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【アート】「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」(森美術館)と「美術手帖 Chim↑Pom特集」の衝撃から「公共」を考える

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「Chim↑Pom」のことを碌に知らずに観に行った森美術館の「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」が凄すぎた

2022年2月18日から同年5月29日の予定で、「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」(森美術館)が行われている。

先日観に行ったのだが、脳みそをこれでもかと刺激される衝撃的な展示に、大興奮させられた。私は美術やアートに疎いながらも、美術展に時折足を運ぶ。そう多くはないものの、これまでそこそこ色んな美術展を観てきたが、その中でずば抜けてこの「Chim↑Pom展」が良かった。過去イチと断言できるほどだ。

これまで私は、美術展について文章を書いたことがない。本・映画については必ず何か文章を書くと決めているのだが、美術展では書けなかった。美術展の多くは、当然ながら「視覚」を刺激するものが多く、私の中でそれを上手く「言語化」できずにいたからだ。

しかし「Chim↑Pom展」では、とにかく「思考」を刺激され続けた。だからこそ、いつもとは違い「言語化」できるのである。

私が「Chim↑Pom展」を観に行った直後、「美術手帖 2022年4月号」でChim↑Pomの特集が組まれることを知ったので、初めて「美術手帖」を購入した。そして隅々まで熟読することで、それまでまったく知らずにいた「Chim↑Pom」について、自分の中でそれなりに整理ができたように思う。

そこでこの記事では、森美術館での展示と「美術手帖」の記述を元に、Chim↑Pomがテーマに掲げることの多い「公共」を軸にした文章を展開していきたいと思う。

「美術手帖」には、Chim↑Pomの制作にオーガナイザー(外部協力者)として携わった経験を持つ様々な人物のインタビューも掲載されているのだが、その1人であるキュレーターの田附那菜はこんな風に語っている。

Chim↑Pomのプロジェクト全体のダイナミズムは、とても持続可能なものだと思います。たんに社会現象からインスピレーションを受けて、それに関連した作品をつくるのではなく、作品のコンセプトを現実の社会と結びつけ、作家自身がそこに物理的に介入しています。彼らは実際に私たちが生活している社会を出発点にし、自分たちがいる場所とつなげながら、その先に続く「道」を見出そうとしているのです。社会的な問題に言及しながらも、時には皮肉なかたちでユーモラスに表現している点が非常に面白いと思います。(田附那菜)

タブーと言われている領域を開拓していく役割も果たしている。(中略)既成の枠組みに対して問いかけ、高尚な美術と言われているものとパブリックを引き合わせるという意味で、あいだをつなぐ存在だと思います。(田附那菜)

「芸術が『社会問題』をあぶり出す役割を担うことがある」という事実は一般的にも認識されているように思うが、Chim↑Pomはさらにそこに「『公共/パブリック』に対する問いかけ」を振りかけるのである。森美術館の展示えも、私が最も衝撃を受けた作品はまさにこの「公共」の意味・意義について核心を衝くようなもので、そのシンプルで鮮やかな発想に恐れ入った。

決して美術に限る話ではないが、世の中にある様々なモノ・価値観に触れることの価値の1つは、「普段考えないことについて思考する」という点にあると思っている。権力や法律に抵触でもしない限り「公共」について考えることなどまずないが、Chim↑Pomの作品に触れることで、頭の中に自然と「問い」が生まれることだろう。「アート作品としての存在感」と「社会問題を問いかける鮮やかさ」が見事に同居すると感じたし、アートではない自分が得意な領域においてChim↑Pomのようなスタンスを実践したいと考えさせるような展示だった。

