ルナ

上京して先生になって鬱になって休職して復職したと思ったら管理職になってしまってまた鬱に…

ルナ

上京して先生になって鬱になって休職して復職したと思ったら管理職になってしまってまた鬱になって休職した人の話。(20年前から現在にかけての話です。2024年3月末から1年ほどかけてゆっくりと綴っていきます。) 深夜のAMラジオ的なノリで書いていこうと思います。好きな人は好きな感じで

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上京して先生になって鬱になって休職して復職したと思ったら管理職になってしまってまた鬱になって休職した人の話。

来年度の行き先が決まった。 今年と同じように休みになる。 まぁ元に戻るよりはマシかなぁと思う。 とりあえずお金があまり使えないこと以外に不具合はない。 時間をお金で買ったと思えば安いものだと思う。 この年齢で少しでもお金を貰いながら何もしないでいられるということは中々ないだろうからね。 1年後自分はどうしているかわからないけれども、 少しずつ、 自分の人生を振り返ってみたいと思う。 まずはどうして上京して先生になったのか。 どうして鬱になってしまったのか。 そして休職し、復職

    • 今日はお休みします。

      今日の記事はお休みします。

      • お金がない!!

        お金がないのは厳しい。 話が前後するが、 現状、休職中の身であるが、当時もだが今もお金に関しては厳しい生活になっている。 それでも当時に比べれば軽く笑い飛ばせる程度で、 当時のことがあったから、 復職しても飛び抜けて大きな買い物もしなかったし、ローンを組んで買うような買い物もしなかった。 またいつかどこかでこうなる。 そういう気持ちが常にあった。 常に綱渡りであった。 復職した後だって、 いつまた休むことになるか、 辞めることになるかはわからない。 だから大きな買い物や

        • 病気休暇から病気休職へ

          病気休暇に入ったのが5月頃。 そこから長い長いお休みになった。 病気休暇は半年間の取得が認められている。 初めは半年間も取らずに復職するのかなぁと思っていた。 もらった診断書も3ヶ月間の自宅療養。 とのことで、3ヶ月間だけ休むこととなった。 その後、さらに3ヶ月の延長で病気休暇は半年になった。 そして、復職の時期が訪れようとしているが働ける感じには全くならなかった。 病気休暇の期間が終わり、期限がくる。 期限が来てしまえば復職か、病気休職となる。 それか退職をするかになっ

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        上京して先生になって鬱になって休職して復職したと思ったら管理職になってしまってまた鬱になって休職した人の話。

          病気休暇に入ることになった。

          もうダメだと思った。 自転車で学校に行って、 校長室に行ったことは覚えている。 そしてその場で家に帰された。 その時既に診断書をもらっていたかどうかも覚えてはいない。 ただ、朝学校に行って、校長室で2、3分話をして、 副校長が「校長先生、いいんですか?」と止めたのだが、 何を言われたかは忘れてしまったが私は家に帰った。 学校に滞在したのはわずかだったと思う。 家へ帰るので登校してくる子供たちや出勤してくる先生方とすれ違い、 なんで逆方向へ、 なんで校門の方へ自転車で向か

          病気休暇に入ることになった。

          お薬を飲んでみたのだが特に何も変わらなかった。

          お薬をもらって飲んでみたのだが、 思ったような効果は得られなかった。 飲んだところで特に何も変わらないような気がする。 自分としては薬を飲めばこの辛い気持ちも緩和されてどうにかなるだろうと思っていたのだが全くと言っていいほど効き目がないような気がする。 何故だろうか。 何故飲んでいるのに効かないのだろうか。 それともそういうものなのだろうか。 調べてみると、 抗うつ薬は2週間くらい飲み続けないと効果が出てこないことがわかった。 ただ、私が飲んでいるのは抗うつ剤ではなく、

          お薬を飲んでみたのだが特に何も変わらなかった。

          予約した精神科へ行ってみた。

          病院に通い始めてから既に19年間たったであろうか。 それ程までに付き合いが続くとは思わなかったのである。 ただし、この病院の今の先生がいたからこそ今の自分に至るわけである。 仮に違う先生だとしたらここまで先生を続けることはできなかったかもしれないし、どこかでやめていたのかもしれない。 色々な病院に何度も何度も電話をかけ続け、 やっと予約が取れたこの病院であった。 予約が取れた病院はできたばかりであった。 精神科専門の大きな病院の分院のような形で開業された新しい病院であり、

