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【狂気】バケモン・鶴瓶を映し出す映画。「おもしろいオッチャン」に潜む「異常さ」と「芸への情熱」:映画『バケモン』

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まさに「芸のバケモン」である笑福亭鶴瓶に17年間密着した壮大なドキュメンタリー映画

メチャクチャ面白い映画だった。

テレビで見ている限り、笑福亭鶴瓶という人には「おもろいオッチャン」ぐらいの印象しかない。テレビに出ている姿を見て、鶴瓶を「凄い」と感じたことは正直ない。ただし、どことなく「狂気」を感じる瞬間は度々あったと思う。きっと、「何かある人」なんだろうという印象は持っていたのだろう。

だからこの映画も、観ようと思った。この人は一体どんな人なのだろう、という興味があったのだ。

最終的に撮影期間17年、撮影時間6000時間、取材ノート34冊にも及ぶ密着となったが、元々鶴瓶は、「俺が死ぬまで公開するな」という条件で撮影を許可したそうだ。その真意までは語られていなかったが、芸人としての矜持に関わる何かがあったのだろう。しかしコロナ禍で映画館が苦境に立たされていると知るや、「映画館に恩返しするなら今しかない」と公開を決意したという。

だから、この映画の入場料はすべて映画館に提供すると表明している。

このようなスタンスで公開された映画なので、配信で観られる可能性は低いのではないかと思う。公開している映画館は今では多くないだろうが、機会を見つけて観に行くことをオススメする。

映画の冒頭で注意書きが表示される「差別表現」に込めた思い

この映画は冒頭で、

この映画には差別的な表現が出てきますが、笑福亭鶴瓶という人間を正確に表現するためにそのまま使用しています

という趣旨の注意書きが表示される。映画を観れば、それが「キ◯ガイ」を指しているのだと分かるだろう。

映画には何度かこの「キ◯ガイ」という言葉が登場する。そしてそれは、どれも「愛」に溢れたものだ。

最初に鶴瓶が「キ◯ガイ」と口にしたのは、「どんな人間に興味があるか」という話になった際、電車内で出会った人について語る場面である。鶴瓶は、電車内で見かけた男性を「キ◯ガイ」と表現し、興味深いからといって自ら積極的に話しかけたというエピソードを語っていた。その時のことについて鶴瓶は、

普通の人がいじろうと思えないような人をいじるのが好きやねん。

みたいな言い方をする。別の場面では、「誰もスポットライトを当てないような人が好き」とも語っていた。これは「スポットライトが当たらないような地味な人」のことではなく、「スポットライトを当てられないようなヤバい人」という意味だ。

鶴瓶はまた、何の話の流れでのことだったか忘れてしまったが、

キ◯ガイの枠に入れたったらええねん。

という言い方をしていた。これは恐らく、「光を当ててはいけない人」「見ちゃいけないもの」としてざっくりひと括りにしてしまうのではなく、むしろ「『キ◯ガイ』という枠組み」を作ってそれに相応しい扱いをしてあげた方がお互いにとって幸せなんじゃないか、という意味だろう。この映画のもう1つの軸である「落語」の世界は、「ダメでもいいじゃないか」という形での肯定が根底にあると感じるが、鶴瓶はまさにそれを地で行くような人間だと思う。

さらに先ほどの発言に続けて彼は、

その中には自分も入るしな。

みたいに言っていた。「自分も『キ◯ガイ』の部類だ」ということだ。確かに私も以前から、笑福亭鶴瓶という人間にそことはかとなく「狂気」を感じていたのだが、その「狂気」の源泉を上手く捉えきれていなかった。

この映画には、「タモリが鶴瓶のことを『自閉症』ならぬ『自開症』と称したことがある」というエピソードが出てくる。そしてこの「自開症」という表現に、強い納得感を抱くことができた。

「自開症」とは言い得て妙だろう。

「自閉症」について「閉じてしまうことに問題がある」と表現するとすれば、「自開症」は「開いてしまうことに問題がある」となるだろう。そしてまさに鶴瓶は、弁みたいなものの機能がぶっ壊れているのではないかと思うほど「開きっぱなし」だった。コミュニケーション1つとってもそんな感じで、イメージ通り、誰とでも壁を作らずに関わる。「この人は一体いつ『閉じる』のだろうか」と不安を抱かせるような振る舞いに「狂気」を感じてしまうのだと思う。

私は基本的に「変人」が好きで、しかも「パッと見て分かりやすい変人」よりも「深堀りしてみないと気づけない変人」に興味がある。そういう意味で笑福亭鶴瓶は、まさに私の好きなタイプの「変人」と言っていい。

映画の中では、あと1回だけ「キ◯ガイ」という言葉が出てくる。立川談志からかつてこんなことを聞いたと弟子の立川談春が語る場面だ。

(笑福亭)松鶴と鶴瓶には、何かキ◯ガイじみたものを感じ、畏怖の念を抱いていた。

笑福亭松鶴は、鶴瓶の師匠である。天才・立川談志にそう言わしめたのだから、鶴瓶にはやはり何かあるのだろう。映画全体としては、次で紹介するように「らくだ」という落語の演目が核となるのだが、随所に現れる鶴瓶の「狂気」にはやはり興味を抱かされた。

「『らくだ』を撮りたい」と、許可を取る前からカメラをバッグに忍ばせて始まった撮影

映画は、隠しカメラのような映像から始まる。鶴瓶にドキュメンタリー映画撮影の許可を取る前だからだ。撮影は2004年にスタートした。50歳から改めて本格的に落語に戻った鶴瓶は、師匠・松鶴が得意としていた「らくだ」をやると決意する。それを知った監督が鶴瓶に「『らくだ』を撮りたい」と直訴、「いいけど、俺が死ぬまで世に出すなよ」という条件で撮影が許可された。

鶴瓶は1972年に松鶴に弟子入りしたが、師匠から落語を教えてもらったことは一度もないそうだ。上方落語四天王の一人と呼ばれ、破天荒で豪放磊落な人生を送った松鶴が得意としたのが、古典落語の名作と名高い「らくだ」である。鶴瓶にとって「らくだ」をやるというのは大きな決意を伴うものだった。それで彼は毎月、松鶴の墓、そして「らくだ」を完成させた三代目桂文吾の墓をお参りしている。鶴瓶の話術にかかれば墓参りさえも笑い話に変わってしまうのだからさすがだ。さらに後半、この「墓」に関して驚きの展開が待っている。なんというか「持っている男」だと思う。

いつしか「らくだ」は、笑福亭鶴瓶のライフワークになっていく。だからこそこの映画でも、必然的に「らくだ」が主軸となるのだ。歌舞伎座で「らくだ」をやったり、ある時から13年間も「らくだ」を封印したりする。「らくだ」の中身も時代ごとに変わっていく。そんな風に、ライフワークとなった「らくご」を通した笑福亭鶴瓶の変化が切り取られていくというわけだ。

この映画は基本的に「『らくだ』をやる笑福亭鶴瓶の映画」と言ってよく、この落語がどのよいうに生まれたか歴史を紐解くなど「らくだ」に関する話は非常に多い。その中から、ここで触れるのは1点だけにしよう。テレビで見るのとは違う、「芸人・笑福亭鶴瓶」の奥深さを感じさせられるような場面だ。

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