鮫と斎藤とフカヒレ:前編

こんな現代短歌がある。この記事ではとりあえずフカヒレ短歌と呼ぶ。

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまでフカヒレを食う

木下龍也「雲の待合室」『きみを嫌いな奴はクズだよ』
書肆侃々房、2016年、107ページ

フカヒレ短歌のことを、わたしはあまり好きになれない。なぜ好きになれないのか、自分でもよく分からない。その要因について前・中・後編の3つに分けて言語化してみたい。

前編であるこの記事では、フカヒレ短歌が何を言っているのか構文的な視点で解釈していく

フカヒレ短歌はいくつかの解釈が可能だ。「黒い目のきれいな女の子」と聞いてピンとくる人もいるだろうし、「頭が赤い魚を食べる猫」と聞いてピンとくる人もいるだろう。

まだるっこしいのが嫌いな方は、最後の「まとめ」だけお読みください。


1.フカヒレ短歌はいくつの文か?

フカヒレ短歌の韻律は、5・7・5・7・7という短歌の定型に従っている。この場合、定型どおりの5つのパーツの組み合わせで読むべきだ。(※注1)

初句:恋人を
第2句:鮫に食われた
第3句:斎藤が
第4句:破産するまで
結句:フカヒレを食う

突然だが、短歌には句切れという概念がある。(「区切れ」ではない。)

短歌が2つ以上の文的な要素から出来ているとき、要素の間にある切れ目を句切れと呼ぶ。「文的な要素」とは回りくどいが、一単語で切ることもあるのだ。

さて、フカヒレ短歌に句切れはあるのか? あるともないとも断言できない。フカヒレ短歌は「2つの文」とも「1つの文」とも解釈できるからだ。

A.2つの文

この立場だと、フカヒレ短歌は「二句切れ」の短歌になる。次のように、第2句と第3句の間に文の切れ目があるからだ。

恋人を鮫に食われた。斎藤が破産するまでフカヒレを食う。

句点は引用者による

フカヒレ短歌を二句切れの短歌と読む場合、鮫に食われたのは斎藤の恋人でないと考えていい。あとで説明しよう。

B.1つの文

この立場だとフカヒレ短歌に句切れはない。

上の句と下の句のまとまりを重視すると、フカヒレ短歌を1つの文と解釈することになる。

このとき、鮫に食われた恋人は斎藤の恋人だと確定できる。「恋人を鮫に食われた斎藤」という名詞句ができるからだ。

2.恋人を鮫に食われたのは誰?

文は主語がなくても成立する。「うわ、寒っ!」とか「電車の遅延により15分ほど遅れて参ります」とか。主語のない文は、主語になる要素が述語や文脈から分かることが多い。

フカヒレ短歌には「食わ(れた)」「破産する」「食う」という3つの動詞がある。これら3つの動詞の主語がフカヒレ短歌の解釈では問題になる

まずは「食わ(れた)」だ。

(※注1)にも書いた通り、定型に従って解釈すると、誰かの恋人を鮫が食ったことは確定的だ。それは誰の恋人だろう?

「恋人を鮫に食われた」はいわゆる持主受身だ。(恋人の持主とは何事だ、という気がしないでもない。)

似た構造の文「ぼくは見知らぬ男に財布を奪われた」を例に考えよう。ほんとうは色々な学問的立場があるけれど、この文の主語は「ぼく」と言っていいだろう。ではフカヒレ短歌にある「恋人を鮫に食われた」の主語は何か?

あ.明示されない人物X

フカヒレ短歌が2つの文だと解釈すると(先ほどのA)、「恋人を鮫に食われた」という1つの文を独立して考えることになる。

恋人を鮫に食われたのがXだと解釈する場合、「恋人を鮫に食われた」と発言した人物もXだと解釈できる。つまりこのXはフカヒレ短歌の〈語り手〉だ。(※注2)

い.斎藤

フカヒレ短歌が1つの文だと解釈すると(先ほどのB)、「恋人を鮫に食われた」の主語は斎藤以外ありえない。

3.破産するのは誰?

次に「破産する」の主語は何だろう? これも解釈が分かれる。

甲.明示されない人物Y

斎藤ではなくYが破産する場合、フカヒレを食う人物は斎藤に決まる。

「破産する」の主語Yが省略されていると解釈する場合、先ほどのXと同様に、Yは短歌の〈語り手〉だ。

乙.斎藤

「破産する」の主語が斎藤ならば、この段階ではフカヒレを食う人物はまだ確定できない。

4.フカヒレを食うのは誰?

最後に「食う」の主語は何だろう?

