のため?の答えが「お客様のため」でもしっくりきません。お客様は神様で、滅私奉公するという前近代的な発想です。

もしそれを強要されるのであれば、その仕事から離れた方がいいです。

このように仕事は誰のため?何のため?を取り違えると迷路にはまってしまうのではないでしょうか?

仕事は自分にかえってくる

まずは自分を大切にするというのが第一です。仕事はお客さんなど人のためではなく自分のためにやることですから。

もっともすべての人が自分にマッチした仕事にありつけているわけではありません。

つらく、キツい仕事もあります。それでもその仕事をするのは自分自身の生活の糧だからです。やめられるのであればやめればいいけど、やめられないケースもあります。生活をしていくために…。

でもそんなつらくてキツい仕事も、人の役に立っています。ここに一縷の希望があります。自分は仕事を通して役に立っている、これは救いです。

人の役に立たつと、充実が得られませんか?結局のところめぐりに巡って自分にかえってくるのです。

「学生のうちにどんな職につくかよく考えろ!」

なんてよく言われます。わたしも想像できずじまいでした。お金?見栄?ラクできること?

でも、どんなことをして役に立ちたい?って聞かれたら、考えようがあったのになぁ…なんて思う今日この頃です!

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