【嫉妬?】ヒッグス粒子はいかに発見されたか?そして科学の”発見”はどう評価されるべきか?:『ヒッグス 宇宙の最果ての粒子』
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「ヒッグス粒子」の発見から学ぶ、現代科学の規模の大きさと、「科学の評価」の難しさ
本書は、科学者が執筆する本としては珍しく、「科学的な記述」が少ない。もちろん、「ヒッグス粒子」という不可思議な存在について説明されているし、その説明のために科学的な記述は出てくる。しかし、本書のメインはそこにはない。
本書の内容は、「ヒッグス粒子をいかに発見したか」がメインであり、つまり「科学書」というより「ドキュメンタリー」に近いと言える。そこでこの記事でも、「ヒッグス粒子」そのものや、その説明のために必要な「標準模型」などについて詳しくは書かない。「ヒッグス粒子」の発見物語を通じて、現代科学の現状に触れていこうと思う。
ちなみに、本書の「科学的な記述」はかなり易しく書かれていると思うので、文系の方でもチャレンジできるだろう。
「ヒッグス粒子」の発見とその意味
本書にはこんな風に書かれている。
この「あっけにとられた」には、「探すのが困難なものが本当に見つかった」という驚きもあるだろうが、別の感情も含まれているはずだ。それを的確に表現しているのが、科学者の大栗博司である。
人間がその思考力だけでたどり着いた「ヒッグス粒子」という「妄想の産物」が、この世界の仕組みとして本当に採用されているのだ、という驚きである。
本書の原書は、「ヒッグス粒子が発見された可能性が高いと考えられる」という時点で出版されている。本書の出版の後、「ヒッグス粒子の発見は間違いない」と確定され、その後「ヒッグス粒子の発見」はノーベル賞を受賞した。
「ヒッグス粒子」の発見は、科学の話題としては異例だと感じられるほどメディアでも大きく取り上げられた。
本書を読めば、「”科学者”がヒッグス粒子の発見に湧くのは理解できる」と感じるだろう。「標準模型」の最後のピースを埋める存在として予言され、その予言者の一人であるピーター・ヒッグスが、
と言うほどに発見が難しいとされていたものをついに見つけたのだから、歓喜するのも当然だ。
科学者ではなく、世間が大きく騒いだのには、「ヒッグス粒子」の通称である「神の粒子」という呼び方にも関係するだろう。メディア的には、非常にキャッチーで、「何か重要な発見がなされたのだ」と伝えやすかったのだと思う。
また、当時メディアではよく、「ヒッグス粒子は質量の起源である」という”不正確な情報”が流れていた。このことも、「神の粒子」の重要性をなんとなく伝える役割を果たしただろう。実際には、「ヒッグス粒子」は物質の質量の1%程度は担っているが、99%以上は別の効果によるものであり、「ヒッグス粒子が質量の起源」という表現は正しくない。
さて、この「神の粒子」という表現だが、「質量の起源」という情報とも相まって、「ヒッグス粒子は非常に重要な存在=神」と名付けられたと考えるだろう。しかしそうではない。実際はこうだ。
ある科学者がヒッグス粒子に関する本を出版する際、「くそったれ(God damn)素粒子」というタイトルにしたかったそうだ(あまりに発見されないからイラついていたのかもしれない)。しかし出版社がこのタイトルを受け入れず、最終的に「神の(God)素粒子」に落ち着いたのだという。これが広まって「神の粒子」と呼ばれるようになった、とされている。
では、「ヒッグス粒子」の発見は、科学的にどんな意味を持つのだろうか?
科学にはまだまだ謎めいた領域が山ほどあるが、それらの研究に「ヒッグス粒子」が関わっていくことになるということだ。我々一般人が科学の成果を知る時は、「これは凄い発見だ」といううところで止まってしまうが、本当はそこからが新たな始まりとなのである。
「ヒッグス粒子」はどれほど探すのが困難なのか?
「ヒッグス粒子を発見」と聞くと、どんなイメージを抱くだろうか? 私もそうだが、普通は、「何を探せばいいか理解した上で、顕微鏡などのツールで目的となるものがないか探す」という感じだろう。
しかし実際は、そんな易しい話ではない。
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