苦悩の日々
悩むことは色々あった。
数えきれない程たくさんあった。
毎日が悩みの連続で、
毎時間が悩みの連続であった。
他の先生のようにはうまくいかないのである。
今考えれば当たり前なのであるが、
当時は真面目に20年、30年も先生をやり続けている人と1年目の自分を比べて同じようにできないと悩んでいた。
思い上がりも甚だしいのだが、
当時の自分は本当に真面目に悩んでいた。
1年目の自分が何もかもうまくできないのは当たり前である。
先生になるための特別な研修を受けているわけでもない、
知っているのは昨年1年間の補助の経験で知ったことと、
自分が子供の頃の記憶だけである。
それだけを頼りにやってもどうしてもうまくいかない。
教育書や教育雑誌をそれこそ大量に購入してその通りにやろうとしても何故かうまくいかない。
何もうまくいかない。
日々子供たちは荒れていく。
言うことを聞かなくなる、常に騒がしい、ケンカがそこここで起こる、物がなくなる、物が捨てられる、子供が泣いている、など、書ききれないほどのことが起こっていく。
何かを作る授業でも隣のクラスとは雲泥の差ができる。
それを同じように廊下に掲示したり展示しなければならなくて、
いつも比べられているような気になり、
自分の指導力のなさに落ち込んでいた。
そして、隣のクラスは静かに授業を受けているのにうちのクラスは常に騒がしい。
忘れ物は多い、やらない、ふざける。
隣は退職間際の大ベテランの先生であった。
それに対して私は1年目。
プロと中学生くらいの差はある。
いや、もっとあっただろうと思う。
スイミーの劇をやりたいんだけども。
台本は?
いや、子供たちに考えさせればいいから。
え?
隣のクラスはそれで普通に素晴らしい劇ができあがる。
うちのクラスはもうボロボロ。
元々は1クラスだった子供たちである。
それが2つに分かれたわけだから元々の素地は一緒か、
あるいは初任者用に配慮したクラス分けにしたと思われるが、
どんどんと隣と差が開いていき、
どうしようもないと自分は思っていた。
今まで自分サイドの目線ばかりで書いてきているが、
子供たちサイドから考えれば向こうのクラスが良かったなぁとか、
去年のように1クラスだったら良かったのになぁと思っているはずだと思った。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいであるが、
全力を尽くしてもどうにもならない。
なんとか1日、いや、1時間の授業を成り立たせるので精一杯である。
睡眠時間は毎日4時間程度。
寝ないでやれと言われるかもしれないが、
睡眠時間を削るのはこれがいっぱいいっぱいだった。
それでも授業の準備は終わってくれない。
1時間目から3時間目位までの準備はなんとかできても、
4時間目、5時間目の準備までは手が回らない。
なんとか3時間目までは授業の形を取れても、
4時間目、5時間目はもはや授業ではない。
子供たちがかわいそうである。
だけれども当時の自分はそこまで考える余裕が全くない。
1学期のうちにみるみると痩せていった。
保護者に怒鳴り込まれることもあったし、
連絡帳や電話もたくさん頂いた。
20代で担任をもっているのは私だけだった。
後は全部ベテランである。
そういう年齢構成の時代だった。
それは言い訳にはできない。
自分が未熟だから子供たちが荒れるのだ。
自分がダメだからクラスがダメになっていくのだ。
そういう気持ちでいっぱいであった。
なんとかこの1年間は乗り越えなければならない。
最後の方がそんな気持ちでいっぱいだった。
自分の時間は全て学校に捧げた。
月に何冊もそれこそ10冊以上教育書や教育雑誌を買い込んだ。
学校が終わるとその日のうちにジュンク堂に行って次の日の授業の参考になりそうな本を探して帰ってきて日付が変わっても読んでノートにまとめたり、
そういうことをしょっちゅうしていた。
自分としてはできる限りの努力をしていた。
本や雑誌ではわけがわからないので当然学校の先生たちにも相談したりアドバイスをもらったりもしている。
それでもわからないのでネットで調べたり、
教育サークルの見学にまで行った。
朝早く誰もいない学校へ行って、
模擬授業を一人で繰り返した。
あれほど模擬授業の練習をしなかった私が一人で早朝から模擬授業をして、
それを用務員さんに見られて、「大変ねぇ」みたいなことを言われたこともあった。
才能がないのである。
向いていないのである。
なんでこの仕事についたのだろう。
子供たちに申し訳ない。
そういう1年だった。
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