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【特撮】ウルトラマンの円谷プロには今、円谷一族は誰も関わっていない。その衝撃の歴史を紐解く本:『ウルトラマンが泣いている』

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天才・円谷英二の物語……ではなく、「円谷プロ迷走の歴史」を語る衝撃の実話

円谷英二と言えば、「ゴジラ」「ウルトラマン」などに関わった、「特撮の神さま」と評される人物だ。スピルバーグやジョージ・ルーカスにも影響を与えたとされ、世界の映像技術の基礎に多大なる貢献を成した凄まじい人物である。

本書には、円谷英二に関する記述ももちろんあるが、決して作品のメインではない。本書の著者は円谷英二の孫であり、円谷プロ2代目社長の息子である。自身も、ごく短い期間ではあるが、6代目社長を務めた。

そんな人物が一体何を語るのか? それは、「なぜ円谷プロに円谷一族が関わりを持たなくなってしまったのか?」である。

我々円谷一族の末裔は、現存する円谷プロとは、役員はおろか、資本(株式)も含め、いっさいの関わりを断たれています

本書で著者はこんな風に書いている。創業家が関わっていないという意味では、世界的ブランドGUCCIと同じと言っていいだろう。私は円谷プロのこの現状をまったく知らなかったので、まずそのことに驚かされてしまった。

著者は6代目として、会社をまともな方向へ舵取りしようと奮闘したそうだ。しかし上手くはいかず、結局買収され、円谷一族とは関係のない会社になってしまったのである。

円谷英二が生み出したものは、日本が世界に誇れるものだと言っていいだろう。そんな偉大な祖父を持つ一族としてはあまりにお粗末としか言いようがない顛末を、隠すことなくさらけ出す作品である。

円谷英二と円谷プロの凄まじさ

まずはやはり、偉大なる祖父の凄まじさについて触れていこう。

円谷英二に関するエピソードで、私が最も驚いたのが、映画『ハワイ・マレー沖海戦』についてのものだ。本書の文章を引用しよう。

祖父が制作に参加した第二次世界大戦中の映画「ハワイ・マレー沖海戦」では、東宝のプールに作ったハワイ・真珠湾のセットがあまりにも見事だったため、戦後、日本にやって来た米軍関係者から、
「あれは、いったいオアフ島のどこから撮影したのか」
と、祖父が尋問を受けたという逸話が残っています。

ミニチュアのセットで撮影した映画を観た米軍関係者が、「実際にオアフ島から撮影した映像」だと勘違いした、というエピソードである。しかもなんと、機密事項だからと、軍の資料を見せてもらえない中での制作だった。そんな制約の中で、リアルと見間違うだけの映像を作り上げたのだから、その凄まじさが理解できるのではないだろうか。

円谷英二が存命だった時代、円谷プロは特撮の制作に一切の妥協を許さなかった。そのことは、「ウルトラマンシリーズ」の制作費に関する文章からも想像できるだろう。

初期のウルトラマンシリーズでは、全国ネットの30分子供番組の制作費が200万円程度、一時間ドラマでも500万円を超えなかった時代に、TBSは550万円を円谷プロに支払っていました。しかし、実際の経費は1本1000万円近くかかり、番組を作るたびに借金が積み重なることになりました。

当時としては破格の550万円という制作費をテレビ局からもらいながら、その倍の経費を使って番組を作っていたというのだ。もはや「ビジネス」と呼べるようなものではない。そもそも円谷英二は、映画もテレビ番組も「ビジネス」だとは思っていなかったという。だから採算など度外視、夢を映像化した芸術作品を完璧に作り上げるために金を惜しまずに注ぎ込むスタイルを貫き続けた。

円谷英二のこの「悪い部分」だけが円谷プロという会社の遺伝子に組み込まれたのかもしれない。円谷プロはとにかく「金の使い方がザルだった」そうだ。6代目社長として就任した著者は、まず会社の全経理を徹底的にチェックしたというが、そのあまりの杜撰さに唖然としたと書いている。よくもまあこんな状態で会社がもっていたなと感心するほどだったそうだ。

しかし、お金に杜撰なそんな経営で、どうして円谷プロは長きにわたり存続し続けられたのか。その理由は、円谷プロが生み出したとされるビジネスモデルにある。

円谷プロの「収益の源泉」と、長期ビジョンの欠如

「膨大な支出」と「杜撰な金勘定」のままどうにか会社が成立していた理由は、後に「円谷商法」と呼ばれる著作権ビジネスにある。テレビ番組などで放送したキャラクターをグッズにして収益を上げるという、現代では当たり前すぎるやり方だが、これを生み出したのが円谷プロなのだそうだ。

その勢いは凄まじかった。なんと、「円谷商法」が上手く行き過ぎたが故に、ウルトラマンシリーズの新作が国内で16年間も作られなかったなんてこともあるほどだ。3代目社長・円谷皐の時代の経営陣は、こんな風に言っていたという。

慢性的な持ち出しが続いていたレギュラー番組の制作を止めれば、毎年の著作権、商品化権収入だけで少なくとも二億円は見込めるから、それだけで会社は存続できる。

つまり、「番組制作を止めて、著作権ビジネスだけにすれば、会社はそれだけで存続できる」という意味だ。円谷英二がこの言葉を聞いていたら、どう感じただろうか。

いずれにせよ、それぐらい上手く行っていたというわけだ。

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