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【圧巻】150年前に気球で科学と天気予報の歴史を変えた挑戦者を描く映画『イントゥ・ザ・スカイ』

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天気予報の歴史は「気球」と「無茶な冒険者」から始まった!?常識を覆した者たちを描く映画『イントゥ・ザ・スカイ』

でも、傍観者には世界は変えられない。選んで生きる者が、変えられるのだ。

メチャクチャカッコいい物語だ。私たちが普段とてつもなくお世話になっている「天気予報」に、まさかこんな「冒険譚」があったとは想像もしなかった。

映画『イントゥ・ザ・スカイ』で描かれる者たちは、気球に乗り、酸素ボンベ無しで1万1277mまで到達した。酸素ボンベ無しの記録としては、現在も破られていない高さである。空を飛ぶジャンボジェット機の高度は1万m以上。ジャンボジェット機が飛ぶ世界を、生身の人間が体感したというわけだ。

そしてこの無謀とも言える挑戦こそが、

最初の科学的天気予報の道を開いた。

のである。なんともワクワクさせられる実話なのだ。

「天気を予測する」ことなど不可能だと嘲笑われた時代に、その慧眼で歴史を切り開いた科学者がいた

舞台は1860年代。今から160年以上前のことだ。その頃、科学者を含めたほとんどの人がこう考えていた。

いつ雨が降るか、予想できると思うのか?

この感覚はもう、私たちには理解できないだろう。既に、明日の天気どころか、数日先の天気までかなり確実に予測できる世界になっているからだ。もちろん、あくまでも「予測」であり、外れることもある。ただ、近い未来であればあるほど、かなり正確に天気を当てることが可能な時代に、私たちは生きているのだ。

しかし当時は、「天気予報」は「占い」と同じ程度扱いしかされなかった。”自称”気象学者だったジェームズ・グレーシャーは、イギリスの王立協会で「天気の研究に力を入れるべきだ」と力説するも、

カエルのことだってロクに分からないくせに、天気とは!

と、哄笑の渦を巻き起こすだけに終わってしまう。科学の力を信じていた彼は、

混沌に秩序を見出すのが、科学者の責務では?

と訴えるが、「天気の予測なんてアホなことを」と言わんばかりの反応を示す科学者に嘲笑われてしまうのだ。

映画の冒頭、まさに気球に乗らんとするジェームズは、

僕の人生は、笑われ通しだった。今日だけは、例外にしたかったね。

と冗談を口にする。彼がどれほど馬鹿にされ続けたのかがよく伝わる場面と言えるだろう。

私たちは、「科学技術が社会を激変させた世界」を生きている。だから、どれだけ荒唐無稽に思える未来予測でも、割と受け入れる余地があるはずだ。しかし、そうではない時代の人たちに、「鉄の塊に大勢の人が乗って空を飛ぶ」とか「小さな金属の箱で遠くの人と会話ができ、あらゆる情報が手に入れられる」などと言っても、とても信じなかっただろう。天気予報も、同じようなものだ。そんなこと不可能だと思われていた時代においては、まさに魔法そのものにしか感じられないだろう。

「科学」は常に、常識に抗い続けてきた。誰もが「無理だ」と反対したこと、あるいは、誰も頭の片隅に想像しさえしなかったこと、そういうことを「科学」は次々と成し遂げてきたのである。だから、新たな時代を作る科学者が、同時代を生きる人たちに理解されないのは当然だ。「青色発光ダイオード」も「透明マント」も、「理論的に不可能」と言われながらも、人間の想像力と努力がその不可能を成し遂げた。これからも人類は、様々な「不可能」を成し遂げていくことだろう。

だからこそ、「ほとんどの人から反対されるような何かでなければ、時代を変えることなどできない」と言ってしまってもいいだろうと思う。ジェームズが成し遂げたのは、まさにそのような類のことなのだ。

好機ではない。義務です。世界を変える機会は、皆にはない。あなたは、義務を課せられたのです。

世界を変えるようなアイデアを頭に思い浮かべ、その実現に突き進む者にとって、その行動は「義務」である。これはかなりの極論ではあるが、確かにその通りかもしれないとも思う。その人がいなければ恐らく、未来の社会は変わらないのだから。それは人類のための「使命」なのであり、選ばれし者の生き方なのだ。

私はとにかく、そういう人の邪魔だけはしないように生きていきたいし、もしも自分の近くにいるのなら、陰ながら応援したいとも思う。

映画の内容紹介

1862年のある日、2人はすべての準備を整え、ようやく待ちに待った日を迎えた。気球に乗り、空高くを目指すのだ。

意気込んでいるのは、科学者と冒険者。天気を予測しようと目論むジェームズ・グレーシャーと、かつて夫と共に「気球乗り夫妻」として知られていた気球操縦士のアメリア・レンだ。ジェームズは気球に様々な計測機器を持ち込み、上空のあらゆるデータを取るつもりでいるのだが、それ以上に2人には明確な目標があった。

いかなる男女も到達したことのない高度へとたどり着くこと。

当時の気球の最高記録は、フランス人が打ち立てた高度7000mだった。彼らは、この記録を絶対に抜くと決めていたのである。

彼らの挑戦は、ある種のイベントとして扱われた。人付き合いが得意ではないジェームズとは対称的に、生粋のエンターテイナーでもあるアメリアは、

驚く準備はよくって?

今日歴史が作られる。皆さんは、その一部となるのです。

と、記録更新を前提に観客を煽りまくる。

「空の規則を書き換えたい」と意気込むジェームズと、「優秀な気球乗りとして能力を示したい」と決意を胸にするアメリア。どちらもなかなか思い通りにはいかない人生の中で、常に低空飛行を強いられるような生き方をしてきたが、それでも、

と、記録更新を前提に観客を煽りまくる。

少なくとも空は解放されている。

と前向きだ。鬱屈とした地上を離れ、彼らは天空に希望を見出していく……。

リアリティを追求した凄まじい撮影現場

メチャクチャ良い映画だった。正直そこまで期待していなかったのだが、ストーリーも良かったし、映像の迫力も凄まじい。

映像に迫力があるのは、当然だ。公式HPには、こんなことが書かれている。

撮影はできる限り空中で行われた。最も命がけのシーンとなる、アメリアが気球の外面を登る場面も空中で撮影された。

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