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いま読める短歌は、すべて〈文語〉だ

短歌を作るために、短歌の言葉について勉強したい。とくに「文語」と呼ばれる言葉に興味がある。

とはいえ勉強は続けにくい。勉強の様子をnoteに書いて反応をもらえたら、やる気が持続するかもしれない。そんな不純な動機で、noteを書くことにした。

わたしが短歌を作ろうと思い立ったのは、去年の冬だ。それまで短歌に触れることもほぼなかった。つまり、短歌の世界に足を踏み入れてからまだ一年にもならない。

短歌の世界から見れば、わたしは物を知らないゼロ歳児だ。ゼロ歳児なりに、勉強を始める出発点を自覚しておきたい。

短歌の言葉について、今のところ「いま読める短歌は、すべて〈文語〉だ」と思っている。


1.言葉は〈口語〉と〈文語〉に分けられる

「いま読める短歌は、すべて〈文語〉だ」と書いた。けれども「文語」という用語には歴史的な積み重ねがある。それなりの但し書きをしないと、「嘘つけ、こういう短歌は違うだろ」などと言う人もいる。

ひかりってめにおもいの、と不機嫌だごめん寝てるのに電気つけちゃって

山田航「ココア週間」『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』
現代歌人シリーズ34、書肆侃侃房、2022年、40ページ

なるほど、「ひかりって…」の歌はいわゆる文語短歌ではない。ただし、いわゆる文語短歌の「(いわゆる)文語」の中身と、わたしが思う〈文語〉の中身とは違う。だからわざわざ山カッコをつけて〈文語〉と書く

それなりの但し書きを始めるために、まずは言葉というものについて乱暴にまとめておく。

人間が言葉を使うのは、だいたいコミュニケーションのためだ。(独り言などもあるけれど。)言葉を使うときは、口頭で話すのが基本だ。けれども、文字で言葉を書くこともある。ここまでは、多く支持されている前提だと思う。

口頭で話す言葉が〈口語〉、文字で書く言葉が〈文語〉、とわたしは定義しておく。わたしは他人と〈口語〉で会話して、このnoteを〈文語〉として書いている。わたしが山カッコをつけるのは、こういう含みを持たせるためだ。

もっとも、〈口語〉と〈文語〉をきっちりとは分けられない。たとえば演劇の台本のせりふは、もはや〈口語〉といえる〈文語〉だ。話のうまい人が即興でするスピーチは、〈文語〉に近い〈口語〉だ。読みやすく編集された対談記事は、もはや〈文語〉といえる〈口語〉だ。

2.〈口語〉=口頭で話すための言葉

〈口語〉は口頭で発する言葉だから、録音・録画でもしないかぎり、発せられたそばから消えていく。

〈口語〉の例として、Youtuberの動画を部分的に書き起こしてみた。島袋という人(愛称はもつ、もっちゃん)がドリアンの臭いをかぐ場面。ト書きはあえて最小限にした。島袋という人以外の名前は「??」のままだ。教えてくださる方がいたら改める。

??:うわくっさ!ここ。
??:前結構やばいよ。
島袋:ゥワァ
??:あのもつを!
??:もつ!
島袋:ちょっと待ってな。
:ちゃんと吸お!
島袋:ゥオェェェ
(一同笑っている)
??:お前!
??:お前嗚咽(ママ)かわいい。
??:強くないやんお前!
??:やっぱもっちゃん臭いよね?
島袋:やーっばい、これ!
??:これさヤギとどっちが臭いかだけ教えて?
島袋:これ!
一同:えーっ!

コムドット「【過去最低】エスポワールとのコラボで放送事故が起こりました...」
2023年8月26日公開、29:50~

※「嗚咽おえつ」とは、「オエーッ!」となることではなく、声を詰まらせて泣くこと。(ママ)という振り仮名は、使い方が変だけどそのまま引用したという意味。

書き起こしから〈口語〉の特徴がざっとわかる。〈口語〉は会話の場に寄りかかっている。そのせいか、内容もあまり整理されないし、全体的に親しげな(あえて言えば下品な)言葉遣いになりやすい。「うわ」や「〜よね?」などの表現も出やすい。

〈口語〉の内容が整理されづらいことは、前にも書いたことがある。このときは、〈口語〉のことを話し言葉、〈文語〉のことを書き言葉と書いた。このnoteではあえて〈口語〉や〈文語〉と書いている。

3.〈文語〉=文字で書くための言葉

〈文語〉は文字になる言葉だから、目に見える形で存在する。(凹凸があれば指でさわれる。)形を持つからこそ、古いものが残ったり、人の目を意識して洗練されたりする。

3‐1.口語体=今の主な〈文語〉の姿

〈文語〉は今の日本でも毎日生まれている。それは、今の日本で文字として発信されている言葉のすべてだ。今の日本の〈文語〉の多くは、今の〈口語〉のスタイルをとっている。