まさに、「日常生活に不可欠だが、日常生活からは得られない価値観・感覚」に溢れた、刺激的すぎる美術展だと言える。

それではまず、森美術館の「Chim↑Pom展」で私が衝撃を受けた2展示について、「美術手帖」の記述も踏まえながら見ていくことにしよう。

国立台湾美術館の「内」と「外」を「アスファルトの道」で繋ぐ《道》の衝撃

「Chim↑Pom展」は、森美術館の「周回可能な構造」を生かし、右回り・左回りどちらからでも観られると案内がなされる。基本的には、森美術館の通常ルートで観る人の方が多いだろうが、その場合に最初に現れるのが、工事現場にあるような足組みが組まれた、天井が低い空間だ。「森美術館」というハイソサエティな空間に、まったく異質な「工事現場の足組み」が存在するという出だしから、もうワクワクさせられてしまう。

そこでは、過去にChim↑Pomが行った様々なプロジェクトの中から、「街」や「公共」をテーマ・背景に持つものが多く展示されており、その中で、国立台湾美術館で半年近くに渡って行われた《道》というプロジェクトも紹介されている。

この《道》には、本当に衝撃を受けた。

シンプルに展示作品を紹介するなら「アスファルトの道」と書くしかない。美術館の前を走る公道から、美術館の駐車場を通り、館内エントランスまでを1本の「アスファルトの道」で繋ぐ、というただそれだけのものだ。

この何が凄いのか。それは、「美術館内の公共性」と「公道の公共性」について問いかける内容になっている点だ。

「公共の空間」と言っても様々なものがある。マンションの共有部分、図書館、市役所や公民館、神社仏閣、病院などなど、「公共の場」と呼んでいいと感じる空間は様々に思い浮かぶだろう。しかし、それぞれの場所で「ここまでは許される」「ここからは許されない」というルールのイメージは異なるはずだ。しかしそのようなルールは、なんとなく当然のように共有されているものであり、「そういうものなんだ」と当たり前に受け容れているが故に、私たちはそれについて意識することがない。

Chim↑Pomは「アスファルトの道を敷く」というシンプルすぎるやり方で、その「公共性の違い」を具体的に顕現させたのだ。

この展示によって観客に突きつけられるのは、以下のような「問い」である。

「美術館で行えること」と「美術館内に存在する『公道』上で行えること」に差はあるのか?

この点をよりよく理解するために、「美術手帖」に書かれている《道》の説明文を引用しよう。

同じパブリックスペースでも、公道と美術館内ではそれぞれにルールが異なる。Chim↑Pomは、そのあいだをつなぐ《道》にも、そこにのみ適用される「レギュレーション(規定)」を設定した。館との交渉を重ね、《道》の上で行われることはすべて作品の一部と定義することで、通常は禁止されている落書き、飲食を許可。デモも、Chim↑Pomが主催するものにかぎり行うことができる。また暴力行為や公然猥褻はNGだが、「ロマンティックで愛がある行為」は自由とした。

当然のように、落書きや飲食は「美術館で行えること」ではない。しかし、「公道」では認められ得るだろう(「落書き」はかなりグレーだが)。だったら「美術館内に存在する『公道』」ではどうなのか? これはまさに、これまで誰も考えたことのない「問い」だろう。そんなことを考える必然性がないのだから。しかしこの展示によって、普段まったく意識せずに受け容れている「公共性の違い」を認識することができるというわけだ。

私もまさに、この《道》の展示(の説明)に触れることで、「公共性の違い」について考えさせられた。普段疑問を抱くことなどない領域に目を向けさせられたのである。

またこの展示は、国の文化的な差異をも浮き彫りにすることになった。

道の占拠ひとつとっても、日本と台湾には大きな文化的差異がある。じつは台湾では、冠婚葬祭や廟会(縁日)のために公道が一時的に占拠されることがよくある。(中略)
いっぽうで台湾の人々は、路上での宗教活動や宴席には慣れているが、テクノ・ミュージックやパーティには拒絶反応を見せ、明らかなダブルスタンダードがある。「(中略)パーティも社会構造の一部で、まるで鏡のように、いまの社会を映し出すんです」。

