二月の雪

雪国出身ではないので、わたしにとって雪は特殊な天候だ。

小学生のとき、人生で初めて親類の葬式に行った。その親類の死を伝える電話がきたとき、家族みんなでこたつに入っていた。蜜柑が蛍光灯で光っていた。雪の降る寒い二月の夜だった。

だから、わたしにとって二月の雪とは人の死だ。その親類に愛着なんてこれっぽっちもなかったのに。ついでにその時、人は死後数日でもひげが伸びると知った。花に包まれた顔で、ひげが一ミリほど伸びていた。

雪になると、亡くなった親類のことを連鎖的に思い出す。教師は遊んでるくせに金を貰ってると毛嫌いしていた人、おろしたての桐の下駄を空襲で焼かれたという一点でアメリカを恨んでいた人、などなど。

わたしの祖母もすでに亡いけれど、おもしろい人だった。とても大きな家を指さして「こんな家に住んでいるなんて、どんな悪いことをした人だろうね」と言うような人だった。(昔から続く地主の家だとわたしは大人になって知った。)

この祖母のことを、今日Twitterで見かけたツイートで思い出した。(わたしはあのSNSをまだTwitteと呼ぶよ。)

祖母はわりと愛想のいい人で、友達づきあいの輪が広かった。そういう友達の誘いで、自民党の代議士の後援会にいた時期もあったそうだ。

「ほんのちょっとの会費でお芝居も見られるし、いちご狩りも行けるし、お得なのよ」と言っていたらしい。そのくせ、選挙では必ず社会党に投票したそうだから、まったく見上げた根性の持ち主だったと思う。

その話は祖母の葬式のときに知った。思春期だったわたしは最低だと思った。けれども、いかにも庶民的で小狡いところが、今となってはわりと好きなところだ。

祖母は「強盗慶太」や「ケチ友」という言葉を教えてくれた。だから、わたしは五島美術館に行くたびに祖母のことを思い出す。

街に雪の降る夜は、たしかに思い出だけが通り過ぎてゆく。

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