          予約した精神科へ行ってみた。

          あまりにも偏見が過ぎる。当時の自分をぶん殴りたい。

          そんな1年が終わった。 なんとかやり遂げた。 そう思うしかなかった。 しかし、既に心身は限界を超えていたのだと思う。 最後が思い出せない。 思い出せるのは、このおかしなメンタルをどうにかしないといけないということだけだった。 うつの時のことは思い出せないとうつ病の本や体験記によく書いてあるがその通りである。 本当に思い出せないのだ。 闘病中のことはぽつりぽつりとは思い出せる。 しかし、2学期途中から3学期のことはほとんど覚えていないのである。 おそらく春に近い暖かい日だった

          あまりにも偏見が過ぎる。当時の自分をぶん殴りたい。

          子供との関係を作らなければならないのだ。

          まぁなんとか3月末までは頑張ったのである。 色々な問題もあったし、 怒られたりもしたけれども、 何かと色々なことを言ってきてた保護者がくるっと反対向きになって応援してくれるようになったことは大きかった。 土日のどちらかは忘れてしまったが、 休日出勤していた。 その帰り道にその保護者と偶然道端で出会った。 「先生、何をしているんですか?」 「いや、明日からの授業の準備などを…。」 みたいな短い会話を交わしたことは覚えている。 そこからその保護者は私をみる目が変わったようで

          子供との関係を作らなければならないのだ。

          3日目のお休み

          ちょいとメンタルがやばいのでお休みします。 このシリーズではないものを今後は投稿するかもしれません。 noteの使い方がいまいちわかっていないのですが、 マガジンというやつでまとめられそうなので、 今のシリーズはそのようにしてまとめて、 違うものも投稿した方が続くのかなぁと思っています。

          3日目のお休み

          今日もお休みします。

          今日もお休みします。 メンタルの調子が悪くて書けない感じなので…

          今日もお休みします。

          お休み

          ちょっと今日は投稿をお休みします。

          色々と重なりすぎたよね…

          「1年目にそんなうまくやられたらこっちの商売上がったりだよ」 と、研究授業の自評の際に、 「まだまだうまくできないので今後もっと上手にできるように努力していきます。」 みたいなことを言った後にベテランの腕のある子供にも大人気な先生に言われた。 自評の後にも雑談の中で色々と反省の弁を述べていたと思う。 その中での一言だった。 20年も30年もやっているのに1年目で簡単にうまくやられたら困るよ、といったニュアンスの裏には、 今考えると、 「舐めるな」 ということもあったのだ

          色々と重なりすぎたよね…

          わからないことだらけ

          1年間は地獄の日々であった。 何度辞めようと思ったかわからなかったし、 日々辛かったことを覚えている。 授業もそうだが学校の仕事、いわゆる校務分掌と呼ばれているものもさっぱりわからなかった。 会議、打ち合わせで何を言われているのかがさっぱり理解できない。 一言も喋らず終わることも多かった。 何を話し合っているのかも全くわからないのである。 他の先生方は普通にやり取りをしているのに、 自分だけがわからないでいる。 当時は若い先生はいなかった。 採用数が減っていて、 ちょう

          わからないことだらけ

          苦悩の日々

          悩むことは色々あった。 数えきれない程たくさんあった。 毎日が悩みの連続で、 毎時間が悩みの連続であった。 他の先生のようにはうまくいかないのである。 今考えれば当たり前なのであるが、 当時は真面目に20年、30年も先生をやり続けている人と1年目の自分を比べて同じようにできないと悩んでいた。 思い上がりも甚だしいのだが、 当時の自分は本当に真面目に悩んでいた。 1年目の自分が何もかもうまくできないのは当たり前である。 先生になるための特別な研修を受けているわけでもない、

          苦悩の日々

          東京と地元のギャップ 

          とにかく子供たちがうるさかった。 地元とこれほどまでに違うのかと驚いていた。 私が急に採用されたのは、 1クラスが2クラスになるということからだった。 おそらく急に転入生が入ってきて、 2クラスになることになり、 そこで誰かいないかということになったらしい。 だから元々は1つのクラスであったわけだ。 だから基本的に元々もっていた先生が指揮を取る。 1年目のペーペーの私が出る幕はない。 元々1クラスで1年間きた集団である。 急に2クラスになりました。 新しい先生はこの人で

          東京と地元のギャップ