桃井御酒

誤脱衍を愛する者(成人済)。ドラマや映画や⚾🥌などなどを見ます🍶 歌人ならざるタンカー

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大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム

昨日かなり遅ればせながら、大河ドラマ「光る君へ」の第1回を観た。 力の入ったセットや小道具で、それらしい雰囲気が出ていてよかった。大筋で雰囲気が出ているから、細部にあるアナクロニズム(後の時代のものごとが紛れこむ時代錯誤)が、かえっておもしろい。 視聴前にこのツイートを見ていたから、多少の先入観があったことは否定できない。けれども、過去を描くのにアナクロニズムはつきものだ。無毒なアナクロニズムなら、アナクロニズムとして美味しく楽しめばいい。 第1回は少女時代の紫式部の話

    • 二月の雪

      雪国出身ではないので、わたしにとって雪は特殊な天候だ。 小学生のとき、人生で初めて親類の葬式に行った。その親類の死を伝える電話がきたとき、家族みんなでこたつに入っていた。蜜柑が蛍光灯で光っていた。雪の降る寒い二月の夜だった。 だから、わたしにとって二月の雪とは人の死だ。その親類に愛着なんてこれっぽっちもなかったのに。ついでにその時、人は死後数日でもひげが伸びると知った。花に包まれた顔で、ひげが一ミリほど伸びていた。 雪になると、亡くなった親類のことを連鎖的に思い出す。教

      • 大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム2

        大河ドラマ「光る君へ」をおもしろく観ている。平安時代の政治劇が楽しい。 「光る君へ」第1回の漢文について書いた記事が、思いがけず好評をいただいた。ありがとうございました。 そこに大抵のことは書いたし、第2回はあまり漢文が出てこない。もう「光る君へ」関連の記事は書かないつもりだった。 ところが一昨日、また遅ればせながら第3回を観たら気が変わった。やっぱりよく作られた雰囲気の中にあるアナクロニズムがおもしろい。 無毒なアナクロニズムはドラマの楽しみのひとつだ。噛めば噛むほ

        • バカやアホの話に百田尚樹

          先日、大河ドラマ「光る君へ」に便乗するようなnoteを書いてしまった。喜んでくださる方が多かったようで嬉しい。けれども、もともと数人だったフォロワーが数十人になってしまい、少し動揺している。 このアカウントは大した記事を書くためのものじゃないので、ご期待には沿えない可能性が高いです。今のうちに謝っておく。 「光る君へ」の記事で、バカの語源はたぶん史記ではないという話をした。これについては読まれるべき本がある。ご存知の人も多いだろうけれど、松本修『全国アホ・バカ分布考:はる

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        大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム

        マガジン

        • 短歌の言葉:「文語」をめぐる勉強
          2本
        • 短歌の修辞:表現の方法をめぐって
          1本

        記事

          前川佐美雄にも廬蘆の誤り

          「魯魚亥豕」とか「烏焉馬」とかいう言葉がある。間違えて形が似た別の漢字を書くことを指す。こういう漢字の間違えは、手で書くときよく起きるもので、古代中国からあった。 現代なら、PCやスマホで正しく読み方を入力して変換すれば、「魯」と「魚」を間違えることはない。しかし現代のデジタル環境でも「魯魚亥豕」は生まれる。言葉の意味や漢字の読み方が分からなければ、形が似ている別の漢字を入力してしまう。 たとえば「よろしく」は「宜しく」と書くはずなのに「宣しく」と入力する人がいる。たぶん

          前川佐美雄にも廬蘆の誤り

          短歌むけに文法について書かれた本のリスト(仮)

          「短歌 文法」とかのキーワードで検索すると、そこそこの数の本がヒットする。中には改版を重ねて売られている本もあるみたいだ。いわゆる「文語」の文法について知りたい人が、短歌の世界にたくさんいるんだろう。(たぶん俳句の世界にも。) わたしは短歌の「文語」に興味があるから、文法をめぐって書かれた短歌の本もチェックしておきたい。とはいえ今のところ、こういう本から文法を学習するつもりはない。古典日本語の文法について書かれたちゃんとした本は他にある。わたしは歌人ならざるタンカーとして「

          短歌むけに文法について書かれた本のリスト(仮)

          勉強メモ:短歌表現のひとつの型

          現代の短歌について、おもしろく分析するnoteを読んだ。短歌ゼロ歳児のわたしがお世話になっている人のnoteだ。読んで思ったことをメモしておく。 次の短歌から、現代の短歌表現の型をひとつ抽出する手際がおもしろかった。 抽出された短歌表現の型を、わたしなりに書くとこうなる。ちなみに小説などの分析で「語り手」と呼ばれる概念は、短歌の分析だと「(作中)主体」と呼ばれるようだ。 【引用された発話】+【引用の標識】+【主体による発話者への語りかけ】(全体が口語体) 驚いたことに

          勉強メモ:短歌表現のひとつの型

          自分を祝う

          電車に乗っていたら、スマホを見ながらニヤニヤしているおっさんを3人も見かけた。なんでニヤニヤしているか分かったかと言うと、3人ともマスクをしていなくて口元が目に入ったからだ。 3人は、おっさんと言っても若い方の、見た感じ30代後半くらいの男だった。指で操作するでもなくイヤホンをしていたから、動画でも見ていたんだろう。みんな胸や腹のあたりでスマホを持っていたから、ニヤニヤ顔がむき出しになっていて、やたらとグロテスクだった。 わたしも電車の中で笑いをこらえることがあるから、ニ