今の〈口語〉のスタイルをとるとはどういうことか。ざっくり言えば、それは今の〈口語〉の文法などに従うということだ。

 バーン、と耳をつんざ爆音が響き渡り、私を物思いから現実へとひきずり戻した。どこかのフロートが大きな風船を突き破り、大量の紙吹雪が宙をひらひら舞っているのだ。群衆はより一層盛り上がり、舞い散る紙吹雪をキャッチしようと何度も跳ねて、歓声は空をも揺るがさんばかりの勢いとなった。その祝祭的な雰囲気に感染し、私は考え事をやめ、パレードの観覧に集中することにした。小難しいことを今考えてもしかたがないのだ

李琴峰「シドニー・マルディ・グラ紀行 虹に彩られる季節(後編)」
『すばる』2023年10月号、135ページ、太字は引用者

 運動時や労働時に失った水分を十分飲水できない場合が多いので、翌日までに十分な水分摂取が必要です。なお、入浴時、睡眠時も発汗していますので、起床時や入浴前後は水分を摂取する必要があります。
運動時や作業時に大量の発汗がある場合には、体重減少量(発汗量)の7 ~ 8割程度の補給が目安です。汗の量は、運動や作業の強度と環境温度および着衣量により異なります。運動・作業の前後の体重差が汗の量になりますので、日ごろから体重を計り、汗の量の目安を確かめておくと良いでしょう

環境省環境保健部環境安全課『熱中症環境保健マニュアル 2022』、33ページ
環境省熱中症予防情報サイトにて公開、太字は引用者

太字のところは、今の〈口語〉の文法に従っている。

  • 〝主語〟を「が」で示す

  • 動きの継続を「~ている(ています)」で示す

  • 発見や事情を「~のだ」で示す

  • 推測を「~だろう(でしょう)」で示す

このように〈口語〉のスタイルをとる〈文語〉のありかたが口語体だ。とりあえず、わたしはそう思っている。

ひかりってめにおもいの、と不機嫌だごめん寝てるのに電気つけちゃって

山田航「ココア週間」、再掲、太字は引用者

この歌も文字に書かれていて、今の〈口語〉の文法などに従っている。だから、口語体の〈文語〉だとわたしは思う。〈口語〉らしさの装いはあるけれども、あくまで〈文語〉だ。

3‐2.文語体と〈口語〉の変化

「口語体」という用語が登場したので、それと対立する「文語体」という用語についても整理しておく。

今の日本の〈口語〉ではない言葉のスタイルをとる〈文語〉のありかたが文語体だ、とわたしは思っている。文語体はどんな言葉のスタイルをとるのか。単純に考えても選択肢は3つある。

  • 昔の日本で〈口語〉だった言葉

  • 今の外国の〈口語〉

  • 昔の外国で〈口語〉だった言葉

たとえば、奈良時代の日本の公的な〈文語〉の多くは漢文のスタイルをとった。(漢文がいつ・どこの〈口語〉にあたるのかは、とても面倒くさいので考えない。)

以前、被民部省去天平勝宝元年九月廿日符偁、被太政官今月十七日符偁、被大納言正三位藤原朝臣仲麻呂宣偁被 勅、奴婢年卅已下十五已上、容貌端正、用正税充価直、和買貢進者、省宜承知、依前件数、仰下諸国、令買貢上、但不論奴婢、随得而已者、国宜承知、依状施行者、謹依符旨、件奴婢買取進上如前、仍便付朝集使目従六位下賀茂直秋麻呂申送、謹解、

但馬国司解より、天平勝宝2年(750)正月8日
『大日本古文書』から字体を変えて引用

短歌に関係するのは、昔の日本で〈口語〉だった言葉のスタイルをとる〈文語〉だ

出発点として、万葉集や古今集などに載る歌はそのときの〈口語〉のスタイルをとる〈文語〉だった、と考えておく。つまり、万葉集や古今集などに載る歌は口語体の〈文語〉として書かれた、と考えておく。

同じように、源氏物語などの平安時代の和文も口語体の〈文語〉として書かれた、と考えておく。漢文のスタイルをとっていない以上、当時の〈口語〉のスタイルをとったと考えるしかない。

和歌は古今集などの言葉のスタイルをとって作られ続けた。しかし〈口語〉は変化する。いつしか、和歌の言葉がとるスタイルは同時期の〈口語〉のスタイルから隔たる。つまり〈口語〉が変化するにつれて、和歌は口語体の〈文語〉ではなく、文語体の〈文語〉として書かれるようになる。

3‐3.文語体の〝乱れ〟

文語体の〈文語〉も、〈口語〉を話す人間が書く。だから文語体の〈文語〉に書き手の話す〈口語〉が影響することもある。これを〝乱れ〟だと感じる人もいる。

漢文のスタイルをとる奈良時代の〈文語〉にも、〈口語〉的な〝乱れ〟があった。たとえば、休暇申請書にある決まり文句「暇を請ふこと件の如し」の書き方。漢文的な「請暇」と、日本語的に〝乱れた〟「暇請」がある。

