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色々と重なりすぎたよね…

「1年目にそんなうまくやられたらこっちの商売上がったりだよ」

と、研究授業の自評の際に、
「まだまだうまくできないので今後もっと上手にできるように努力していきます。」
みたいなことを言った後にベテランの腕のある子供にも大人気な先生に言われた。

自評の後にも雑談の中で色々と反省の弁を述べていたと思う。
その中での一言だった。

20年も30年もやっているのに1年目で簡単にうまくやられたら困るよ、といったニュアンスの裏には、
今考えると、
「舐めるな」
ということもあったのだと思う。

そりゃそうだ。
そんなに簡単にうまくいく甘い世界ではないと、
入ってから気がついたのである。

日々やってくる子供たちと200日以上日々5時間や6時間の授業、
そして、朝8時から15時半位までは一緒にいるわけで、
常にいい授業、いい先生をやれる腕や技術などあるわけがなかった。

あるのは若さと元気だけである。
その元気さも日に日になくなっていってしまった。

常に気を張っている状態である。
そして誰かに話せるわけでもなかった。

東京に一人で出てきて、
東京でできた友達もおらず、
本音を語り合える人もいない。

元々考えていた東京に出てきて先生をやりながら休みには好きなことをやって、バイクを買って、みたいな考えは全部吹き飛んだ。

そんな甘い世界ではなく、
日々コンクリートジャングルに囲まれた環境の中で、
朝早くから夜遅くまで働く。
家に帰ってきてからも授業の準備をする。
土日も休まらないので次の週の準備をする。
それでもうまくいかない。

息抜きというものができなかった。

周りの先生はできる。
自分だけができない。

どうやら同期で入ってきた1年目の先生はうまくやれているらしく、
特に問題もなさそうであった。

もう1人の20代の先生は特別支援学級の先生で、
いつも複数人のチームで動いているのが羨ましかった。

隣のクラスのベテランの先生にも色々と尋ねてみるが、
聞いてもよくわからない答えが返ってきて、
自分にとってはわけがわからなかった。

自分が一番この学校の中でダメな先生だ。
そういう思いしかない。


半年くらいたって、
他の学校の同期が車を買い出した。

機会があって、
飲んだり近所のスーパー銭湯に言った際に、
話を聞いてみると、
皆、実家暮らしでお金には不自由していないようだった。
皆、同じように150万くらいの3ナンバーのでっかい中古車を買っていた。

私は貯金などできず日々の生活でお金もギリギリの生活をしていた。
東京での一人暮らしはお金がかかった。
家賃も、相場よりも安かったのかもしれないが、
どうしても普通に生活していると給料日前にはお金が足らなくなってくる。
実家暮らしの人間が羨ましく感じた。
そして、彼らは特に新規採用者だからといってそれほど悩んでいる様子も見受けられなかったし、逆に元気であった。

彼らにとって東京が地元である。
私にとって東京は外国と同じであった。
言葉は通じるが考え方も行動様式もまるで何もかも違っていた。

要は外国に単身で働きにきたようなものだと感じた。

新規採用者は基本的には家に近いところに配属されるので、
同期の彼らは実家から十分に通える学校に配属されているのであった。

同じ学校の同期は大学から東京であったので、
私よりも東京には慣れており、
私は先生になるために慌てて上京した身で、
階下の大家さんから布団を借りるほどである。

新しい環境、
新しい仕事、
わからないことだらけの日々。
消耗していく心身。
ないお金。

色々なことが重なっていき、それでもなんとか頑張ろう頑張ろうとしていた。
頑張ればなんとかなる、
頑張れば今年はなんとかなる、
とにかく3月が終わるまでは頑張ろう。

ただその一心であったのだが。

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