日本でも、祭りなどで公道が封鎖されることはあるが、冠婚葬祭ではあまり聞かないように思う。「公道を占拠する」という点では、台湾の方が許容度が高いと言えるのかもしれない。しかしそんな台湾でも、「パーティ」となると許容されないというわけだ。確かにこれは「ダブルスタンダード」と言わざるを得ないだろう。「公共性の違い」に目を向けさせることで、このような社会の在り方にも目が向くことになる。

「美術手帖」内で「公共」について対談するパートで、Chim↑Pomの卯城竜太がこんな発言をしていた。

内田樹さんが指摘していたのですが、西洋では、公共物は財産だという考え方がある。みんなが私権を制限して自分たちの財産を少しずつ持ち寄ってつくるものだから、そこに当事者意識が生まれてくる。いっぽう日本では、公共は野や海のようにそこにあるものとして受け止められている。だから、利用はするけれども当事者意識はない。(Chim↑Pom 卯城)

《道》の展示は、日本と同じアジア圏の台湾で行われた。もし同じ展示を欧米で行えば、また違った反応になるのかもしれない。このように、「アスファルトの道を敷く」という非常にシンプルな手法によって、普段意識されない様々な価値観が浮かび上がるというわけだ。この《道》の存在を知ることができただけでも、私は「Chim↑Pom展」を観て良かったと感じる。

先程、「台湾の公道では『パーティ』は難色を示される」という話に触れたが、台湾の美術館では、展示期間中に《道》の上で実際にパーティが行われた。その「《道》上のパーティ」のキュレーションに関わったベティ・アップルはこんな風に語っている。

最大の困難は、飲食、とくにアルコールの提供だったという。「パーティには『大はしゃぎ』という面があります。演劇にも似た要素がありますが、これはたんなる現実逃避とは違い、『芸術と自由の関係』を体現するものです。そのためにはお酒も必要だと思うのですが、そこが今回、いちばん難しかったところでした。Chim↑Pomを中心に美術館と粘り強く交渉を続けて、飲食は作品の一部として認めてもらったんですが、アルコールはどうしても無理でした」。最後まで許可が下りなかったので、彼らは基本的に、屋外の芝生まで行って飲んでは、屋内に戻って踊るということを繰り返していたという。「ほかにも、苦情が来たと言って急に音量を勝手に絞られたり。もう中止するしかないと思った瞬間もありました」。その都度交渉を繰り返し、パーティーは無事、大成功に終わった。

「美術館内でパーティを行うこと」は普通ならあり得ないが、「公道」という要素を1つ加えることで、現実解として存在し得るものとなった。このような発想は、「これ以上はもう無理」という地点に行き着いてしまった様々な状況における、打開策の1つとしても参考になるだろう。普通にはあり得ないことを「あり得る」に変える魔法は存在するのである。

ベティ・アップルは、

Chim↑Pomの活動について、もともと報道などを通して強い関心を持っていた。とくに共感したのが、2012年に台北のギャラリーで展示された原発事故に関する作品群だった。(ベティ・アップル)

そうで、その後台湾で「ひまわり学生運動」というデモに参加したことがきっかけとなり、Chim↑Pomと《道》でタッグを組むことになったそうだ。

Chim↑Pomとは、「公共の領域で、身体を開放する」という理念を共有できると感じました。(ベティ・アップル)

私もChim↑Pomも、アーティストとしてパーティの持つ意味を考えてきました。Chim↑Pomがすごいなと思うのは、これを社会構造とつなげて、非常に明確な論点を持っていることです。(ベティ・アップル)

彼女はこのように語っているが、私も同感だ。Chim↑Pomには、《ヒロシマの空をピカッとさせる》や《LEVEL7 feat.『明日の神話』》など、結果として(あるいは意図的に)世間をザワつかせることになった“代表作”が存在する。しかし私は、シンプルさと鮮やかさという点で、この《道》こそがChim↑Pomの代表作と言っていいのではないかとさえ感じた。