請暇如件

丸部豊成請暇解より、神護景雲4年(770)7月4日
『大日本古文書』から字体を変えて引用

暇請如件

秦忍立請暇解より、宝亀2年(771)閏3月13日
『大日本古文書』から字体を変えて引用

これらの例は、桑原祐子「正倉院文書の休暇願にみる実務官人の言語生活:待遇改善要求草稿と請暇解」(『京都語文』第28号、2020年11月)からピックアップした。おもしろい論文だった。

「昔の日本で〈口語〉だった言葉」のスタイルをとる文語体でも、〈口語〉に引きずられて〝乱れ〟が起きた。そういう〝乱れ〟については前に「なんちゃって文語」として少し書いた。

その「なんちゃって文語」は、書き手の時代や状況によって細かく分ける必要がある。今のところ、わたしはとりあえず次のように思っている。歴史上数多くいた〝乱れた〟文語体の書き手は、必ずしも昔の日本の〈口語〉を再現するつもりではなかっただろう

もう少し具体的に書く。前に歴史上の「なんちゃって文語」として新井白石の例を挙げた。けれども、白石が文語体で書いたのは、当時のちゃんとした文章が文語体で書くものだったからだ。昔の日本の〈口語〉らしく書こうと努力した本居宣長などとは、発想の根本から違う。

江戸時代の人がほかに書きようもなくて文語体で書いたのと、現代の人があえて文語体を選択して書くのとは、同列に語れない。

3‐4.表記を工夫したくなる〈文語〉

〈文語〉は、文字や記号で表記されて形を持つ。表記という形があるからこそ、表記を整えたくなるし、表記に何らかの意味を見出したくなる。

日本の〈文語〉の表記には、まず仮名遣いの問題がある。けれども、扱うのがとても面倒くさい。仮名遣いには、昔の〈口語〉のスタイルをとるか、今の〈口語〉のスタイルをとるかの2つの要素がある、とだけ書いておく。

日本の〈文語〉の表記には、文字の種類という問題もある。今の日本では、同じ文章の中でも目的をもって漢字・ひらがな・カタカナなどを使い分けることが多い。

ひかりってめにおもいの、と不機嫌だごめん寝てるのに電気つけちゃって

山田航「ココア週間」、再掲

この歌の表記を次のようにいじってみる。

ひかりってめにおもいのと不機嫌だごめん寝てるのに電気つけちゃって

(読点を削除)

「ひかりってめにおもいの」と不機嫌だ。「ごめん寝てるのに電気つけちゃって」

(読点を削除し、カギカッコと句点を追加)

光って目に重いの、と不機嫌だごめん寝てるのに電気つけちゃって

(ひらがなの一部を漢字に変更)

ひかりって めに おもいの と ふきげんだ ごめん ねてるのに でんき つけちゃって

(読点を削除し、全体をひらがな分かち書きに変更)

表記によって言葉は変わらない。音読すれば分かる。とはいえ、読点ひとつ消えるだけでも、この歌が損なわれると感じる人もいるだろう。歌が〈口語〉ならば、表記を考える余地はない。だからこそ、この歌も立派に〈文語〉だとわたしは思う。

「ひかりって…」の歌は文字や記号で表記されている。表記の工夫は〈口語〉らしさの装いにつながっている。その装いは歌の重要な一部を構成している。表記までもが作品の一部になるのは、短歌の現代的な〈文語〉らしさだ、とわたしは思う。

4.まとめ:短歌は〈文語〉だ

5000字以上も書いてしまった。ざっくりまとめると、こうなる。

  • 言葉には〈口語〉と〈文語〉の2種類ある

  • 〈文語〉にも口語体と文語体の2種類ある

  • 今は口語体の〈文語〉が主流だ

  • 文語体の〈文語〉にもいろいろある

  • 文語体の〈文語〉は〈口語〉によって〝乱れる〟ことがある

  • 〈文語〉を表記する方法にもいろいろある

はじめに書いた「いま読める短歌は、すべて〈文語〉だ」とは、こういうことだ。

わたしたちは文字で表記された言葉を読む。「いま読める短歌」とは、いま文字で表記されている短歌だ。そういう短歌には、万葉集もあれば、現代の作品もある。それらはすべて文字で書くための言葉、つまり〈文語〉だ。

とはいえ、ある短歌が文字で書かれなくても、その短歌が完全な〈口語〉だとは思えない。短歌は定型を念頭に整えられる〈文語〉的なものだ、とわたしは思う。非定型の短歌だって、口任せに生まれる言葉ではないだろう。

文章の中に偶然生まれる5・7・5・7・7を「n57577」と言う人たちがいる。会話の中で話し手も気づかないうちに生まれた「n57577」こそ、完全な〈口語〉の短歌なのかもしれない。けれども、それは短歌ではないという気がする。

※〈口語〉と〈文語〉についてわたしが思っていることは、基本的に次の本の受け売りだ。(新井白石の話もそこで知った。)おもしろいので読んでみてください。

  • 野村剛史『話し言葉の日本史』歴史文化ライブラリー311、吉川弘文館、2011年

  • 野村剛史『日本語「標準形」の歴史:話し言葉・書き言葉・表記』講談社選書メチエ704、講談社、2019年

読まれた方は、わたしが誤読している部分を見つけたら教えてください。

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