ア.明示されない人物Z

この立場だと、斎藤が破産するまでフカヒレを食うZという人物がいることになる。

また先ほどのXやYと同様に、Zは短歌の〈語り手〉だ。

イ.斎藤

この立場の方が、まだ良心的(?)な解釈かもしれない。

5.構文的にありうる6の組み合わせ

さて、以上を組み合わせてみよう。【A/B】と【あ/い】は一つにまとめられる。だから【A=あ/B=い】【甲/乙】【ア/イ】という3つの分岐を組み合わせることになる。いくつかの制限があるので、全部で6通りになる。

「が」を「は」に変えたり、句読点を入れたりしながら、意味が明確になるようにフカヒレ短歌を変形していこう。

(1)A=あ・甲・イ

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまでフカヒレを食う

Xは恋人を鮫に食われた。斎藤はYが破産するまでフカヒレを食う。

改変は引用者による

XとYはともに〈語り手〉だ。そして〈語り手〉が2人別々にいる兆候はない。(※注3)

だからXとYは一人の〈語り手〉と考えられる。つまりフカヒレ短歌は、次のような文として読める。

ぼくは恋人を鮫に食われた。斎藤はぼくが破産するまでフカヒレを食う。

(2)A=あ・乙・ア

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまでフカヒレを食う

Xは恋人を鮫に食われた。斎藤が破産するまでZはフカヒレを食う。

改変は引用者による

上の(1)と同じく、XとZは同一の〈語り手〉だ。つまり次のような文として読める。

ぼくは恋人を鮫に食われた。斎藤が破産するまでぼくはフカヒレを食う。

(3)A=あ・乙・イ

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまでフカヒレを食う

Xは恋人を鮫に食われた。斎藤は(斎藤自身が)破産するまでフカヒレを食う。

改変は引用者による

Xは〈語り手〉だ。だから次のような文として読める。

ぼくは恋人を鮫に食われた。斎藤は(斎藤自身が)破産するまでフカヒレを食う。

(4)B=い・甲・イ

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまでフカヒレを食う

恋人を鮫に食われた斎藤は、Yが破産するまでフカヒレを食う。

改変は引用者による

Yは〈語り手〉だ。だから次のような文として読める。

恋人を鮫に食われた斎藤は、ぼくが破産するまでフカヒレを食う。

(5)B=い・乙・ア

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまでフカヒレを食う

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまで、Zはフカヒレを食う。

改変は引用者による

Zは〈語り手〉だ。だから次のような文として読める。

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまで、ぼくはフカヒレを食う。

(6)B=い・乙・イ

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまでフカヒレを食う

恋人を鮫に食われた斎藤は(自身が)破産するまでフカヒレを食う。

改変は引用者による

これは一番オーソドックスな読み方だろう。〈語り手〉は姿を隠して、斎藤のことだけをわたしたちに伝えている。

恋人を鮫に食われた斎藤は(自身が)破産するまでフカヒレを食う。

まとめ

恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまでフカヒレを食う

このフカヒレ短歌は構文的に6通りの意味で読める。まとめてみよう。

主語を補うなどの変形を加えて、意味の違いを分かりやすくした。

  1. ぼくは恋人を鮫に食われた。斎藤はぼくが破産するまでフカヒレを食う。

  2. ぼくは恋人を鮫に食われた。斎藤が破産するまでぼくはフカヒレを食う。

  3. ぼくは恋人を鮫に食われた。斎藤は(斎藤自身が)破産するまでフカヒレを食う。

  4. 恋人を鮫に食われた斎藤は、ぼくが破産するまでフカヒレを食う。

  5. 恋人を鮫に食われた斎藤が破産するまで、ぼくはフカヒレを食う。

  6. 恋人を鮫に食われた斎藤は(斎藤自身が)破産するまでフカヒレを食う。

フカヒレ短歌は6のように読まれることが多いと思う。〈語り手〉が前面に出てこないからだ。そこにあえて「ぼく」と称する〈語り手〉を顕在化させ、新たな解釈の道を増やした。(※注4)

この記事では、あくまでも言葉の形式的な操作に終始してきた。この記事を踏まえた上で、フカヒレ短歌から読み取れることを中・後編で書きたい。

中編はこちら

※注

注1:定型で語句をまとめると、いくつかの解釈の道は断たれる。たとえば「恋人を|鮫に食われた斎藤が破産するまで|フカヒレを|食う」と切り、斎藤が鮫に食われ、短歌の〈語り手〉が恋人もフカヒレも食うと読む解釈など。

注2:Xという人物が「恋人を鮫に食われた」と言ったら、わたしたちは普通その発言を「Xは恋人を鮫に食われた」という意味で理解するだろう。そういうことだ。

注3:たとえば、フカヒレ短歌で次のようにカギカッコが使われていると〈語り手〉が一人だとは考えにくい。

「恋人を鮫に食われた」「斎藤が破産するまでフカヒレを食う」

改変は引用者による

注4:〈語り手〉の一人称を「ぼく」としたのは、フカヒレ短歌を含む連作「雲の待合室」に「ぼく」という一人称の短歌があるからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?