          自分を祝う

          いま読める短歌は、すべて〈文語〉だ

          短歌を作るために、短歌の言葉について勉強したい。とくに「文語」と呼ばれる言葉に興味がある。 とはいえ勉強は続けにくい。勉強の様子をnoteに書いて反応をもらえたら、やる気が持続するかもしれない。そんな不純な動機で、noteを書くことにした。 わたしが短歌を作ろうと思い立ったのは、去年の冬だ。それまで短歌に触れることもほぼなかった。つまり、短歌の世界に足を踏み入れてからまだ一年にもならない。 短歌の世界から見れば、わたしは物を知らないゼロ歳児だ。ゼロ歳児なりに、勉強を始め

          いま読める短歌は、すべて〈文語〉だ

          ピーマン×3

          「ピーマンの森」と題した月例のオンライン歌会に参加させてもらっている。とても楽しくて、感謝している。 わたしは歌を出すのも評を書くのもギリギリで、少しあっぷあっぷしている。評はおもしろいと思った歌ぜんぶに書くつもりでいるのだけど、真っ当なものが書けているのか、あまり自信はない。とはいえ、歌人ならざるタンカーとしての、わたしの感受性を鍛えるつもりで書いている。そのうち慣れると思っている。 このオンライン歌会が二回目になってようやく分かったことがある。いわゆる文語体をつかった

          ピーマン×3

          日記が続かない人

          また一ヶ月近くnoteを書いていなかった。 わたしは日記が続かない。そんなわたしにも、毎日かかさず日記をつけていた時期があったことを思い出した。 一時期とても好きだった人がいた。そして、運のよいことにその人と定期的に会うことができていた。その時期だけ、わたしは毎日日記を書いていた。その人がポロッと口にした好きなバンドとか、苦手な食べ物とか、観たい映画とか、とにかく聞いた日の日記に書いていた。 わたしは忘れっぽいので、そういうことをきちんと記録しておかないとすぐ忘れてしま

          日記が続かない人

          SNSの移行を考えはじめたり抱負を述べたり

          久々の投稿になる。もう二ヶ月ほど、noteを書いていなかった。そういえば小学生のころ、夏休みに日記を書く宿題があったかどうか覚えていない。あの頃も日記を書かずに過ごしてきたのだろう。 わたしはnoteを書かずにいた間、代ゼミ模試四位の人のツイートを探して遊んだり、短歌にまつわる読書をしたりしていた。楽しかった。でもTwitterが手放しに楽しい空間とも言い難くなってきて(わたしはあのサービスのことをTwitterとまだまだ呼ぶ)、世の中は相も変わらずバカにあふれている。いや

          SNSの移行を考えはじめたり抱負を述べたり

          危ないのはお前だ

          わたしは争いごとを避ける人間なので、とっさに「ごめんなさい」と言うことができる。薄暮の時間に歩きスマホをしていて、犬の散歩をする小学生にぶつかりそうになったときも、とっさに「ごめんなさい」と言えた。大の大人に謝られた小学生は変な顔をしていた。 わたしの人間としての器は中くらいだ。非が無いと思っても「ごめんなさい」と言ってその場を切り抜け、あとあと愚痴をこぼす程度の器だ。 今日は家に着く直前に雨が降ってきたので、そこそこ帰路を急いでいた。すると、横道から勢いよく曲がってきた

          危ないのはお前だ

          話す通りに書くと意味不明

          先週末に日課を作って以来、noteを書いていなかった。noteを書く時間は日課に使ってしまっている。 最近は、短歌の勉強のために、あらためて口語と文語についていろいろ考えている。たとえばこんな感じだ。この日記は、口語文法にのっとった書き言葉で書かれている。けれども、話し言葉風の要素もそれなりに取り入れられている。 わたしは、瞬発的に話すようなやり方で文章が書けない。Twitterで見かけた悪文は、まさに瞬発的に話すようなやり方で書かれた文章だ。 下に書いたように口に出し

          話す通りに書くと意味不明

          日課をつくる

          今日は晴れていた。しっとりとした涼しい風が吹いていた。わたしはこういう天気がわりあい好きだ。 短歌の方で、ひとつ画期?があった。うたの日に投稿して約150日にして、やっと一席というやつになった。(他の人と同点なので、一席を分けるというのだろうか。)わたしとしては、まったく納得のいかない出来の短歌だった。その上、投票した人は軒並み短歌を始めたばかりの人のようだった。素直には喜べない。 なんというか、上達の実感がないから、短歌の先生についた方がいいのかもしれない。けれども、結

          日課をつくる

          鳥と猫の違いは何だろう

          公園のそばを通りかかったら、猫が生垣から現れ、また生垣に消えていった。飼い猫なのか、地域猫なのか、野良猫なのかは知らない。こんな住宅街で野猫ということはないだろう。 この前、近頃は鳥が人を警戒していないなという日記を書いた。 けれども人を警戒しない鳥は昔からいたらしい。山川菊栄の『武家の女性』を読んでいたら、オナガのことをこんな風に書いていた。 猫の方も、警戒心の強いやつと、そうでもないやつがいる。そういえば、わたしの祖母は、野良猫を見かけると石ころを投げつけていた。(

          鳥と猫の違いは何だろう