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【純真】ゲイが犯罪だった時代が舞台の映画『大いなる自由』は、刑務所内での極深な人間ドラマを描く

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ゲイが犯罪として取り締まられていた時代のドイツを描く映画『大いなる自由』は、タイトルが示す「皮肉」が絶妙な、とても素晴らしい物語だった

もの凄く良い映画だった。正直、観ようかどうしようか迷っていた映画で、どちらかと言えば観ない可能性の方が高かったと言っていい。しかし、公開最終週にギリギリで観てみたところ、ちょっと震えるほど素晴らしい映画で、本当に観て良かったと思う。こんな傑作を危うく見逃すところだった。

良い意味で予想外だった展開と、素晴らしいの一言に尽きるラストシーン

映画『大いなる自由』は、全体の98%が刑務所内で展開される作品だ。そしてラストシーンで、少しだけ刑務所外のシーンが描かれる。私は正直、この刑務所外のシーンが始まった時、「刑務所内だけで物語を完結させても良かったのではないか」と思ってしまった。物語がどんな帰結を迎えるのかまったく想像出来ていなかったので、「この物語に『刑務所外』の要素を入れ込む必要があるのだろうか」と感じたのだ。

しかし、その感覚はまったくの誤りだった。この映画は、何よりもラストシーンが素晴らしすぎるからだ。このラストシーンを体感した後、物語全体を振り返ってみることで、なんというのか「とんでもない物語に触れた」という感覚になれるのではないかと思う。最近は、結末を曖昧にしたり、観客に委ねたり、「そんなところで終わるの?」という展開にしたりする映画が多い気がするが、「久々に震えるようなラストシーンに出会えた」と感じた。

また、タイトルになっている「大いなる自由」というフレーズもとても良い。98%が刑務所内で展開される映画なのだから、普通に考えれば「自由」とは程遠いと感じざるを得ないだろう。実際にその通りで、この物語には「自由」なんてものは無いに等しい。しかし、物語を最後まで追うことで、「大いなる自由」という言葉の意味が反転するような衝撃がもたらされる。原題(の英訳)も「Great Freedom」であり、「大いなる自由」は原題の直訳と言っていい。まさにこれしかなかったと感じさせられるタイトルだった。

さて、ラストシーンについてはこれぐらいにして、もう少し全体の内容に触れることにしよう。まず私は、映画を観る前の時点で、「ゲイが法律で禁止されていた時代の物語」だということは理解していた。鑑賞前の時点ではこの程度の知識しかなかったが、鑑賞後に公式HPの記述を読んでさらに状況を理解したので、まずはその辺りの歴史的事実に触れておこう。

ドイツでは、1871年から1994年まで、「ドイツ刑法175条」と呼ばれる法律が存在した。1994年という、かなり最近まで存在していたという事実にまずは驚かされるだろう。俗に「175条」と呼ばれていたこの法律は、「男性の同性愛を禁じる」ものだ。主人公の場合は、25年間の間に3回、合計で恐らく6年ほど刑務所に入れられていた。そのような時代の話である。ちなみに、女性の同性愛については、その存在さえ否定されていたこともあり、法律に明記されていなかったという。女性の同性愛が発覚した場合にどのような扱いになっていたのかは不明だが、少なくともこの「175条」は、男性のみを対象とした刑事罰というわけである。

さて、そんな「ゲイを規制する法律があった」という事実しか知らずに映画館に行ったので、観る前のなんとなくの予想では、もっと「175条」が前面に描かれるような内容になるのだろ漠然とながらイメージしていたというわけだ。

しかしその予想は、良い意味で大きく外れたと言っていいだろう。

鑑賞中、しばらくの間、この映画が何を描こうとしているのかまったく分からなかった。冒頭から中盤ぐらいまでは、175条を理由に収監されたゲイの男性の辛い境遇が描かれていくのだが、それらの描写がどこへ向かおうとしているのか、上手くイメージ出来なかったとのだ。しかし、中盤から後半に掛けて、徐々にその輪郭が明らかになっていき、そしてラストシーンで一気に立ち上がるという構成になっているのである。

175条は「主人公が置かれた境遇に否応なしに付きまとうもの」として描かれはするが、正直、それ以上でもそれ以下でもないという感じの扱われ方だった。より重要なのは、刑務所内での人間関係の方である。「175条によって収監された」という事実はもちろん、主人公の刑務所生活にも一定の影響を与えるのだが、175条が物語の中心になったりはしないというわけだ。

限られたセリフのみで描く、ほとんど起伏のない展開の物語なのだが、刑務所というかなり特異な環境の中で育まれる人間関係を静かに淡々と描き出す物語は、観る者を圧倒するのではないかと思う。

1945年、1957年、1968年の3つの時代を描く物語

映画では、3つの時代が描かれる。まずは、ざっくりと物語の設定を紹介しつつ、3つの時代がどのように描かれるのかにも触れておこう。

最初に描かれるのは1968年である。この時点ではまだ観客には知る由もないが、主人公のハンスは175条を理由に3度目の逮捕と相成った。そして刑務所内で、ヴィクトールと再会を果たす。彼らが、「俺のことが待ち遠しかったか」「お前のナニがな」というやり取りをするため、観客はヴィクトールもゲイなのだろうと考えるが、しばらくするとそうではないことが明らかになる。そんなある日、ハンスは中庭でちょっとしたトラブルを起こしたことで、懲罰房行きを命じられてしまった。しかし、既に何度も懲罰房を経験しているハンスは、特段抵抗することもなく大人しく収監されていく。

続いて、時代は1945年に遡る。この年、ハンスとヴィクトールは初めて顔を合わせた。初の逮捕で勝手の分からないハンスと、既に刑務所生活が長かったヴィクトールとの邂逅である。その後、1957年へと時代が移っていく。そしてそれ以降は、1945年、1957年、1968年の描写が錯綜する形で物語が展開されるというわけだ。

それぞれの時代の描写の最初こそ、画面の上部に「1968年」「1945年」「1957年」と表記されるのだが、あくまで最初だけでその後は表記されはしない。つまり刑務所という、変化がなく、個性を発揮することも許容されない環境の中で、映し出される描写が3つのどの時代のものなのか観客自身で判断する必要があるというわけだ。しかし、登場人物の風貌や刑務所内の様子が時代ごとに変わるので、混乱することはないだろう。その辺りは、実に上手く作られていると言っていいと思う。

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