子供との関係を作らなければならないのだ。
まぁなんとか3月末までは頑張ったのである。
色々な問題もあったし、
怒られたりもしたけれども、
何かと色々なことを言ってきてた保護者がくるっと反対向きになって応援してくれるようになったことは大きかった。
土日のどちらかは忘れてしまったが、
休日出勤していた。
その帰り道にその保護者と偶然道端で出会った。
「先生、何をしているんですか?」
「いや、明日からの授業の準備などを…。」
みたいな短い会話を交わしたことは覚えている。
そこからその保護者は私をみる目が変わったようであった。
休みの日にも学校に来て授業の準備をしている。
そんなに一生懸命にやっている先生なら応援しよう。
ということになったらしかった。
そこからはクラスのことに対しても前向きに助けてくれるようになったし、
本の読み聞かせにも来てくれるようになった。
何よりも連絡帳に色々なことを書いてこなくなった。
この歳になればわかるが、
大切な子供を先生に預けるということは不安だったのであろう。
学校にいる我が子を自分たちは助けることができない。
先生しかいない。
その先生が自分の子供にとっていい大人なのか、それともそうではないのか。
学校現場に行けないからどうしたって子供からの話を聞くことしかできないし、
それでもわからなければ先生に直接確認して確かめるしかないのである。
とりあえず休日出勤までして頑張っている先生らしいからなんとかしてあげよう
などと思ってくれたのかもしれない。
子供にとっては教室の中で頼れるのは先生だけである。
特に低学年等のまだ幼い子たちにとっては担任の先生が全てと言っても言い過ぎではないと思う。
さらに自分が先生になった当時の時代はその風潮が今よりも強かったと思う。
今では子供が初めて出会う先生はただの大人に過ぎない。
子供は、こちらが先生というだけでは先生としては認めてはくれない。
昔は「先生」という看板だけである程度言うことを聞いてくれたが、
今ではただ「先生」という看板だけではただの大人に過ぎず、
この大人は自分にとって敵なのか味方なのか、なめたらダメなのかなめてもいいのか。
言うことを聞いた方がいいのか聞かなくてもいいのか。
そういう感覚である。
ただそこら辺にいるただの大人(おじさん、おばさん)に過ぎないのである。
知らない大人にあれやれこれやれだの話を聞けだの言われても聞く気にはならないだろう。
自分にとって「いい大人」であればそこで初めて「先生」として認められる。
そうでなければただのうるさいおじさんおばさんお兄さんお姉さんなだけである。
このことがわかっていないと、
子供になんとか言うことを聞かせようとして奮闘してしまい、
揉める。
子供と揉める、保護者と揉める、そして子供は学校へ来なくなるか、思い切り暴れ出す。
思い切り暴れ出す場合、初めは1人だったり数人だったりするが、そのうちに集団になってどうしようもなくなるケースを今まで何度となく見てきた。
勉強を教える、生活指導をする
以前に、子供にとって信頼できると思ってもらえる人間関係を作らなければならない。
あ、この先生なら大丈夫だな
と、思ってもらわなければならないのだ。
そして子供の様子を見て様子が良くて今までよりも良い方向へ子供が向かっていけば保護者も信頼してくれる。
逆もまた然りである。
私の場合は右も左もわからないまま一生懸命だったので、なんとか何人かの保護者や、クラスの子供たちに助けられて1年間終えることができたのだと思う。
本当に色々とあったのである。
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