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【知】宇宙は”無”からいかに誕生したのか?量子力学が解き明かす”ビッグバン”以前の謎:『宇宙が始まる前には何があったのか?』

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「何もない」のになぜ「ビッグバン」は起こったのか

「宇宙の始まり」を欧米で論じることの難しさ

本書は、アメリカでも屈指の物理学者であり、一般向けの科学書も多数執筆する著者が、現代科学において理解が及んでいる「宇宙の始まり」に関する研究をまとめた作品だ。「宇宙はビッグバンによって始まった」という話は聞いたことがあるだろうが、「じゃあそのビッグバンはどのように起こったのか?」まで理解している人は多くないだろう。本書は、その詳細を知ることができる1冊だ。

さて、本書の冒頭ではまず、「宇宙の始まり」が欧米でどう捉えられるのかについて触れられている。キリスト教の信仰が強い欧米においては、「科学研究における宇宙の始まり」は、「宗教における天地創造」と関連付けられることが多く、そのことで苦労することも多いという。

本書の原題の副題は、「WHY THERE IS SOMETHING RATHER THAN NOTHING」である。本書ではこれ章を、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのだろうか?」と訳している。そして著者はこの副題を後悔しているという。

「WHY」という単語を科学者が使う場合、それは「HOW(どのように)」という意味である。しかし、宇宙論で「WHY」という単語を使うと、「第一原因」について言及している、つまり「神」のことを言っているのだ、と受け取られることが多くなる。そのせいで、宗教方面から攻撃を受けやすくなるのだという。

また、「NOTHING」という単語も鬼門だ。これは日本語の「無」でも状況は変わらない。

本書で著者は、「宇宙はNOTHING(無)から始まった」と主張する。しかしこのような主張をすると、「『そこから何かが生まれる』のであれば、『無』とは言えないのではないか」「たとえ『何もない』のだとしても、『何かがある可能性』は残るのだし、それは『無』ではないだろう」と批判を受けることになるという。

本書では特に、この「NOTHING(無)」に関する慎重な定義が頻繁に登場する。本書の主張にどこまで納得できるかによるが、著者の論旨をきちんと追っていけば、「宇宙は確かに無から生まれた」と感じられるだろうと思う。

しかし確かに、「NOTHING(無)」をどう考えるかは、難しい問題だとも感じた。本書の主張を理解しても、「やはりそれなら、それは無ではない」と考える人も出てくるだろう。科学的な定義のことを無視すれば、もはやこれは「個人の価値観」次第だと思う。

このように、「宇宙の始まり」はとかく議論を引き起こすのである。

「ビッグバン」を証明した観測がもたらした「宇宙の質量」に関する新たな謎

まずはざっと、「ビッグバン」について触れていこう。

「ビッグバン」という考え方は、ハッブル(「ハッブル望遠鏡」で有名だろう)によるある発見がきっかけで生まれた。彼は1929年に、「宇宙は膨張している」という、当時の常識を覆す大発見をしたのだ。

当時の科学者のほとんどは、アインシュタインも含め、「宇宙は静的で、過去から未来において不変」だと考えていた。しかし「宇宙が膨張している」と判明したことで、「時計の針を巻き戻して過去に向かえば向かうほど、宇宙のサイズは小さくなる」と考えざるを得なくなる。その考えを推し進めれば、「宇宙は極小の点のようなものから始まったはずだ」という、「ビッグバン理論」の原型となる考えに行き着く、ことになるわけだ。

この「ビッグバン」というアイデアは、反対する科学者が多くいる中でもなんとか生き延び(アインシュタインも拒否反応を示したことで知られている)、最終的にWMAP(ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機)が行った「宇宙背景放射」の観測によってその正しさが証明された。「宇宙背景放射」とは、誕生直後の宇宙の情報を内包したもので、その観測が「ビッグバン」の予測と一致したのだ。

そしてさらに、「宇宙背景放射」の観測によって、宇宙の「形」も判明することにもなる。宇宙の「形」には、「開いた宇宙」「閉じた宇宙」「平坦な宇宙」の3種類の可能性が存在することが知られていたが、WMAPの観測から、我々が生きているこの宇宙は「平坦な宇宙」だということが判明したのだ。

