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『井賀論。』 vol.2 “目に見えないものを閉じ込めろ”

ROUND2 写真は時空を超える

写真にはふたつの大きな特性がある。表現と記録。アートとジャーナリズムとも言えるかもしれない。

2006年2月、ドイツを訪問した。ハンブルクにあるサッカーチームの取材のためだ。

それをあらかた終えた週末ベルリンを訪れた。当時のベルリンは西側諸国の自由闊達さと東側諸国の闇ともいうべき抑圧された空気が混在したとても魅力的な街だった。今まさにここから何かが生まれようとしている街の胎動を感じた。その空気に少しでも触れたくて、ベルリンの壁にも訪れ、ここが東西冷戦の最前線だったことがよく理解できた。

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過去も未来も関係ない

そしてベルリンの北約30キロにあるザクセンハウゼン強制収容所を訪れた。広大な敷地には第二次世界大戦当時10万人ものユダヤ人が収容されていたという。そこはあまりに静かで、静かだということは怖いことなのだと初めて知った。冬の寒い日だったから、訪れる人がほとんどいなかったこともあるだろう。私以外はひと組かふた組のみだった。かつてここに閉じ込められていた人達の想いや時間が凝縮されていた。写真に撮らなければと思った。

いや撮りたいと思った。それはとても美しかった。

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美しいと感じた空間を閉じ込めた写真は表現となるが、それが後世に残っていけば記録となる。撮影者がそう意識していなくとも、シャッターを切った瞬間それは記録となるのだ。過去のものを、今撮り、それが未来へと伝わっていく。写真は容易に時間を行き来する。過去も未来も関係ない。写真はそれに気づかせてくれる水先案内人だ。

目に見えないものを写真に閉じ込めろ。その時それは強度を増し時空を超える。

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時間を忘れて真剣に写真を撮っていたら、もう誰も残っていないと思われて施設の扉を閉められてしまい、出れなくなり、2月のドイツで野宿となったら凍死しかねないと、一瞬恐怖に囚われ、必死に高い壁を乗り越えてほうほうの体で逃げ出したのはここだけの話である。

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