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【衝撃】NHKがアマゾン奥地の先住民ヤノマミ族に長期密着。剥き出しの生と死、文明との共存の難しさ

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1万年以上独自の文化を保ってきたアマゾン先住民ヤノマミ族にNHK取材班が長期密着した記録

本書は、NHKのドキュメンタリーとして放送された「ヤノマミ族の長期密着」に携わった、NHKのディレクターでありノンフィクション作家でもある国分拓が執筆した作品だ。取材班は、2007年11月から2008年12月に掛けて計4回、150日間に渡ってヤノマミ族と共に暮らした。その記録である。

ヤノマミ族についての説明と、「先住民と文明の関係の難しさ」

緊張を強いる「文明」社会から見ると、原初の森での暮らしは、時に理想郷に見える。だが、ワトリキは甘いユートピアではなかった。文明社会によって理想化された原始協賛的な共同体でもなかった。ワトリキには、ただ「生と死」だけがあった。「善悪」や「倫理」や「文明」や「法律」や「掟」を越えた、剥き出しの生と死だけがあった。一万年にわたった営々と続いてきた、生と死だけがあった。

取材班が住まわせてもらった集落が「ワトリキ」である。「ただ『生と死』だけがあった」というのは、なんともインパクトの強い言葉だろう。そしてその指摘は、私たちが普段いかに”余計なもの”をまとって生活しているかという証なのかもしれないとも思う。「善悪」「倫理」「文明」「法律」「掟」が存在しない社会の方が良いなどと言いたいわけではない。しかし、まさにプリミティブであり、私たちの祖先も彼らのような生活を通ってきているはずだ。いかに私たちが”余計なもの”を抱えながら社会生活を行っているのかが実感できるだろうと思う。

ワトリキに住むヤノマミ族は、1970年代に初めて文明社会と接点を持ったという。1万年以上にも渡る長い歴史の中で、文明と関わった期間はごく僅かに過ぎない。また、ヤノマミの長老たちは、「文明社会と接触した少数民族が疫病などによって駆逐された」という歴史を知っている。少数民族は伝染病などに対する抵抗力を持たないため、私たちにとっては特に害を及ぼさないようなウイルス・細菌などによっても、命を落としてしまうのだ。コロンブス以降、アメリカ大陸に上陸したヨーロッパ人が簡単に先住民を制圧できたのも、そのような背景があったからだと考えられている。

だから、ヤノマミ族にとって、文明側の人間と接触することは、ただそれだけで「命の危険」になり得るのだ。

さらに、先住民と文明の関係については、次のような問題もある。

ヤノマミの居住区が保護区に指定された時、FUNAIの総裁として陣頭に立ったシドニー・ポスエロ氏は、先住民と「文明」との難しい関係について、こう語っている。
「原初の世界に生きる先住民にとって最も不幸なことは、私たちと接触してしまうことなのかもしれない。彼らは私たちと接触することで笑顔を失う。モノを得る代わりに笑顔を失う。彼らの集落はどんなに小さくても一つの国なのだ。独自の言語、風習、文化を持つ一つの国なのだ。そうした国が滅んだり、なくなったり、変わってしまうということは、私たちが持つ豊かさを失うことなのだ」

本来は、お互いがまったく関わりを持たないことこそが最も理想的だと言えるだろう。しかし、そう簡単な話ではない。何もしなければ、彼らが住む土地を開発してリゾートやゴルフ場が建設されてしまうかもしれない。そのような状況を防ぐためにも、文明側のルールで「ここは保護されている」と区分するしかないのだ。

しかしそうだとしても、先住民にとってはやはり「関わりを持ってしまったこと」が何よりの悪手となる。このジレンマの解消はなかなか難しい。

そのようなことをすべて承知した上で、ヤノマミ族は取材班を受け入れてくれる。しかしだからと言って、常に友好的な関係だったのかというと、そうではない。

ナプの一語は、彼らと僕たちを一瞬のうちに隔て分ける魔法のコトバだった。誰かがナプと言った瞬間に彼らは一つにまとまり、僕たちは他者となった。ついさっきまで楽しげに話したり歌ったりしていたとしても、関係はなかった。ナプの一語は万能の神がかける呪いの言葉のように、瞬時に僕たちを遠くへと追いやり、懸命に積み上げようとしてきた関係が一気に崩壊する合図となった。

当然だが、取材班は「受け入れてもらっている側」であり、どんな状況であれ、彼らが我慢するしかないと思う。何度も繰り返すが、ヤノマミ族には取材班を受け入れるメリットなど1つとしてないからだ。そういう中で著者らも、可能な限りコミュニケーションを取ろうと努力する。しかし、言葉も歴史も価値観も何もかもが異なる相手と、”たった150日間”で気持ちを通じ合わせようと考える方にやはり無理があるだろう。

とはいえ、本書を読むと、取材班の苦労もしのばれる。

だから帰国してからも考え続けた。番組を作りながら考え、番組が終わったあとも考えた。なのに、やはり、分からない。考えれば考えるほど何かが壊れていくような感覚も変わらない。心身は不健全なままで、求める答えも見つかりそうになかった。

取材班は、ワトリキでの生活の様々な点に追い詰められていく。それは、食事の合わなさだったり、虫にたかられることだったり、何もすることがない退屈な時間だったりと様々だ。しかし、その中でも最も衝撃的で、取材班もどう受け取ればいいのか分からなかっただろうヤノマミ族の”ある風習”を取り上げようと思う。

生まれたばかりの赤ちゃんは「人間」ではなく「精霊」

取材班は、赤ちゃんを産んだ少女の衝撃的な行動を目撃する。

45時間後に無事出産した時、不覚にも涙が出そうになった。おめでとう、と声をかけたくもなった。だが、そうしようと思った矢先、少女は僕たちの目の前で嬰児を天に送った。自分の手と足を使って、表情を変えずに子どもを殺めた。動けなかった。心臓がバクバクした。それは思いもよらないことだったから、身体が硬直し、思考が停止した。

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