桃井御酒

誤脱衍を愛する者(成人済)。ドラマや映画や⚾🥌などなどを見ます🍶 歌人ならざるタンカー

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大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム

昨日かなり遅ればせながら、大河ドラマ「光る君へ」の第1回を観た。 力の入ったセットや小道具で、それらしい雰囲気が出ていてよかった。大筋で雰囲気が出ているから、細部にあるアナクロニズム(後の時代のものごとが紛れこむ時代錯誤)が、かえっておもしろい。 視聴前にこのツイートを見ていたから、多少の先入観があったことは否定できない。けれども、過去を描くのにアナクロニズムはつきものだ。無毒なアナクロニズムなら、アナクロニズムとして美味しく楽しめばいい。 第1回は少女時代の紫式部の話

    • 鮫と斎藤とフカヒレ:中編

      とある短歌を解釈して、わたしが好きになれない要因を考える記事の中編。前・後編で終えるつもりが、長くなったので分けた。 前編はこちら。次の短歌をフカヒレ短歌と呼んで、構文的な視点から6通りの解釈を書いた。 短歌は短い。一首の短歌には情報が圧縮して込められている。わたしたちは半ば無意識に、短歌の「外」にある言葉や知識と組み合わせて、情報を取り出している。(※注1) 中編であるこの記事では、最低限必要な「外」の知識を使って、フカヒレ短歌から情報を取り出す作業をあえて意識化して

      • 「hundred=hand+red」的バカ

        先日Twitterでこんな投稿を見かけた。 投稿についている写真は雑誌『杼』第1号(1983年)だろう。蓮實重彦がインタビューされている。この内容は『〈批評〉のトリアーデ』という単行本に入っていて、写真と同じ箇所が国会図書館のデジタルコレクションでもチェックできる。 写真に出てくる渡部とは、最近セクハラ訴訟で控訴審でも賠償命令を受けたあの渡部直己だ。 蓮實が数字に着目して大江健三郎を論じている話を取り上げているのだけれど、そこで渡部が奇怪なことを言い出す。 渡部の奇怪

        • 鮫と斎藤とフカヒレ:前編

          こんな現代短歌がある。この記事ではとりあえずフカヒレ短歌と呼ぶ。 フカヒレ短歌のことを、わたしはあまり好きになれない。なぜ好きになれないのか、自分でもよく分からない。その要因について前・中・後編の3つに分けて言語化してみたい。 前編であるこの記事では、フカヒレ短歌が何を言っているのか構文的な視点で解釈していく。 フカヒレ短歌はいくつかの解釈が可能だ。「黒い目のきれいな女の子」と聞いてピンとくる人もいるだろうし、「頭が赤い魚を食べる猫」と聞いてピンとくる人もいるだろう。

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        大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム

        マガジン

        • 短歌の修辞:表現の方法をめぐって
          3本
        • 短歌の言葉:「文語」をめぐる勉強
          2本

        記事

          大河ドラマの「違うけど~っぽい」リアリティ

          大河ドラマ「光る君へ」を何だかんだで毎回見ている。 見ていて「平安時代っぽい」と思うので、製作陣の力の入れ方が伝わる。 けれどもわたしは性格が捻くれていて、台詞に教養が足りないなと思うときがある。佐々木蔵之介演ずる藤原宣孝みたいなキャラは別に気にならない。佐々木蔵之介かっこいいし。 ドラマの都合でくだけた言葉遣いにする場面もあるだろう。それに平安時代だって品のないことを言う「上流階級」の人もいただろう。(大鏡にある素腹の后のエピソードとかは酷い。) それでもやはり平安

          大河ドラマの「違うけど~っぽい」リアリティ

          歌集で受難した時代のこと

          おととい夜(日付だと昨日)の記事で憲法の話を書いた。 その連想で、最近セキュリティ・クリアランスの法案が可決された頃にTwitterに流れていた画像を思い出した。(わたしはまだ「Twitter」と呼ぶよ。) 1925年5月8日の東京朝日新聞の記事の画像だ。 「治安維持法は伝家の宝刀にすぎぬ」「社会運動が同法案の為抑圧せられる事はない=警視庁は語る」。結局、治安維持法は特別高等警察=特高が好き放題やる根拠になった。 わたしは短歌を勉強し始めたので、特高と短歌にまつわる話

          歌集で受難した時代のこと

          晴読(晴れた日の読書)

          長らく記事を書いていなかった。三月はばたばたして、四月はコロナに感染して、という具合だった。春はろくなことがない。オンライン歌会はなんとか続けている。 今日は憲法記念日だった。もう昨日か。とてもいい天気だったので外の公園のベンチで読書をした。公園は難しい本を読むのにいい場所だ。眠くなりそうになったら歩いて眠気を覚ませる。 公園では、長らく中断していた木庭顕『憲法9条へのカタバシス』(みすず書房、2018年)を読んだ。というか、目を通した。結局帰ってからも読んでいて、やっと

          晴読(晴れた日の読書)

          二月の雪

          雪国出身ではないので、わたしにとって雪は特殊な天候だ。 小学生のとき、人生で初めて親類の葬式に行った。その親類の死を伝える電話がきたとき、家族みんなでこたつに入っていた。蜜柑が蛍光灯で光っていた。雪の降る寒い二月の夜だった。 だから、わたしにとって二月の雪とは人の死だ。その親類に愛着なんてこれっぽっちもなかったのに。ついでにその時、人は死後数日でもひげが伸びると知った。花に包まれた顔で、ひげが一ミリほど伸びていた。 雪になると、亡くなった親類のことを連鎖的に思い出す。教

