【想像力で救いたい】〜破滅寸前の東京からの手記〜

2020年6月。東京は去年より早く梅雨があけたようで、止まらない咳と涙を拭いながら、私ったらずっと医者を探している。

全く、医者はどこへ行ってしまったんだろう。

もしいたら、私より危機的容体の大好きな彼氏を大至急見てもらいたい。

連絡は、全然つかないけど、生きてるとは思う。思う。

ああ、それにしてももう一週間くらい咳が止まらない。

”なんでもっと早く手を打たなかったかな”

と、そんな風に後悔するのは世の常なのかもしれないね。

ほら、例えば、定期試験前の夜とかね。元素記号がただのアルファベットにしか見えなくて途方にくれるのよ。「今更勉強してもどうせ5点とかだしもうmixiでもやろう」とか思って携帯をパカっと開いてみたら、同時に「流石にそれはまずいだろ！」みたいな己のツッコミに携帯を閉じる。

…そうだ、携帯って閉じるものだったよなあ。懐かしい。

じゃなくて、そう、そんな感じでさ、なんでもっと早く手を打たなかったかなあ、みたいなことって人生で何回も思った気がするよ。これって、私がズボラで無計画なだけ？

いや、でもさ。結局この件に関しては世の中が、こんなふうに後悔するような未来を選択してしまったんだもんな。政府の対応を恨むし会社の判断の遅さを恨む。でも、もはやね、仕方なかったよねーとか言って笑ってしまいたい。いいよね？もう、最期なんだと、思うしさ。

へー新型だって。やばくない？てかさ、「コロナ」ってビールなかったけ？

あーなんかあったな。最近は飲んでないな。

そんなことを父親と談笑してたから、罰が当たったのだろうか。でも、あの時は、それが理由で父親がいなくなるなんて思ってもなかった。そして、自分もそれを追っていなくなることなんて、考えもしなかった。

ジャーン！！マスク、最後の一箱だったよ！

頬を紅潮させた姉が、バーゲンの戦利品のワンピースを広げるのとおんなじテンションで、薬局の青いビニール袋を掲げた二月。ようやく手袋なしでも生きていけるような気温になった東京。「やるじゃない！」おてんばな母親が飛び跳ねて姉に向かって拍手をする。そしてこう加える。

しかもマスクにしては大きなビニールね、助かるわあ。ゴミ袋、有料になってから足りなくてねえ。

そう、サスティナブルな暮らしへの関心が急激に高まった2019年、世界は、”人類は地球を大切にすればずっと生存していく”と信じていたんだ。それって素晴らしいことだ。

え？皮肉？　じゃないよ。皮肉なんていうような気持ちじゃない。どっちかと言えば、そうだな、嫉妬だ。

レジ袋は有料化で2円です。スタバのストローすら近い将来廃止になるご時世ですご了承を。その代わりにエコポイントを差し上げます。

エコポイントエコポイントってさ、人間の健康の先にあるものでしょ。エコポイント。そんな言葉を口にするほど余裕のある人って、多分今この日本にもうほとんどいない。

だから、戻りたいなあ。エコポイントの頃に。って言ってもそんなん半年前とかなんだけれど。でもその頃は、人の死はあくまで”例外的な出来事”だったと思うし、今みたいに、「そっかあの人も…」と1日に数回哀しむことなんてなかった。

慣れるもんか。

私の壊れかけた肺の近くで、心臓が力強く動く。

慣れてやるもんか。

ああ、あと数日で、彼氏の息は止まるだろうか。

慣れてやるもんか。馬鹿。

涙が馬鹿みたいに出る。馬鹿みたいに悔しい。

春がちゃんと来たのに。

2020年のお盆の行先を練った。クリスマスのネオンが輝くちょっと煩い池袋のタリーズコーヒーで小一時間練った。私たち、8月2週目から沖縄にいくのに。沖縄にいくのに。

ああ、ガラガラの東京に夏はもう来ないかもしれない。え？じゃあ、羽田発の飛行機とか、プール付きのリゾートホテルはキャンセルしていいの？彼氏と相談したい。あのホテル一泊17,800円だったね、奮発しちゃおうかっていたずらそうに笑って、その目尻の感じが私大好きで大好きで大好きで、大好きだった。

涙、こんなに馬鹿みたいに出るんだなあ。

「今日、政府は不要不急の外出を控えるように通達を出しました」「イベントは可能な限り自粛して下さい」「リモートワークがおすすめです」「センパーイ、うちもリモートワークになりますかね？」「いやあー本社の指示次第だなあ。で、資料できた？」「リモートワークが難しい業務もあるでしょう。その場合、せめて時差出勤をしましょう」「えー本日丸の内線は混雑のため4分遅れで運行しています」「ちょっと、あんた、ほれ、マスクしなよ」「韓国の死者が日本を超えました」「全国の小売店でマスクの品切れが相次いでいます」「うっわー楽しみにしてたのにイベント中止とかつらい」「欧州で初の死者が出てしまいました」「ねえ、不要不急ってなんでしょうね。仕事は不要ではない？」「んー、社畜の負けって感じかな」「観光客が途絶え、個人経営の旅館の倒産が相次いでいます」「ほー。みんなリモートワークかな？今日電車ちょっと空いてない？」「クルーズの乗客が退院しましたが再度発症したというニュースが入ってきました」「パパね、なんか体調悪いかもしれない」「政府は、全国の小中学校に休校要請を出しました」「まあ大丈夫だよ、死にはしないさ」「感染している場合、発熱とひどい咳が出るのが合図です」「部長は今日、おじいさまが亡くなったため会社を休むそうです」「10代の感染者が増えています」「もし咳と発熱が四日以上続いたら受診を」「んーなんか私も体調悪いかもしれない」「日本を入国規制国にする国が増え」「あの、念のため受診したいのですが」「日経平均株価が下落し」「ね、念のため、受診…」「診察拒否の事例が増えています。特効薬の開発が急がれ」「多分だけど俺もかかったと思う。ごめんキスしなきゃよかったな」「特効薬の承認への第一歩が」「大丈夫よきっと。ね、いつ会える？」「高校や大学にも休校措置が出ました」「会わない方がいいと思うな」「日本経済への打撃は計り知れず、国内総生産が」「あれ、なんか熱っぽいかも」「特集です。オリンピックはどうなるでしょう」「ねえ、オリンピック一年延期だって」「芸能界への影響も続々と出ております」「ねえ、オリンピック、一年延期だってよ」「中小企業の倒産が始まっています」「ねえ、オリンピック、チケット落ちたけど、もはやよかったね」「どう歯止めをかけるのでしょうか」「ねえ、返事してよ」「国会の機能が停止しているとも言えますね」「私も咳が止まらない」「日本の株価の下落が止まりません」「パパが、亡くなりました」「特効薬の承認がまだ降りず、講義のデモが欧米で」「あの、咳が本当に止まらないのですが。医者にみてもらいたいのですが」「未就学児も感染しました」「パパのお葬式さ、自粛、だよね」「しばらくの間、当局は放送を報道番組に絞り」「スマホのロック解けて連絡やっとできました。妹のマナミです。兄の容体ですが」「オリンピックは延期でしょうか、中止でしょうか。IOCの声明では」「死ぬんなら一緒がいいなあ、なんとなく」「視聴者の皆様。当放送局は当面の間、放送を最低限にし」「もしもし。私、死ぬんでしょうか」「情報源として、NHKラジオをご活用下さい」「あの、死にそうなんですが」「特効薬に希望の光です」「…ママも？」「株価が少し回復しました」「あの、あの、あの…」