「Chim↑Pom展」の初っ端からこのような凄まじい展示があり、頭をガツンと殴られる。この《道》は、今までほとんど知らずにいた「Chim↑Pom」の存在に改めて焦点を当てるきっかけになったと言っていいだろう。

帰還困難区域での展示ゆえに誰も観ることができない《Don’t Follow the Wind》の衝撃

工事現場の足組みパートが終わると、続いて《Don’t Follow the Wind》の展示が始まる。しかしこれは正確な表現ではない。正しくは、「《Don’t Follow the Wind》の展示の紹介」が展示されている。

何を言っているのか理解不能だと思うが、「福島県内の帰還困難区域で行われている」という情報を加えることで一気に理解が広がるだろう。

まずは、森美術館内で展示されている「《Don’t Follow the Wind》の展示の紹介」についてもう少し詳しく説明しておこうと思う。この展示室には、ノートパソコンが1台置かれているだけだ。壁には《Don’t Follow the Wind》の開催概要が貼られ、後はループで繰り返される音声がずっと流れている。ただそれだけの空間だ。たった1枚の写真もなければ、当然、作品に関するキャプションもない。

音声には、Chim↑Pomを始め、《Don’t Follow the Wind》に携わった幾人かのメンバーと、作品展示のために帰還困難区域の自宅を提供した住民のやり取りが収録されている。音声によって、「《Don’t Follow the Wind》でどのような展示がなされ、現状どのようになっているのか」が語られるのだが、具体的な作品についてはイメージしようがない。

これが、「森美術館内の展示の全貌」である。この「『展示室内に何も存在しない』ことによって『《Don’t Follow the Wind》の存在意義』を鮮やかに理解させる展示」には衝撃を受けた。

《Don’t Follow the Wind》そのものについても、「美術手帖」の文章を引用する形で紹介しておこう。

「Don’t Follow the Wind」は、企画の趣旨に賛同してくれた地元住民らが所有する敷地や建物を借り受け会場としている。厳しい立入規制により、観客が訪れることが難しく、実質「見ることができない展覧会」となっている。

東京電力福島第一原子力発電所事故の4年後、2015年3月11日にスタートした「Don’t Follow the Wind」(以下、DFW)は、放射能汚染により帰還困難区域に指定された地域で開かれているChim↑Pom立案の展覧会。

よくもまあこんなことを思いつき実現させたものだと感じさせられる、異次元の”美術展”である。

流れている音声で非常に印象的だったのが、住居を提供した住民が「自宅の解体を決めた」と話していたことだ。当然だが、解体と同時に展示物も失われ、もう観ることが不可能になっている。私たちがこの展示を観られるのは、帰還困難区域の指定が解除された後だが、その時点でこの展示がどうなっているのか分からない。そして、まさにこの点こそ、《Don’t Follow the Wind》の核心なのだ。同展のキュレーションに参加した1人であるエヴァ&フランコ・マッテスへのインタビュー記事にはこう書かれている。

長年、オンラインでのコミュニケーションから生じる倫理やモラルの問題をテーマにしてきたマッテスたちにとって、この点は重要だった。「企画側にとっては、訪れることが困難な場所に行くこと、現地の人に出会うこと、情報を集め事実確認すること、大災害のあった場所で展示を行うことに、この展覧会の意義がありました」。その成果物である展示を、安易にネットに載せないことは、大事なコンセプトとなった。「観客の大半は、口コミなどで間接的にこの展覧会を経験することになると思います。ネット上で本展の写真がいくつか出回っていますが、現地の様子を正確に伝えられているとは言えません」。人がいなくなった現地では、自然が侵食し、展示物はつねに変化にさらされている。野生のイノシシが家屋の扉を食い破って作品を破壊したこともあったという。

森美術館の展示で、作品の写真を掲示することはもちろんできただろう。しかし「どんな作品が展示されているのかを示すこと」に本質的な意味はない。《Don’t Follow the Wind》の最大の価値は、「観られないこと」「観られない間に展示物が朽ちていくこと」にこそある。それはまさに、芸術に限らずありとあらゆるものが「消費」されていく現代社会へのアンチテーゼでもあるというわけだ。

