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ルシッド·ドリーム

発するということは、得るということだった。
初めての音は、いくども方向をかえて、流星群となって、ぼくらにふりそそぐ。

エイトビートが真空を刻んで、揺らす。
そのグラデーションの成層圏の下ではまだ太陽がしずみきっていなかった。
フクロウとぼくは小高い丘で、一本だけたっているモミの木の上とその横にいました。

ぼくは言います。
「なんか目をあけてねむっているみたいだね」
「本当だね。ねむりとは準備なような気がする。すべてには準備が必要なんだ。とつぜん幕が開けたらつまらないだろ?」

フクロウとぼくは沈んでいく夕陽をみつめます。
ゆらゆらしている輪郭。すべてがまぼろしみたい。
あまりの美しさに、息をのむ。

「ぼくたちにはふしぎな感情がある。ことばでは表せない感情が。」
フクロウのことばにぼくは大きくうなずきます。
「ふしぎだなぁ、ふしぎだなぁって言いながら生きて、結局その正体がわからずにおわってくんだよなぁ」
「ほんとうだね。ほんとうにふしぎだね」

ぼくには年をとった母と、妹がいました。
母は重い病気をわずらっていて、ぼくが働きに出て、妹はおさないころから看病と家のことをまかされていました。

妹は言っていました。
「わたしの身に起こったすべてを、わたしはわたしのことばで説明できないわ」
彼女は、まるで路地裏の猫を探すようなその眼差しで、困難をうけいれ、そしてそれそのものを「美しい」と思っているようだった。

彼女のことばは彼女のことばであって、それが、目の前で繰り広げられている三次元を説明することはできない。

音楽と、ことばの線条性はすこし似ていた。
有限だから無限なのかもしれない。

ぼくが言います。
「全部をのりこえると、一体なにがみえるんだろうね」

それをきいて、フクロウはとつぜんいつみたか分からない夢の内容をおもいだしたようでした。

ああ、お花畑だね

そうだった。この美しさだった。
とつぜん思い出す美しい景色のように。

有名な絵だけが残ると思ってはいけない。

ぼくはフクロウに問います。
「失うことで得る生き方は、苦しい作業ではないですか」
「たしかにぼくは苦しかった。ずぅっとずっと。大切なあまり、ぼくたちはどんどん失ってしまう。そしてその時ぼくたちは感情に支配される」
「そんなこと考えたこともなかった」
ぼくは今、とてつもない哀しみととてつもない歓び、その両方の中にいるのだと分かった。
そしてそれと同時に、悲しいでも嬉しいでもない理由で泣くことも分かった。

とつぜん夕陽がまわりの空気を沸騰させたかのようにみえた。
急にたくさんのわたげが泡のようにあらわれたから。
こころがわたげをおいかけた。軽やかにとんでいった。
わたげが言う。
「失ったものを、また拾いあつめて」
ひかりをつれてきてよ。


ぼくたちはどうしてためらうのだろう。抜け出すことはきっとできない。
幻想こそがリアルだから。

風が鳴る。ぼくはなぜかこの世界の風の音はすべて、同じ作曲家の作品だと思った。

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