しかしこのことが、新たな問題を引き起こすことにもなる。

科学者は、「開いた宇宙」「閉じた宇宙」「平坦な宇宙」のそれぞれの場合において、「宇宙の質量」(銀河や銀河団など、宇宙に存在する天体などの質量の合計)がどれぐらい必要かを計算できる。つまり、「宇宙の質量」が分かれば「宇宙の形」も決まるというわけだ。一方で、現代のテクノロジーでは、我々が生きている宇宙の質量を測定することができる。

WMAPの観測から、我々は「平坦な宇宙」に生きていると分かったのだから、「我々が生きている宇宙の質量」が「平坦な宇宙に必要な質量」の範囲内になければおかしいことになる。

しかしこの2つの数値は全然違った。どのぐらい違ったのか。「我々が生きている宇宙の質量」は「平坦な宇宙に必要な質量」の30%程度しかないことが分かったのだ。

つまり理論上、私たちは「平坦な宇宙」にいられるはずがない。「平坦な宇宙」を作るのに、「宇宙の質量」が70%も足りないのだから。

しかし我々は「平坦な宇宙」に生きている。ということは、「我々がまだ知らない『質量』がこの宇宙に存在している」と考えるしかない。この謎の質量は、現在「暗黒エネルギー(ダークエネルギー)」と呼ばれている。もちろん、今のところ正体不明だ。

この「暗黒エネルギー」について考えることで、「宇宙はなぜ無から誕生可能なのか」が説明されることになるのだが、ここで一旦別の話をしよう。天才アインシュタインのエピソードとして非常に有名な「人生最大の過ち」の話だ。

有名なアインシュタインの「過ち」と、その大復活

先程、「かつて科学者は、宇宙を静的なものだと考えていた」と書いた。アインシュタインもその一人で、強固にそう信じていたという。

実はハッブルが「宇宙膨張」を観測する以前に、アインシュタインは自らが導き出した「相対性理論」の方程式から「宇宙膨張」を予測していた。相対性理論の方程式を解くと、どうしても「宇宙は膨張していますよ」という結論が出てしまうのだ。これをそのまま発表すれば、ハッブルの発見よりも先に予測したと評価されていただろうが、「静的な宇宙」を信じているアインシュタインからすれば、由々しき事態でしかない。

そこでアインシュタインは、自らの方程式に手を加えることにした。「宇宙項」と名付けた項目を相対性理論の方程式に組み込んだのだ。これは、方程式の中に「斥力」を組み込んだということになる。

「斥力」についてはとりあえず、こんなイメージをしてくれればいい。飼い犬にリードをつけて散歩しているとしよう。このとき、犬が進みたい方向にグンと飛び出そうとしても、リードを引っ張れば抑えられる。この引っ張る力が「斥力」だ。

アインシュタインはこのように、「宇宙を膨張させようとする力」と同じ大きさの「引っ張ってその膨張を抑えようとする力」があれば、ちょうど力が釣り合って宇宙は静止するはずだと考え、「宇宙項」を付け加えたのだ。

「宇宙が膨張している」という事実を知っていると、「アインシュタインは自分の都合がいいように方程式をいじってる」としか思えないだろう。実際にその通りなのだが、アインシュタインが導入した「宇宙項」は結構支持されたようだ。やはり当時の科学者は「静的な宇宙」を望んでいたということだろう。

ハッブルの発見を受けてアインシュタインは「宇宙項」を捨てたのだが、科学者の中には「宇宙項を捨てなければならないなんて残念だ」というような反応をした者さえいたという。

さて、アインシュタインに関する有名なエピソードとして、この「宇宙項」を方程式から葬り去る際に、「我が人生最大の過ち」と口にした、という話がある。非常によく知られており、ビッグバンを扱う本には大抵載っていると思うが、現在では、ガモフというイタズラ好きの科学者によるでっちあげだと考えられているようだ。これも「有名税」といったところだろうか。

さて、アインシュタインが導入し捨て去った「宇宙項」は、現在なんと「宇宙定数」という名前で復活を果たしている。アインシュタインが思い描いていたのとは少し違う形にはなったが、アインシュタインが相対性理論の方程式に「宇宙項(宇宙定数)」を導入したことは、実は正解だったのではないか? と考えられているのだ。どういうことかと言うと、この「宇宙定数」が「暗黒エネルギー」の正体だとは考えられないだろうか、という発想が出てくるようになったのである。

アインシュタインは、”失敗”さえもこのような形で話題になる、やはり”持ってる”科学者だったと言っていいだろう。

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