本展の最大の特徴であり最大のチャレンジは、「観客が見ることができない」ということだった。少なくとも最初の数年は、観客に来てもらえない状況で、この展覧会をどのように伝えるかという問題があった。「情報を出さないといけない反面、出しすぎると展覧会が瞬く間に『消費』されてしまう心配がありました。今日、展覧会の企画・準備にあたり、ヴィデオ会議などオンラインツールは必要不可欠です。ただこのオンライン化が浸透するあまり、ソーシャルメディアで展覧会の写真を拡散すること自体が目的化してしまう状況も増えているように思えるのです」。

「見せない」という点に圧倒的な必然性を持たせつつ、「見せない」ことによるメッセージを明確に有しているというわけだ。さらにこの《Don’t Follow the Wind》には、こんな意図もあったという。

アーティスト、キュレーター、そして観客をも『安全圏』から引きずり出したいというのがプロジェクトの動機にありました。安全を含め、通常のアートイベントで当然のように確保されているものすべてを見直そうと思ったのです。(エヴァ&フランコ・マッテス)

まさに「既存の美術」の枠組みから完全に逸脱していると言っていいだろう。凄まじい発想力だと感じた。

この展示の準備は相当大変だったそうだ。そもそもだが、

マッテスたちは展覧会の準備で、数回福島を訪れているが、帰還困難区域への立入許可を得るのは容易ではなかったという。やっと区域にはいれても、電気、水道、トイレ、食料がなく、一度に最大5時間しか滞在できない。

という、「帰還困難区域内に入り、活動すること」の困難さがまず立ち現れる。その上で、

展示会場としては、住民が貸してくれた4つの家屋が使われた。その空間は、無菌で個性のない「ホワイトキューブ」の対極にあるものだった。「放射能汚染が懸念された会場には、個人の思い出が染み込んだ、家具、服、写真、本などが散乱していました。こうした物を尊重し、持ち主たちの気持ちを損なうことなく作品を展示しようと、設置時にはかなり神経を使いました」。

と、普通の美術展ではあり得ない特殊な困難さに向き合うことになった。しかし、準備段階では楽しさもあったそうだ。

不謹慎に聞こえるかもしれませんが、ある住民のおかげで、実際のところ私たちは現地でとても楽しい時間を過ごしました。彼は、私たちを飲みに連れ出し、おいしい物を食べさせてくれ、歌ったり冗談を言いながら、とことんもてなしてくれました。彼は「可哀想な被災者」だと見られたくなかったのだと思います。どんなに悲惨な状況にあっても、人生を思い切り楽しむことができるのだと身をもって教えてくれ、その姿に非常に心を動かされました。(エヴァ&フランコ・マッテス)

Chim↑Pomの作品・制作過程にはどこかしら「必然性」みたいなものが存在し、そのことが彼らの行為の意味をさらに高めていると感じる。そしてそのような「必然性」を感じるからこそ、Chim↑Pomに関わる人々もまた、「芸術家」「アーティスト」と向き合うではない接し方になるのだろうと、特に「美術手帖」の様々な記述を読んで実感した。また、Chim↑Pomは「身体性」を1つのテーマに据えているのだが、それ故に作品が単なる「作品」として存在するのではなく、有機的に何かしらと接続し、その意味をさらに深めることになるのだとも思う。そのような「繋がり」を生み出すという点も、Chim↑Pomの特異性だと言っていいだろう。

さて、森美術館での「《Don’t Follow the Wind》の展示の紹介」に話を戻そう。この展示についてはもう1つ特徴がある。それは、「窓の向こうに東京の街が一望できる展示室で行われている」という点だ。

先述した通りこの展示は、パソコン1台置かれているだけの非常に空虚な空間として(恐らく意図的に)作り上げられている。さらにそこで紹介されているのは、現実に目にすることは叶わないものの、明らかに「荒廃しているだろう」と想像される町で行われている美術展だ。

