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前川佐美雄にも廬蘆の誤り
「魯魚亥豕」とか「烏焉馬」とかいう言葉がある。間違えて形が似た別の漢字を書くことを指す。こういう漢字の間違えは、手で書くときよく起きるもので、古代中国からあった。
現代なら、PCやスマホで正しく読み方を入力して変換すれば、「魯」と「魚」を間違えることはない。しかし現代のデジタル環境でも「魯魚亥豕」は生まれる。言葉の意味や漢字の読み方が分からなければ、形が似ている別の漢字を入力してしまう。
たとえば「よろしく」は「宜しく」と書くはずなのに「宣しく」と入力する人がいる。たぶん「宣伝-伝+しく=宣しく」的に入力するんだろう。その辺の事情について、漢字研究者のコラムもあるくらいだ。
かつて前川佐美雄という歌人がいた。わたしは彼の『秀歌十二月』という本を読む会に参加している。1964年の新聞連載をまとめた本で、1965年に初版が出てから版を重ねて、今年講談社学術文庫に入った。
『秀歌十二月』は一~十二月の12章で構成されている。今月の読書会で読む十二月の章には、橘曙覧の歌が載っている。前川はこんな風に紹介している。
花めきてしばし見ゆるもすず菜園田伏の芦に咲けばなりけり
藩主松平慶永(春嶽)が、福井三橋町の曙覧の草庵をたずね、城中で古典の講義をするようにと懇望した時、辞退して春嶽に贈った歌である。これに対して春嶽は歌っている。
鈴菜園田伏の芦に咲く花を強ひては折らじさもあらばあれ
ふたりの面目まさに躍如たるものがある。
太字は引用者
太字にした「田伏の芦」とは何か? 「たぶせ」は田の伏屋、つまり田につくられた仮小屋のこと。人里離れた住まいを指すこともある。その「たぶせ」の芦とは何か? 「鈴菜園」とは蕪畑のことだけれど、水辺に生える芦とどう関係するのか?
この問題は『秀歌十二月』だけを見ても埒があかない。そこで別の本で曙覧の歌集『志濃夫廼舎歌集』を見ると、問題はあっさり解決する。前川の間違えだ。
花めきてしはし見ゆるもすゝな園田廬に咲けはなりけり
かく聞こえあけゝれは、かしこくもきこしめしわけさせ給ひ、仰せのむねゆるさせ給ひけるうへに、 「すゝな園田ふせの庵にさく花をしひてはをらしさもあらはあれ」といふ御謌あそはし給ひたりけり。
カギカッコと句読点と太字は引用者
太字にしたところは、短歌の定型の7音分にあたる。歌のやり取りだから、当然共通する言葉を使っているはず。だから、この7音は歴史的仮名遣いで「たぶせのいほに」だと分かる。
「たぶせ」は漢字で「田廬」とも書く。「いほ」は「いほり」のことで、漢字で書くと「庵」や「廬」。だから曙覧の歌は「田廬」だけで「たぶせのいほ」と読ませるんだろう。(「のいほ」が脱け落ちた可能性もある。)
「たぶせのいほ」は「かりほのいほ」という歌語に似ている。「かりほ」は漢字で書くと「仮庵」や「仮廬」。「かりほのいほ」は小倉百人一首の冒頭の「秋の田のかりほのいほの…」という歌などにある。「たぶせのいほ」はこれに基づく表現だろう。曙覧より前の世代だと、良寛が「夏草の田ぶせの庵と…」という歌を詠んでいる。
こんな風にして、『秀歌十二月』の「田伏の芦」は「たぶせのいほ」の間違えだと分かる。
ではなぜ前川は間違えたのか。『橘曙覧全集』にある「田ふせの庵」が「田伏の芦」に見えたとは思えない。けれども別のページを見ると糸口が見えてくる。
「花めきてしばし見ゆるもすゞ菜その、田伏の廬にさけばなりけり」、とて固辭せり、侯も亦 「鈴菜園田伏の廬に咲く花を、强ひては折らじさもあらばあれ」、と返して止まられたり、
太字は引用者
つまり「廬」を形が似ている「蘆」に間違えた可能性がある。「蘆」の俗字が「芦」なので、前川は「魯魚亥豕」的に間違えたわけだ。そして嬉しいことに「蘆」に間違えた他の本も見つかる。
(…)『花めきてしばし見ゆるもすずな園田伏の蘆に咲けばなりけり』の歌を上つて辭した。
花めきてしばし見ゆるもすず菜畑田伏の蘆に咲けばなりけり
藩主松平慶永(春嶽)が中根雪江を介して、曙覧に万葉の秀歌を選んで書かせたことがあつたが、(…)。この時固く辞退して贈つたのがこの歌である。歌の意味は說く迄もあるまい。春嶽はこれに対して、
鈴菜園田伏の蘆に咲く花を强いては折らじさもあらばあれ
と歌つている。春嶽と曙覧の面目躍如たるものがある。
『近代短歌講座 第一巻』新興出版社、1951年、216ページ
ふりがなが正しい本は植字の段階で間違えたんだろう。これも伝統的「魯魚亥豕」の一種だ。
それにしても『近代短歌講座 第一巻』の松田常憲のコメントは、『秀歌十二月』の「面目まさに躍如たるものがある」という一節を思わせる。前川はこれを参照したのかもしれない。
前川の廬蘆の誤りは、大阪読売新聞・筑摩書房・講談社の校閲をすり抜けた。その歴史に思いを馳せると、たんなる漢字の間違えであっても大変に味わい深い。そんな土曜の夜。
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