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お盆と京都の五山送り火

九條です。

今日は8月16日。
お盆明けですね。

京都では「五山送り火」(通称:大文字焼だいもんじやき)が行われますね。

この送り火の正式名称は上記の通り「五山送り火」です。京都の人に「大文字焼」と言うと、ムッとされるか「五山送り火ですね」または「送り火ですね」と訂正されますよ。^^;

しかし先日、テレビを観ていまして「テレビ朝○」の報道で、局のアナウンサーさんが「大文字焼」と言っていましたので、私はビックリしました。

この京都の「五山送り火」。私は学生時代には毎年大学の近くから観ていました。京都の大学でしたので。また春の日の昼間には友達数人で「大文字」の火床がある如意ヶ嶽(通称:大文字山)へ、お茶とおにぎりを持ってハイキング(ピクニック登山)したこともありました。

さて、我が家の宗派(法相宗)では、お盆やお彼岸などに、とくになにか特別な法要などをするわけではありません。

古い時代(西暦500年代〜800年代頃まで)の仏教(奈良仏教=南都六宗)では、葬儀や先祖供養など、亡くなった人に対する法要は基本として営みません。教義とは関係なく個人的(心情的に)にお墓参りをするくらいです。

我が国の仏教で死者や先祖供養を行うようになったのは、平安時代の中頃(西暦1000年前後)から。源信上人や空也ひじりがその始まりであると考えられています。

閑話休題。

京都の「五山送り火」の起源はハッキリしていません。室町時代には催されていたようですが、それ以前の鎌倉時代まで遡る資料はないようです。

かつての平安京で営まれる行事ですが、平安時代(西暦800年代〜1100年代)まで遡ることはないようです(こういうの、京都には多いですよね)。

古都奈良では、奈良時代(西暦700年代)やそれ以前にまで遡る行事(法要)が京都と比較して多いように思います。

京都は平安遷都以降、明治維新まで常にこの国の中心でしたから、次々と新しい習俗に置き換え(塗り替え)られたというのが、その理由のひとつではないかと思います。室町時代中期の応仁の乱で京都の街が灰燼に帰したというのも大きな原因なのかも知れません。

翻って、お盆の行事に仏教的な根拠はありません。『盂蘭盆経』は中国かその周辺で創作された偽経(偽の経典)とされています。そもそも仏教のもともとの教義には死者供養という概念は存在しなかったであろうと考えられています。

現在、我が国で見られるお盆の習俗は、仏教と民間習俗であった死者供養・先祖供養が習合したものと考えられます。もう少し詳しく経緯を説明すれば、もともとあった民間の死者供養・先祖供養の習俗に中世以降に仏教が相乗りしてきたものだと言えます。

すなわち「お盆」の行事は、その根拠を仏教学や仏教史に求める事はできず、明確な歴史学的(文化史的)な行事とも言えない、極めて民俗学的な色彩の濃い民間習俗だと考えられます。^_^


©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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