大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム2
大河ドラマ「光る君へ」をおもしろく観ている。平安時代の政治劇が楽しい。
「光る君へ」第1回の漢文について書いた記事が、思いがけず好評をいただいた。ありがとうございました。
そこに大抵のことは書いたし、第2回はあまり漢文が出てこない。もう「光る君へ」関連の記事は書かないつもりだった。
ところが一昨日、また遅ればせながら第3回を観たら気が変わった。やっぱりよく作られた雰囲気の中にあるアナクロニズムがおもしろい。
無毒なアナクロニズムはドラマの楽しみのひとつだ。噛めば噛むほど味が出る。
そこで、第3回に出てくる漢文の描写のアナクロニズムをまとめてみた。(今回は詩、つまり漢詩もあるけれど、ひとくくりに漢文と言う。)
孟子(34:20頃~)
永観2年。西暦では984年。藤の花の盛りの時期。
主人公のまひろは、左大臣源雅信の屋敷で倫子たちと偏継をして遊んでいた。
一方、藤原道長は関白藤原頼忠の屋敷で若い公達と勉強会をしていた。
「人に忍びざるの心有り」について関白の子藤原公任が暗誦する。これは孟子の公孫丑上篇で惻隠の心などを説く箇所。
この時代、孟子はあまり読まれなかった。でも惻隠の心などの話は群書治要にも抜粋されている。政治に関わるなら知るべき内容だっただろう。
暗誦を聞きながら道長は手元の本を見る。この小道具、とても雰囲気が出ている。非常によい。
まずなによりヲコト点がある。素晴らしい。内容は趙岐の注釈が付いた「趙注本」という種類の孟子だ。時代に合ったいいチョイスである。
孟子は平安時代の写本が見つかっていない。小道具のモデルは室町時代の写本だろうか。
孟子が抜粋された群書治要の第37巻は、平安時代の写本がある。
室町時代の九条尚経によると、この第37巻は頼忠(ドラマだと声の小さい関白)が写したという。この巻は白文だけれど、第22巻や第31巻などに鎌倉時代頃の返点やヲコト点がある。
こういうものと見比べると、この場面のアナクロニズムが見えてくる。
小道具にv型の記号がある。レ点の原型とされる雁点だろう。第1回の史記について書いたように、雁点が使われ始めたのは12世紀頃だ。
ドラマの訓読は、小道具のヲコト点と合わない。ドラマの訓読を下に引用したけれど、いかにも江戸時代以降という感じだ。
ドラマだと怵惕をジュッテキと読んでいた。清音でチュッテキの方が平安時代風だと思う。(字音仮名遣いはチヰツテキ。)室町時代の末には、もうジュッテキと言っていたようだ。
小道具は鎌倉時代、訓読は江戸時代。混ざり合うアナクロニズムがおもしろい。
ちなみに、小道具は返点・ヲコト点・ふりがなに間違えがある。道長、ちゃんと勉強しろ。
白氏文集?(35:30頃~)
公達の勉強会は、詩を写す時間になった。
「潯陽江頭夜…」と始まるのは、白氏文集にある白居易の琵琶引という詩。お手本(?)は巻物で雰囲気が出ている。
この詩は「琵琶行」の題で古文真宝に入り、室町時代以降にそれが広く読まれた。小道具の題は白氏文集のとおり。いいチョイスである。
小道具をよく見ると、長恨歌が途中で切れて琵琶引が始まる。こういう脱簡があるということは、白氏文集を抜粋した写本という設定だろうか。
作り込まれた小道具も、平安時代の写本と比べると見た目のアナクロニズムがよく分かる。そちらはもう第1回の史記について書いた。
じつは見た目だけでなく、中身にもアナクロニズムがある。
小道具の中身は「那波本」という種類の白氏文集に近い。乱暴に単純化すると、那波本の中身は南宋(12世紀に成立)以降のものだ。つまり小道具の中身は12世紀以降のものだ。
984年のストーリーに12世紀が現れる。このアナクロニズムがおもしろい。
史記(36:37~40)
まひろが左大臣の屋敷から帰ってくる。
父の藤原為時は本を写しながら(?)まひろを待っていた。
ほんの数秒画面に映るのは史記。巻物にする前の紙だろうか。
小道具の見た目は第1回の史記とほぼ同じ。けれども中身は第1回の史記と違うようだ。
ちょっとややこしい話をする。
史記の代表的な注釈は3種類ある。史記集解、史記索隠、そして史記正義。それぞれ、集解、索隠、正義と略して呼ばれている。
集解は、注釈が史記の本文に付いて伝わった。第1回の史記について集解本と呼んだのはこれだ。
索隠と正義は、どちらも注釈だけの本だった。けれども12世紀の中国で、集解・索隠・正義の注釈すべてを本文に付けた三注合刻本が出版された。小道具は三注合刻本に似ている。
三注合刻本が日本に来るのは鎌倉時代。平安時代に鎌倉時代が紛れ込んでいる。このアナクロニズムがおもしろい。
マニア心がくすぐられて書きすぎたようだ。さすがに3本目の記事を書くことはないと思う。
「光る君へ」の第4回も楽しみだ。
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