          大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム2

          大河ドラマ「光る君へ」をおもしろく観ている。平安時代の政治劇が楽しい。 「光る君へ」第1回の漢文について書いた記事が、思いがけず好評をいただいた。ありがとうございました。 そこに大抵のことは書いたし、第2回はあまり漢文が出てこない。もう「光る君へ」関連の記事は書かないつもりだった。 ところが一昨日、また遅ればせながら第3回を観たら気が変わった。やっぱりよく作られた雰囲気の中にあるアナクロニズムがおもしろい。 無毒なアナクロニズムはドラマの楽しみのひとつだ。噛めば噛むほ

          大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム2

          バカやアホの話に百田尚樹

          先日、大河ドラマ「光る君へ」に便乗するようなnoteを書いてしまった。喜んでくださる方が多かったようで嬉しい。けれども、もともと数人だったフォロワーが数十人になってしまい、少し動揺している。 このアカウントは大した記事を書くためのものじゃないので、ご期待には沿えない可能性が高いです。今のうちに謝っておく。 「光る君へ」の記事で、バカの語源はたぶん史記ではないという話をした。これについては読まれるべき本がある。ご存知の人も多いだろうけれど、松本修『全国アホ・バカ分布考:はる

          バカやアホの話に百田尚樹

          前川佐美雄にも廬蘆の誤り

          「魯魚亥豕」とか「烏焉馬」とかいう言葉がある。間違えて形が似た別の漢字を書くことを指す。こういう漢字の間違えは、手で書くときよく起きるもので、古代中国からあった。 現代なら、PCやスマホで正しく読み方を入力して変換すれば、「魯」と「魚」を間違えることはない。しかし現代のデジタル環境でも「魯魚亥豕」は生まれる。言葉の意味や漢字の読み方が分からなければ、形が似ている別の漢字を入力してしまう。 たとえば「よろしく」は「宜しく」と書くはずなのに「宣しく」と入力する人がいる。たぶん

          前川佐美雄にも廬蘆の誤り

          短歌むけに文法について書かれた本のリスト(仮)

          「短歌 文法」とかのキーワードで検索すると、そこそこの数の本がヒットする。中には改版を重ねて売られている本もあるみたいだ。いわゆる「文語」の文法について知りたい人が、短歌の世界にたくさんいるんだろう。(たぶん俳句の世界にも。) わたしは短歌の「文語」に興味があるから、文法をめぐって書かれた短歌の本もチェックしておきたい。とはいえ今のところ、こういう本から文法を学習するつもりはない。古典日本語の文法について書かれたちゃんとした本は他にある。わたしは歌人ならざるタンカーとして「

          短歌むけに文法について書かれた本のリスト(仮)

          勉強メモ:短歌表現のひとつの型

          現代の短歌について、おもしろく分析するnoteを読んだ。短歌ゼロ歳児のわたしがお世話になっている人のnoteだ。読んで思ったことをメモしておく。 次の短歌から、現代の短歌表現の型をひとつ抽出する手際がおもしろかった。 抽出された短歌表現の型を、わたしなりに書くとこうなる。ちなみに小説などの分析で「語り手」と呼ばれる概念は、短歌の分析だと「(作中)主体」と呼ばれるようだ。 【引用された発話】+【引用の標識】+【主体による発話者への語りかけ】(全体が口語体) 驚いたことに

          勉強メモ:短歌表現のひとつの型

          自分を祝う

          電車に乗っていたら、スマホを見ながらニヤニヤしているおっさんを3人も見かけた。なんでニヤニヤしているか分かったかと言うと、3人ともマスクをしていなくて口元が目に入ったからだ。 3人は、おっさんと言っても若い方の、見た感じ30代後半くらいの男だった。指で操作するでもなくイヤホンをしていたから、動画でも見ていたんだろう。みんな胸や腹のあたりでスマホを持っていたから、ニヤニヤ顔がむき出しになっていて、やたらとグロテスクだった。 わたしも電車の中で笑いをこらえることがあるから、ニ

          自分を祝う

          いま読める短歌は、すべて〈文語〉だ

          短歌を作るために、短歌の言葉について勉強したい。とくに「文語」と呼ばれる言葉に興味がある。 とはいえ勉強は続けにくい。勉強の様子をnoteに書いて反応をもらえたら、やる気が持続するかもしれない。そんな不純な動機で、noteを書くことにした。 わたしが短歌を作ろうと思い立ったのは、去年の冬だ。それまで短歌に触れることもほぼなかった。つまり、短歌の世界に足を踏み入れてからまだ一年にもならない。 短歌の世界から見れば、わたしは物を知らないゼロ歳児だ。ゼロ歳児なりに、勉強を始め

          いま読める短歌は、すべて〈文語〉だ

          ピーマン×3

          「ピーマンの森」と題した月例のオンライン歌会に参加させてもらっている。とても楽しくて、感謝している。 わたしは歌を出すのも評を書くのもギリギリで、少しあっぷあっぷしている。評はおもしろいと思った歌ぜんぶに書くつもりでいるのだけど、真っ当なものが書けているのか、あまり自信はない。とはいえ、歌人ならざるタンカーとしての、わたしの感受性を鍛えるつもりで書いている。そのうち慣れると思っている。 このオンライン歌会が二回目になってようやく分かったことがある。いわゆる文語体をつかった

          ピーマン×3