見出し画像

ひとりと大切に関わる喜び

こんばんは、Mihoです。
今日ふと、朝から夕方くらいまで、暖房をつけずに過ごしていることに気づきました。
電気毛布のひざ掛けは使っているけれど、もうすっかり暖かくなって来ているのですね~🌸
わたしはずぼらなところがあって、たまに冷蔵庫に食べ物をしまい忘れてダメにしてしまうことがあるので、作り過ぎとあわせて気をつけたいと思います😅

今日は偶然、江原啓之さんが個人カウンセリングをしなくなった理由を知りました。

「私がいくらカウンセリングしたところで、その人自身が受け入れてくれないと意味がないということを痛感させられた」
「何かを個々伝えたところで、その人が受け入れる準備がなければ無理だということ」
「それよりもメディアを通して、生き方、どのようにすべきなのか、考えるべきなのか、ということを、伝えていくことの方が先ではないかという風にね」

個人カウンセリングを止められた理由はこれだけではないそうですが、なるほど、と思いました。
これはいわゆるケアや支援の仕事に携わる人なら、誰しも感じたことがあるのではないでしょうか。

特に状態がよくない人ほど回復までに時間がかかりますし、その途中で支援者と衝突してしまうことはめずらしくありません。
いくら仕事とはいえ、知識として理解しているとはいえ、覚悟しているとはいえ、支援者も落ち込んだり傷つくときもあります。
たとえ、支援者がどんなにやる気でも、クライアント本人が前向き気持ちで取り組めないときも当然あります。
クライアントの状態がよいときも悪いときもつかず離れずお手伝いする。
回復のプロセスはゆっくりゆっくり、くねくねと進んでいくものだから。
と、最近やっとその人とののんびりした時間を楽しめるようになってきた気がしています。

本当に困っている人、具合が悪い人ほどケアにつながりにくいという社会的な課題はあります。
その一方、だからこそ、つながってくれる人に、今できるベストなことをしたいと思う。
療育やセッションには、江原さんのようにたくさんの人へ伝えることとは違う、目の前にいるひとりと関わる喜びがあるなと改めて感じました。

特に、発達にハンデのある子の療育は、すぐに目覚ましい効果が出るとは限りません。
が、1年、2年と見ていくと、やっぱり成長しているのを感じます。
ちょうど、今日感じた春のようです😊

いろいろと社会は目まぐるしく動いていますが、療育やセッションでは、のんびりその人と関われる贅沢な時間として、大切に過ごしていきたいです。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

一歩先へ進んでみたいな、という方のご連絡お待ちしています🎵(

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?