熊本ラーメンと、縋るように願う2年後のこと。
修復中の熊本城は、当たり前だけれど2年前とおんなじ位置で光っていた。
アーケードの下で何件かハシゴをして、そのまま打ち上げ花火を見に行った。2人して記憶がなくなるまで飲んだ。
小さなホテルのベッドでくっついて寝て、どうやって帰ったんだっけ?なんて話す、二日酔いの早朝。
市街を見下ろす窓から、ばーんと見える空。
それは朝焼けによって夕方みたいな橙になっていて、で、私たちは、ホントは時計が嘘で今は夕方なんじゃないかってくらいにやたらにお腹が空いている。
さっきまであんなに食べたのにね。シメのラーメンまで。
笑いながら、だけれども仕事なんじゃないかってくらいの真剣さで、早朝に入れるラーメン屋を探す。
こんなにも食がメインの旅行になったのは、天候のせいだ。
元々は、阿蘇でバイクに乗りたい!なんて言ってワクワクしていた。けれど、生憎の曇天であった。
狭いミストサウナの中ように、あるいは布団を被って眠った時に見がちな夢のように、ひたすらに白靄がかった景色。その切れ間からチラチラと見える広大すぎるほど広大な土地と、かすかに感じる緑、そして水。
私はなんとなく、ニーハイとスカートの間の太ももについて考えた。これじゃ、まるで景色のチラリズム。だけど晴天の日より、綺麗な阿蘇を見ることができたかも知れない。(初の阿蘇だったから、実際のところはわからない)そんなことを、不意に考えた。曇天というツキの悪さを誤魔化すように。
そう、曇天。
だから今回は完璧な旅行ではなかったけれど、けどさ、リベンジしたいものがあるっていいよなあ。
早朝5時。熊本ラーメンを向かい合ってすすりながら、私はこっそりと想像していた。
何年後かに、今目の前にいるこの人と相変わらず手を繋いで歩くんだ。きっと私たちはまた記憶を無くすまで飲むんだろうけれど、でも阿蘇に行くその日は次は本当に晴れるんだ。で、チラリズムじゃなくってドカーンと広大なカルデラを見るんだ。
それはできれば2年後がいい。
あのね、2年前、私はこの街を、もう連絡も何も取らない違う人と歩いたの。
修復中の熊本城は、当たり前だけれど2年前とおんなじ位置で光っていた。
また次の2年後、今度は熊本城が変化していて(それは修復完了という喜ばしい変化)、反対に私たちは変わらず、手を繋いでいる。
変わっていくものと、変わらないもの。確実に時間は流れる。「だんだん幸せに進んでいるんだ」と縋るような願いと共に、時間は流れる。
マー油の香ばしさで二日酔いに蓋をして歩く熊本のアーケードは、ちょっとだけ故郷みたいになっていた。
また来るね、熊本。
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