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芸者みたいな女。

初めて見た時は若いのに芸者みたいな女だと思った。椿油とつげ櫛で手入れをする髪と妙に和服が似合う感じに若さを感じなくてね。

と言われた事がある。それは芸者をあげたりお花をつけたりした事がある粋な遊びをした事がある切符の良いお父さんに言われたのでとてもうれしかった。信頼関係とコミュニケーションを生業とする芸者さんや銀座でお仕事をするホステスさんには敬服と憧れがどこかあったのは事実だし努力と覚悟無しでは務まらないというのを知っていたからかもしれない。尽きない好奇心はあっという間に花鳥風月まで届いた。年の離れた兄は花鳥風月にハマってるのは老いだぞ、と笑っていたが1人で出来る趣味と好きな事は心地良かった。海外旅行にハマる一方で自分のルーツと生まれ育った日本の事をもっともっと知りたいと思うようなり小さな街への旅も増えて行った。大きな街はどこも同じ匂いがしてすぐ飽きてしまうのだ。小さな路地裏の営みや風習や文化こそ興味深く身体に入っていく楽しみがあった。

されたらうれしい事を相手にする
されて嫌な事はしない

この基本的なコミュニケーションだけで随分と配慮と思いやりある関係が築ける。協調性がなく団体行動が不得意で苦手な私もコミュニティでの立ち回り方は場数の経験で怒りのコントロールと諦めと切り替えと鈍感力を養ってくれた。つまるとこ沈黙は金なのだ。

未熟だから群れるのよ

と教えてくれたかっこいい一匹狼には今でもとても感銘を受けている。唸る一言だった。
執着しない、というのはよく愛着がない愛がないと誤解されがちだがそうではない。自立しているだけなのだ。執着は依存する。視野を狭めていつか呪いになってしまうリスクがある。たくさんの注ぐ場所があれば溢れない。それは器を大きくする事よりも遥かに手軽だと思う。小さな器は増やせばいい。そして大きく出来そうな器を見極めて育てればいいのだ。ポジティブな言い方だけど嫌いな言い方というのがドラマのセリフにあった。

止まない雨はない。明けない夜はない。
でも、咲かない花はある。

死ぬ事以外はかすり傷
だけど、かすり傷いっぱい出来ちゃうと
死んじゃう。

といううむうむとなる言葉だった。
カラ元気ださなくていいよって言う時もあれば
カラ元気でも嘘でも笑ってた方がその悲しみから抜け出せる事もある。嘘でも100回言うと本当になる。と教えてくれたのはたくさん色んな事を教えてくれた亡きS会長だった。ぽろりと落ちてくる言葉を拾うか飲み込むか気付かないかでその後は変わってくると思う。誰かの唄う歌が涙することもあれば糧になる事も。いつでも言葉の種を聴ける耳でいたい。私の身体で根を張りますように。花が咲かなくても葉が落ちても根を張れば良い。愛が根を張る。ちゃんと愛がある自分でいたい。

抱きしめられない風に吹かれた花弁のように

たくさんの言葉が肩に落ちてきた。

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