【中絶】望まない妊娠をした若い女性が直面する現実をリアルに描く映画。誰もが現状を知るべきだ:『17歳の瞳に映る世界』
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非常に大きなチャレンジをし、そのチャレンジに見事成功した映画『17歳の瞳に映る世界』の凄さ
この映画の内容は、「望まない妊娠をしてしまった17歳の少女オータムが、中絶のためにニューヨークまで行く」という一文で要約できます。それぐらい、この1点のみに焦点を当てていると言える作品です。これはなかなかチャレンジングな挑戦だったでしょうが、素晴らしい映画として成立していると感じました。
中絶”だけ”を徹底的に描き出す凄さ
物語の中で「望まない妊娠」を扱うとすれば普通、「親の反応やその後の関係性」「孕ませた男性側の話」なども描かれるのが当然だろうと思います。そのような様々な要素を組み込むことで、「妊娠・中絶」をより様々なレイヤーで描き出せるからです。
しかしこの映画では、そのような要素は一切描かれません。オータムは親に内緒でニューヨークへと向かいますし、相手の男の話はまったく登場しないのです。とにかく、「中絶という現実に直面した少女」だけをひたすらに捉え続けます。
これはなかなか勇気の要る構成だと言えるでしょう。しかし、その難しい道に敢えて進み、見事な作品として成立させていると思います。そのことがまず、何よりも素晴らしいと感じました。
中絶”だけ”に焦点を当てるという意図は、映画のタイトルからも感じ取ることができるでしょう。
この映画、邦題は『17歳の瞳に映る世界』ですが、原題は『Never Rarely Sometimes Always』です。原題を知らなかったので、映画の冒頭でこれが表示された時、タイトルではない何か、例えば映画によくある「実話に基づく物語」のような説明的な何かだと思っていました。ただその後、映画の中で「Never」「Rarely」「Sometimes」「Always」が登場し、映画の最後に再び表示されたことで、これが原題なのだと理解できたわけです。
「Never」「Rarely」「Sometimes」「Always」が登場する場面は、映画全体の中でもかなり印象的なシーンだと言っていいでしょう。これらは、カウンセラーからの質問に答える際の「選択肢」として用意されるものです。
アメリカにおける中絶の仕組み・現場について知っているわけではありませんが、少なくともこの映画では、「保護者の同意なしに中絶が可能」という状況を描いています。彼女が住むペンシルベニア州にはそのような仕組みがないのか、あるいは州内では噂が広がると考えてニューヨークまで行ったのかは判断できませんが、とにかく彼女は、保護者の同意なしに中絶が可能な状況にいるわけです。
保護者の同意が不要だからなのか、あるいは誰であっても同じ手続きを取るのか、それさえ分かりませんが、オータムはカウンセラーから様々な質問に答えるように言われます。そして、その質問に対する回答を、「Never(まったくない)」「Rarely(ほとんどない)」「Sometimes(たまに)」「Always(いつも)」のいずれかで答えるように促されるのです。
この場面が、内容的にも映像的にも、最も印象に残りました。
カウンセラーに対するオータムの返答から、それまで観客にはほぼ伝わっていなかった「彼女はなぜ妊娠したのか?」という背景が、はっきりとではありませんが垣間見えます。この映画は全体的に、セリフも説明的な描写も非常に少ないです。私は映画を観始めてからしばらくの間、「彼女は家出するつもりなのだろう」と考えていたほどで、それくらい状況を捉えるための情報がありません。そんな中で、このカウンセリングのシーンは、オータムが置かれた状況を理解するという意味でまず重要だと言えるでしょう。
さらに、映像的にも力強さを感じました。オータムをワンショットで正面から映し出し、恐らくオータムと正対しているのだろうカウンセラーの声が寒々しく響いています。敢えて感情を込めていないのか、あるいは流れ作業的になっているのか分かりませんが、とにかくあまりに”機械的”なカウンセラーの質問が淡々と続く中、質問内容が想起させた過去、そしてまさに今自分が直面している現実に対して思うところがあったのでしょう、オータムは静かに涙を流すのです。
全体的に、状況も感情もあまり見えない作品だからこそ、明らかに感情を露わにするオータムの振る舞いに心が動いてしまいます。また、「中絶」という現実のありとあらゆる側面があのシーンに凝縮されているようで、そんな現実の一端に関わってしまっている、自分を含めた「男性性」に対して静かに怒りを覚えもしました。
恐らく『Never Rarely Sometimes Always』というタイトルは、中絶を経験した人にはそうと伝わるものでしょうし、そうでなくても非常に特異なタイトルなので、経験がない人にもザラッとした違和感を与えるだろうと思います。「作品のタイトル」として非常に秀逸だと思うし、このタイトルを付けたという事実が、まさに「『中絶』だけを前面に描くのだ」という決意の表れであると感じました。
「会話がほぼ存在しないこと」の良さ
この映画の主人公は、妊娠してしまったオータムと、彼女の唯一の親友であるスカイラーの2人です。同じバイト先で働く2人は、共に長距離バスに乗りニューヨークへ向かいます。スカイラーは付き添いとして、オータムと共に行動するのです。
しかしこの2人、映画の中でほぼ喋りません。全体敵に極度にセリフの少ない作品ですが、映画のほとんどをオータムとスカイラーの場面が占めるにも関わらず、この2人は全然喋らないのです。
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