一方、そんな「空虚」「荒廃」というキーワードが前面に出る展示が行われているのは、六本木ヒルズの53階という「大都会の中の大都会たる空間」であり、さらにそこから、大都会・東京の街並みが一望できるのである。

この「あまりに寒々しい対比」も非常に印象的だった。森美術館でも「美術手帖」でも特に言及はなかったが、この対比も明らかに意図的なものだろう。「何もかもが無さすぎる、朽ちていく町」で行われている展示を、「何もかもが有りすぎる、発展が行き着いた街」で観る(想像する)という経験は、何かザワザワさせる問いが突きつけられているような感覚になる。「今ここに、今この状態で存在している自分自身」に対するある種の「罰」のような感じもして、「何も存在しない単なる空間」を”展示”することで、そんな感覚を呼び覚ます発想にも感心させられた。

Chim↑Pomが「森美術館」での展示に対して考えていたこと

ここまでで紹介した2点以外にも様々な展示が存在するが、それらについてはまた後ほど、「Chim↑Pomが過去に行ったプロジェクト」という形で紹介するつもりだ。ここでは、森美術館の展示に関する言及として、「ハッピースプリング」展をChim↑Pomがどう捉えているのかについて、「美術手帖」の記述を踏まえつつ触れていこうと思う。

これまで様々な形で「都市」や「公共」をテーマに据えてきた彼らは、「『六本木』という都市の『森美術館』という公共空間で展示を行うこと」についても思案を重ねていた。しかし、森美術館側とどうも話が噛み合わなかったそうだ。その点について、卯城竜太は、小田原のどかとの対談の中でこう語っていた。

卯城「六本木ヒルズという「街」と、僕らが歌舞伎町などでプロジェクトをやりながら考えている「街」は違う、森ビルの都市論の公共性と僕らの都市論の公共性は違うという話しをしたら、「森ビルの都市論に公共性はない」と言われたんです。ずっとズレを感じていたんだけれど、「あ、これか!」と思って。ブランドとしての都市があるだけで、公共について考えているわけではないんだと。」
小田原「だからこそChim↑Pomに声をかけたというのもあるんでしょうね。自分たちとは違う価値観を美術館から発信していくために。だからこそ、こちらもそれを利用する。」

この発言を正しく理解できているか自信はない。森美術館は自分たちのことを「公共空間」だとは認識していない、だから「『公共空間』ごとの公共性」をテーマに据えようと考えているChim↑Pomと会話が噛み合っていなかった、と私は理解した。

ただこの点は、展示を行うにあたって問題にはならなかっただろう。森美術館が自身を「公共空間」だと認識していようがいまいが、美術館は客観的に「公共空間」だと認識され得るだろうし、Chim↑Pomは「森美術館という公共性の中で何をやるか」を考えればいいからだ。

現実的な問題は他にあった。その点については、Chim↑Pomの林靖高が、台湾の美術館の《道》との比較でこう語っている。

いま考えると、台湾での交渉は大変だったけど、すごくわかりやすかったと思う。つまり、法律とアートが基準だったから、ルールの共有ができた。けれど今回は高層ビルの最上階という条件や企業の論理が基準なので、思いもよらない制約があったりする。(Chim↑Pom 林)

台湾の美術館で「『公道』と『美術館』の『公共性の差異』」を可視化した際には、「法律をクリアできるか」「アートであるか否か」だけを考えればよかった。だから大変ではあったが、シンプル故に困難ではなかったというわけだ。しかし森美術館で展示を行う際には、「ビルの最上階で展示を行うという条件」や「私企業独自の倫理規定」などがクリアすべき条件として立ちはだかった。だからまったくシンプルではなかった、という指摘である。

そして実際に、「卯城竜太がすべての会議を1ヶ月ほどボイコットする」という形で納得できなさを示すほどの問題が発生した。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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